新鮮な魚を美味しく食べたい!!
「魚っ食いの365日
”獲れるだけ獲る”時代ではない!!
食糧の生鮮3品のうち生産計画を持たない生産業は漁業だ。農業は作付けの段階で、
ある程度の収量が見通せる。また出荷調整も若干できる。
畜産業も計画的であるといえる。
もちろん、天候や予想外の事態で変動要因はあるが、概ね見通すことはできる。
漁業は、養殖事業を除けば、魚そのものを生産しない「資源採集業」だ。
明日の漁獲の保証は何もないから、獲れるときに獲る。もちろん資源保護の観点から
魚種ごとの漁獲量や期間の規制はあるが、漁獲計画=出荷計画はないと理解している。
一部に例外的に計画的生産・計画的出荷をしているものがあるかも知れないが・・・。
魚の成育・回遊次第、天候次第で漁獲量は変動するから、漁獲量=供給量となって
市場に出荷される。その増減の振幅は大きい。概ね需給関係が市場価格に反映するから
常に価格が安定しない。
その結果は、生産者にも消費者にも何の恩恵ももたらしていない。せっかく豊漁となっ
ても一時的に消費者は喜ぶかも知れないが、漁業者は豊漁貧乏という結果となる。
消費量も若干多くなるかも知れないが、一人ひとりの「食べる量」はほぼ一定である
から必要以上のものは不要となる。時には廃棄されているものと推量する。
魚も安定供給の方策を探らないと、漁業は衰退し、消費者もますます魚離れするものと
考える。
いま、市場に余った魚はどうなるかというと、産地市場や消費地市場で出荷・販売調
整されることとなる。魚の鮮度を落とす要因になる。価格を下げて魚をさばくことになる。
どこかで、誰かが不味い魚を食べることになる。
魚は不味いものと思わせている一つの要因になっているやも知れない。
この問題を解決しなければ、漁業の明日も、魚食の未来もない。
解決手段の一つは、計画的な漁獲生産である。魚種ごとにあるいは総漁獲量を定めた
漁業に転換すべきである。関係者からもそのことが提起されているやに聞くが、早急に
実現することが望まれる。
それでも漁獲量の変動は、漁業の性格上避けられない。もう一つの解決策は流通機構
がどこかの段階で、余剰品を二次加工し、付加価値をつけて商品化することである。
余剰産品を二次加工するということは、その時だけ稼動するという非効率な事業となるから、
問題なしとはしないが、そういうところにこそ、政策的・制度的に解決すればよい。
町の魚屋さんが、だんだん少なくなって行くということは、それだけ魚調理技術者がいなくなって
しまうということになります。 魚屋さんは、むかしから魚をさばいてお客さんに渡していました。
その時、食べ方をアドバイスしながら売っていました。今風に言えば、コンサルティングセールスを
してきたのです。
以前は、今よりも家庭で魚をさばける主婦が多かったとはいえ、イワシ・アジなどの小魚は別として
サバより大きな魚は、店頭でさばいてくれていたように記憶しています。特にお刺身などは、大皿に盛
り合わせてもらっていました。
町の魚屋さんがなくなってしまうと、いわば、町の調理師がいなくなってしまうことになります。
われわれ家庭の魚調理を支えてくれていた人たちの力を借りられなくなるということは、家庭における
「魚食力」の低下につながります。
デパ地下の魚屋さんでも、スーパーの魚屋さんでも、頼めばさばいてはくれますが、そこにはあまり
会話がありません。いつも同じ店員さんとは限らず、顔見知りになるということは不可能です。専業の
魚屋さんとはキャリアも違うと思います。
魚をさばくという技術は、理屈より経験ですから、何百、何千さばいて習得するものです。一朝一夕
に得られない技術なのです。それは、自分がいまさばいていてよく分かります。魚屋さんの廃業ととも
に、この社会から貴重な技術・技能を失ってしまうわけですから、大変惜しむべきことであり、大
いなる損失であります。その損失は、われわれが蒙るわけです。
肉屋さんで肉を買って、持ち帰って再び魚のように切り分け・さばくようなことはありません。陳列
もそうです。牛が豚が鶏が店頭でぶら下がっていることはありません。ところが魚は、海で泳いでいた
ままの姿で、店頭に並んでいます。肉と大きな違いですね。魚は、現在の住環境、台所事情に合わない
ですね。いきおい魚(鮮魚)は、切り身で売る、切り身で買うということになります。
そうすると、われわれに身近な沿岸・近海の小魚は敬遠されることになります。わが国は長い海岸線
を持つ国ですから、近くで獲れる魚は新鮮で美味しい魚が多いのです。ところがこうした魚をさばいて
くれる魚屋さんがなくなるということは、われわれは新鮮で美味しい魚を食べられないということにな
ります。そこに「鮮魚難民」が生ずるわけです。
時代にあった「魚屋」でなければならないと思います。今やその危機にあります。飛躍しますが、
世界の食糧問題は、われわれの足元にある日々の問題として捉える時ではないでしょうか。
町の魚屋さんの現状と、家庭の「魚食力」の低下とが、リンクしていることは間違いありません。
後継者がいない!!
漁業従事者の高齢化が問題になっている。
若い後継者がいないということだ。後継者がいなければ、
いずれ魚が食べられない日がくるのではないか心配になる。
魚を好む消費者も高齢化しているという問題。
食べる方の側にも、若い後継者がいないということになる。
後継者がいなければ消費が落ちるのは理の当然。
それが心配だから子供たちへの「食育」が叫ばれている。
「地産地消」の促進とともに、学校給食で行われていること
が多いようだが、地魚の獲れない都会では、なかなかそれは
出来ない。
食育の基本は、何と言っても家庭にある。
親が食べるものを子供は食べる。その親が魚を食べなければ
子供も魚を食べる習慣とならない。
今や、魚を好むのは、おじいちゃん・おばあちゃんの世代。
お父さん、お母さんの現役親世代は、忙しくてなかなか魚を
食べるいるヒマがない。
核家族化でおじいちゃん・おばあちゃんとの同居が少ない
から、子供が魚を食べる機会がない。魚食の後継者が育たな
い。
魚に限らず、食糧問題はそう簡単なものではないと思うが、
この問題が語られるとき、農業でも、漁業でも、畜産でも、
生産者のことと、内外価格差のことばかりが問題視されて、
「消費者の問題」として、語られ議論されることが少ない。
食糧の問題は、一人ひとりが何を食べるかにかかっている
のだから、消費者がどういう「食」を選択するかで決まる。
この論法を発展させると、魚を食べる「後継者」が育てば、
「漁業の後継者」問題は必ず解決するということになる。
・・・というのが持論なのだが。 どう思われますか?
「魚食力」を測定する
家庭で魚を食べる力を「魚食力」と定義することにします。
あなたの家庭の魚食力を測ってみてください。
ご自身、あるいはご家庭における、傾向が何となく見えてくるのではないでしょうか。
・魚が好きですか・嫌いですか
*大好き **好き ***嫌い ****大嫌い
・どのくらいの頻度で食べているか
*週に1回以上 **月に2-3回 ***月に1回 ****殆んど食べない
・どんな魚が好きですか
アジ サバ イワシ 小魚 イカ タコ 赤身の魚 白身魚 青魚 カツオ マグロ ブリ サケ(シャケ) エビ カニ 貝
・どんな食べ方が好きですか
*生・刺身・寿司 **焼き魚 ***煮魚 ****フライ・てんぷら *その他
・ふだん食べている(買っている)魚は美味いと思いますか
*美味い **不味い ***どちらとも言えない ****その時々で違う
・その魚に満足されてますか
*満足している **満足していない ***どちらとも言えない
・魚の加工食品では、どのようなものがお好きですか
*干物 **粕漬け・味噌漬け ***冷凍食品 ****缶詰
・どんなときに食べますか
*ふだんの食事で **家庭の催事で ***来客のとき ****その他
・調理はどのように
*自分でさばく **店でさばいてもらう ***切り身を買う
・どんな包丁を持っていますか
*出刃包丁 **刺身包丁 ***万能包丁 ****菜切り包丁 ****その他
・ふだんどこで魚を買いますか
*デパ地下・ショッピングセンターで **町の魚屋で ***スーパーで ****その他
・何時頃買いますか
*午前中 **午後~5時 ***夕方5時~ ****決まっていない
・どのくらいの頻度で買いますか
*1週間に1回 **月2回くらい ***月に1回くらい ****殆んど買わない
・魚が好きな理由は
*美味しいから **健康によいから ***その他
・魚が嫌いな理由
*匂い(臭い) **不味い ***台所が汚れる ****ゴミの始末 *****調理が面倒
・価格のイメージ
*魚は高い **魚は安い ***別に気にしない ****肉より高い
・あなたはどっち
*魚派です **肉派です ***どちらともいえない
・家族の中で魚が好きなのは誰ですか
*妻 **夫 ***両親(父・母) ****子供
・年齢と共に好みが変ると思いますか
現在:魚 → 将来:魚 *
肉 → 魚 **
魚 → 肉 ***
肉 → 肉 ****
回答お疲れ様でした。ご家庭での食事計画の何かの参考になったでしょうか。
*の数を数えて、少ないほど魚食力が高く ****多いほど魚食力が低い と言えそうです。
このアンケートの中に「鮮魚難民」解消のヒントがあるのではないかと思っています。
「鮮魚難民」となってしまった私は、町になくなった魚屋に代わって、自分自身が
魚屋になりました。 店舗を作り営業許可をとって、自ら卸市場に仕入れに行き、自
分が食べる魚を自分で仕入れ、仕入れた魚を自分の魚屋から買って、わが家は魚を食
べています。自分専用のmy魚屋です。
自分の目利きで買ってくるわけですから、初めはなかなか思うように魚が買えずに、
難儀をしましたが、だんだんと市場の皆さんから魚のことを教えてもらいながら、魚の
ことが分かって参りました。
同時に魚の流通の仕組みも分かって参りました。結局、魚の習性から、漁場のこと、
漁業のこと、産地出荷市場のこと、消費地荷受市場のこと、魚屋さんのこと、家庭の
買い物の仕方、台所のこと、魚の食べ方のことなど、生産から最終消費に至る一連のこ
とが分からないと、「鮮魚難民」問題は解消しないことが分かって参りました。
折角、魚屋を開業したわけですから、時代に合った魚屋のあり方を考えたわけです。
何人かのお客さまを通じて、家庭における魚の受容度を考察して参りました。
詳細はここでは省略しますが、わがmy魚屋に来られるお客さまは、それぞれの事情こ
そ違え、「鮮魚難民」であることが分かりました。
つまり、「町の魚屋さんがなくなってしまった」「美味しい魚を買うところがない」
という方々が来られのです。そういう方々がどのくらい居られるかは、消費者調査をし
ているわけではないので分かりませんが、かなり居られるのではないかと想像していま
す。自分も「鮮魚難民」だと思われる方がおられたらレスポンスしていただけると有難
いですね。
一方、魚は好きだが、家庭ではあまり食べない。魚は外で美味しく食べているという
方も多いと想像しています。その代表的なものが「回転寿司」など手軽に食べられる外
食です。あるいはデパ地下などの天ぷら・フライ・煮つけ・焼き物などの惣菜を利用さ
れている方々です。また、魚は食べなくても別に困らないという方も居られるでしょう。
こうした傾向を家庭における「魚食力の低下」と捉えると、今後の鮮魚流通のあり方が
見えてくるような気がします。
わが「my魚屋」は、消費傾向を探るアンテナショップであります。
時代にあった魚屋の「モデルショップ」を目指しています。