森の木は緑のダム――家庭は食糧備蓄のダム
東北関東大震災の影響でスーパーがごった返している様を目の当たりにした。
この光景をみて考えさせられるものがある。だれしもわが身を守るのは当然だが、
山盛りの買い物籠を一つ、二つと抱えてレジに並ぶ長蛇の列に唖然とした。
既に米は売り切れ、カップめんなどのインスタントの棚は空っぽだったのを始めパン
や惣菜ものがよく売れていた。
それに引き換え、野菜・果物があまり買われていない様子で、沢山残っていたのは意外。
鮮魚類に手を出す人は殆んどなく、生鮮3品は動かず。
この買いだめ騒ぎは何だったのか。備蓄が少なかったに他ならない。
森は緑のダムと言われるが、家庭が食糧を初め生活物資の備蓄ダムの役割を果たして
いないことを物語っている。大雨が降ればダムから溢れ、渇水となればたちまちダムが
干上がってしまう姿に似ている。森林が災害の備えであるように、家庭の備蓄が災害へ
の備えであることを忘れてはならないであろう。無駄を省いた効率的な都市型生活が招
いた騒動と言えないだろうか。
同様に在庫を抱えないジャストインタイムの生産システムもその脆弱さを見せた。つまり、
無駄とゆとりは、きわどいところに同居していると言えまいか。効率化の影で。
わが家ではどうであったか。幸い、米の備蓄が十分であったから、狼狽することは全く
なかった。秋、冬、初夏の年3回、玄米をまとめ買いをすることに決めているからだ。
生鮮食品と調味料等の常備食品は、週1回、週末に定期的に購入しているので、丁度こ
れから買いにゆくところで地震に遭遇した。幸い生鮮食品には買いだめに走る人がいな
かったので翌日買いに行っても何ら困ることはなかった。調味料も同様であった。
水は、飲料水の備蓄ゼロであったから、断水したら全く対応力なし。
熱源はどうか。オール電化に切り替えてしまったから、炊事・暖房の備えなし。わずか
に卓上ガスコンロと使いかけのボンベがあるのみ。
照明は、懐中電灯2機(電池寿命あり)はあったが予備電池ゼロ。思いついて買いに
走ったときは単1、単2はなく単3を20個買う。単3仕様の卓上電灯があるのを思い
出して探し出す。単3電池は常時8個前後常備。従ってこれは何とかなった。仏壇用
小型ローソクも応急照明として、使わなかったがほっとした。
ラジオ用の単2はなく、ラジオは使えなかった。
この他、防災常備品は数々あるが、全て万全を期すまでに心が到らない。
こたびの地震では、米はあっても水・燃料の備蓄なく、電力、水の供給が途絶えれば生米
をかじるところであった。クワバラ、クワバラ。
ガソリンは、残量20lのみ。これで供給再開待ち。昨日はじめて給油した。
買い走りしなかったことで、心の片隅に罪悪感を感じなくて済んだ。
以上、まとめて防災備蓄対応は30点くらいか。電池のほかは買い走りしなかったの
は、米と常備菜(自家製)の用意があったからか。