引き続き、母のモノを処分した話をします。
前回は、布類が多いという話をし、そのうちマフラー、ストール、スカーフが、大量に残っている状態で、処分活動が終わりました。
今回は、意外とあっさり処分に同意してくれた母のことも含め、処分する過程と、モノを処分した後の気持ちについて綴っていきます。
母の体調の良いときがチャンス
本日、母の調子がよさそうだったので、引き出し1段を埋め尽くしている、マフラー、ストール、スカーフを、どうにかしないか?と提案しました。
母は、体調が悪いと人の話を半分も聞いていない状態です。
まあ、母に限らず体調がすぐれないときは、誰しも人の話を聞く余裕はないのですが、母の場合は体調がよさそうなタイミングが少ないため、見計らっていろいろな提案をする必要があります。
今回が、そのチャンスでした。
最初に相談したのはチェストの処分について
雑談しながら、まず空になったハイチェスト2台をどうするか、を相談しました。
私としては、もう不要なので処分する、という話に持っていきたいわけですが、空にした話をしたら、入っていたモノはどうやって片付けたのか?と聞いてきました。
こういうときは、チェストを処分する話をしてもムダなので、中に入っていたモノをローチェストへ移した話から、マフラー、ストール、スカーフが山ほどあるよ、と処分させたいモノの話題へ切り替えます(笑)
とにかく、現在母が全く使っていないモノは、もうこの先も絶対に使わないので、処分したい気持ちでいっぱいです。
なので、話が本筋から逸れたときは、別のモノを処分する話へ持っていくことにしています。
話をしながら、実際に引き出しを開けて、マフラー、ストール、スカーフを見せ、この中で要らないモノは自分で捨ててくれ、と言ったところ、服と同じようにひとつずつ見せてくれたら、要不要が判断できると言います。
チャンス到来(笑)
もちろん、間髪を入れずに仕分け作業に入りましたよ。
たぶん全部要らないと思う
母は、冬に着用しているマフラーがいつもきまっていて、ストールに関しては使っているところを見たことがありません。
スカーフは、日差しの強い日に首元をガードするために使っているのを見たことがありますが、こちらも使うスカーフはいつも同じ。
となると、全く手を付けていないマフラー、ストール、スカーフは、全部処分することになるのでは?と予想していました。
さっそく、不要品の仕分け開始。
服の仕分けと同じように、私がひとつずつ手に取って、要不要を確認していきます。
すると、もう最初に手に取ったマフラーから「要らない」と(笑)
基本的に、毛糸で編んだ手編み風なマフラーを、母は好みません。
ですから、手に取るまでもなく、不要だろうとは思うのですが、一応母の気持ちにも一区切りつけてほしいので、ひとつずつ見せていきます。
続けて、次々とマフラー、ストール、スカーフを見せていきましたが、最後まで「それは使う」という言葉は出ず。
つまり、引き出しに収納していたモノは、すべて処分することになりました。
予想どおり(笑)
家庭ごみ回収に出します
今回は、マフラー、ストール、スカーフだけを対象に処分をしました。
これらは、リサイクルボックスへは入れられるモノの対象外となっているので、さっくりと捨てます。
私が、母にモノの処分をお願いするのは、いつも家庭ごみ回収日の前日か前々日です。
捗れば、翌日か翌々日にはスペースが空き、不要品を家から出すことができるからです。
すでに処分すると決めているモノは、いつまでも家に置いておかないように心がけています。
不思議なことに、今まで収納していたモノは邪魔だと感じることも少なかったのに、処分することを決めてひとまとめにしたとたん、物凄い邪魔なモノとして認識してしまいます(笑)
逆に、邪魔だと少しでも感じるモノは、実はもう不要品なのだな、と改めて考えました。
今週は、母のモノを中心に処分していましたが、その合間にも自分の持ち物で、邪魔だと感じたり、もう十分使った、十分楽しんだ、と思えるものは、ごみ袋の中に入っていきました。
処分しても大丈夫
モノが、部屋や家に溢れてしまう、一度手にするとなかなか捨てられないという人は、モノを処分しようとするときに、
「勿体ない」
「まだ使える」
「いつか使う」
「誰かが使う」
とにかく持っておくための理由を考えますが、本当は邪魔に感じていたり、気持ちが離れていたり、そもそも気に入っていなかったり、むしろ嫌いだったりするのですよね。
そういう負の気持ちに蓋をしてモノを持ち続けようとするのは、もしかしたら他人の目が気になっているからかも。
一番わかりやすいのは、プレゼントやお土産にいただいたモノ。
自分のことを思って、品物を選んでくれたと思うと、たとえそれが自分のセンスに合っていなくても、その気持ちにこたえるために、大事に飾ったり、使ったり、いつか使おうと保管したりしますよね。
でも、モノは気持ちを伝える媒体であって、くださった人の気持ちそのものではありません。
ましてや、くださった本人がいつもそばにいるわけではない(家族は別ですが)ので、居もしない人に気を遣って暮らすのは、有意義ではないです。
手元に入ってきた時点での所有者は自分で、それの処遇を決められるのは自分しかいませんし、所有物の価値は自分自身で決定していいのです。
買った時点で高額であったとしても、大好きだと感じて買ったとしても、誰かからの贈り物であっても、時が経てば市場価値は当然変化しますが、自分の中での価値も絶対に変化します。
肝心なのは、その価値を他人に決めさせないこと。
自分の価値観を信じて、手放して処分したら、後悔するかもしれないという不安も、ないわけではありませんが、なかなか処分できないでいたモノを、思い切って処分しても、意外と後悔はしないです。
むしろ、さっぱりすることの方が多かったりもしますから、モノは処分しても大丈夫なのです。
後悔しない理由
モノを処分しても後悔しない理由のひとつは、五感に訴える情報が減るからだと思います。
好きなアーティストや、好きな作家のポスターやグッズを、部屋いっぱいにディスプレイしている人は、結構多いと思いますが、好きな気持ちは変わらなくても、多すぎると自分の情報処理能力がついていかないことってありますよね。
眺めて、ステキだな、きれいだな、かっこいいな、と思うモノを部屋に飾っているのに、たくさん飾りすぎてモノ本来の魅力が薄れている状態なのでしょうね。
そういうときは、ディスプレイしているモノに順位をつけて、順位が高いものを1つか2つだけ残し、他は目に見えない場所へ隠して、数日間過ごしてみます。
すると、隠したモノのことを思い出すことは、ほとんどありませんでした。
この隠す行為を、思いきって処分する行為にシフトしても、一度手放してしまえば思い出すことはあまりありません。
たまに、思い出すこともありますが、モノを手放した後悔は感じたことがありません。
結局、自分が大事にしていたのは、モノを手に入れた経緯、背景、気持ち、体験なのだと思います。
これらの思い出があるなら、モノはたいして重要ではないのですね。
もうひとつは、今の時代、誰でも写真(画像)を撮って保存しています。
そして、それをSNSや自作のサイトで公開したりします。
その画像の中には、自分が手放したモノと同じモノが、必ずと言っていいほどあります。
よく、手放すのが心苦しく、思い入れのあるモノであれば、画像に残してから処分したらいいと、アドバイスしている方がいます。
その方法は、気持ちの踏ん切りをつけるのに、とても有効だとは思います。
しかし、モノに対して思いを入れやすい人は、どんなに小さなモノでも画像を撮影するでしょうし、モノが多すぎる人は、画像を撮るという行動だけで、とてつもない時間を費やしてしまいそうではないでしょうか。
実際、私もモノを処分し始めたころ、デジカメに収めてから処分していましたが、全く見返さないし、この先処分するモノすべてを撮影していたら、非効率的で片付けが全く進まないことに気が付きました。
そして、処分したモノの画像は、すべて削除しました。
処分した後、撮影していたモノが何だったのかは、まったく思い出しませんし、ふと何かのきっかけで思い出したとしても、ネット検索すれば、同じモノの画像がたくさん見つかります。
自分のために特別に作られられた何か、ではないのならば、必ず画像が見つかるのです。
であれば、私がわざわざ画像を残さなくても、知らない誰かが画像を残して保存してくれているのならば、それで十分ではないだろうか、という考えに至りました。
それ以降、モノを処分する際には、どれだけ気に入っていたモノだったとしても、画像は撮らないことにしました。
画像を撮らなくても思い出そのものは消えないので、後悔したことは一度もありません。
母はすでに忘れています
母は、自分が持っていたモノなど、処分した後は、すっかり忘れてしまっています。
おそらく、モノそれぞれには思い出も思い入れもなく、ただ買い物を楽しんでいただけだったため、覚えていないのだと思います。
今回処分した、マフラー、ストール、スカーフも、おそらく数日後には存在自体を忘れます。
これまでのことを思い返しても「アレは思い出が詰まったモノだった」などと言った試しが一度もありません(苦笑)
結局、モノはモノでしかなかったのだと思います。
そんな母でも、絶対に忘れないモノ。
それは、通帳、印鑑(登録印)、現金が入った財布、家の鍵です。
実用的で、絶対に必要なモノで、絶対に処分したらいけないモノばかり(笑)
結局、暮らす上で必要なモノは、数少ないってことですね。
少ないもので暮らすという価値観
極端な話ですが、お金と保険証、年金手帳と身分を証明できるモノ、そして銀行口座を持っていたら、今の日本ではきっと生活できます。
お金は、かなり必要になるので、稼げる職に就いているか、かなりの資産を持っていることが条件ではありますが、モノを持っていなくても、飲食店が豊富なので食事は心配ないし、ホテルやユースホステルなどに泊まれば、入浴も寝場所も確保できます。
服や靴などのアパレル商品は、今の時代レンタル品が充実していますから、受け取りを局留めや店頭受取にしておけば問題ないはず。
インターネットも、ネットカフェで十分だし、本が読みたければ図書館に行けばいい。
洗濯はコインランドリーがあるし、トイレもあらゆる場所にあります。
衛生用品は、ある程度持っておいた方がいいかもしれませんが、歯磨きセットと全身洗える石鹸と絆創膏があれば、あとは必要に応じた衛生用品を足すだけでいけると思います。
仕事を持っている場合は、スマホや携帯電話が必要かもしれませんが、筆記用具は会社に行けばありますし、フリーランスの方は、最低限必要な道具をレンタルスペースに預けて、レンタルオフィスやレンタルデスクなどで作業することもできます。
もっと大きな作業場が必要な方でも、賃貸物件を借りれば済みます。
このように考えれば考えるほど、絶対に所有しておくべき必要なモノというのは、少ないのだなと思います。
まあ、極論なので、私はそういった生活はできないのが現実ですけれど(苦笑)
今回は、母のモノを処分した話と、処分した後の気持ちや、最終的には心持ちなども綴りましたが、現在の私は、まだ何も処分できていない状態です。
これまで、たくさん処分してきたのに、まだ部屋にはいろいろなモノがあり、ただ溢れてはいないというだけ。
何の役にも立たないモノも、まだたくさんあります。
そのひとつひとつに、区切りをつけて、なるべく早く処分できる日が来るように、頑張らないといけないな、と思います。
前回は、布類が多いという話をし、そのうちマフラー、ストール、スカーフが、大量に残っている状態で、処分活動が終わりました。
今回は、意外とあっさり処分に同意してくれた母のことも含め、処分する過程と、モノを処分した後の気持ちについて綴っていきます。
母の体調の良いときがチャンス
本日、母の調子がよさそうだったので、引き出し1段を埋め尽くしている、マフラー、ストール、スカーフを、どうにかしないか?と提案しました。
母は、体調が悪いと人の話を半分も聞いていない状態です。
まあ、母に限らず体調がすぐれないときは、誰しも人の話を聞く余裕はないのですが、母の場合は体調がよさそうなタイミングが少ないため、見計らっていろいろな提案をする必要があります。
今回が、そのチャンスでした。
最初に相談したのはチェストの処分について
雑談しながら、まず空になったハイチェスト2台をどうするか、を相談しました。
私としては、もう不要なので処分する、という話に持っていきたいわけですが、空にした話をしたら、入っていたモノはどうやって片付けたのか?と聞いてきました。
こういうときは、チェストを処分する話をしてもムダなので、中に入っていたモノをローチェストへ移した話から、マフラー、ストール、スカーフが山ほどあるよ、と処分させたいモノの話題へ切り替えます(笑)
とにかく、現在母が全く使っていないモノは、もうこの先も絶対に使わないので、処分したい気持ちでいっぱいです。
なので、話が本筋から逸れたときは、別のモノを処分する話へ持っていくことにしています。
話をしながら、実際に引き出しを開けて、マフラー、ストール、スカーフを見せ、この中で要らないモノは自分で捨ててくれ、と言ったところ、服と同じようにひとつずつ見せてくれたら、要不要が判断できると言います。
チャンス到来(笑)
もちろん、間髪を入れずに仕分け作業に入りましたよ。
たぶん全部要らないと思う
母は、冬に着用しているマフラーがいつもきまっていて、ストールに関しては使っているところを見たことがありません。
スカーフは、日差しの強い日に首元をガードするために使っているのを見たことがありますが、こちらも使うスカーフはいつも同じ。
となると、全く手を付けていないマフラー、ストール、スカーフは、全部処分することになるのでは?と予想していました。
さっそく、不要品の仕分け開始。
服の仕分けと同じように、私がひとつずつ手に取って、要不要を確認していきます。
すると、もう最初に手に取ったマフラーから「要らない」と(笑)
基本的に、毛糸で編んだ手編み風なマフラーを、母は好みません。
ですから、手に取るまでもなく、不要だろうとは思うのですが、一応母の気持ちにも一区切りつけてほしいので、ひとつずつ見せていきます。
続けて、次々とマフラー、ストール、スカーフを見せていきましたが、最後まで「それは使う」という言葉は出ず。
つまり、引き出しに収納していたモノは、すべて処分することになりました。
予想どおり(笑)
家庭ごみ回収に出します
今回は、マフラー、ストール、スカーフだけを対象に処分をしました。
これらは、リサイクルボックスへは入れられるモノの対象外となっているので、さっくりと捨てます。
私が、母にモノの処分をお願いするのは、いつも家庭ごみ回収日の前日か前々日です。
捗れば、翌日か翌々日にはスペースが空き、不要品を家から出すことができるからです。
すでに処分すると決めているモノは、いつまでも家に置いておかないように心がけています。
不思議なことに、今まで収納していたモノは邪魔だと感じることも少なかったのに、処分することを決めてひとまとめにしたとたん、物凄い邪魔なモノとして認識してしまいます(笑)
逆に、邪魔だと少しでも感じるモノは、実はもう不要品なのだな、と改めて考えました。
今週は、母のモノを中心に処分していましたが、その合間にも自分の持ち物で、邪魔だと感じたり、もう十分使った、十分楽しんだ、と思えるものは、ごみ袋の中に入っていきました。
処分しても大丈夫
モノが、部屋や家に溢れてしまう、一度手にするとなかなか捨てられないという人は、モノを処分しようとするときに、
「勿体ない」
「まだ使える」
「いつか使う」
「誰かが使う」
とにかく持っておくための理由を考えますが、本当は邪魔に感じていたり、気持ちが離れていたり、そもそも気に入っていなかったり、むしろ嫌いだったりするのですよね。
そういう負の気持ちに蓋をしてモノを持ち続けようとするのは、もしかしたら他人の目が気になっているからかも。
一番わかりやすいのは、プレゼントやお土産にいただいたモノ。
自分のことを思って、品物を選んでくれたと思うと、たとえそれが自分のセンスに合っていなくても、その気持ちにこたえるために、大事に飾ったり、使ったり、いつか使おうと保管したりしますよね。
でも、モノは気持ちを伝える媒体であって、くださった人の気持ちそのものではありません。
ましてや、くださった本人がいつもそばにいるわけではない(家族は別ですが)ので、居もしない人に気を遣って暮らすのは、有意義ではないです。
手元に入ってきた時点での所有者は自分で、それの処遇を決められるのは自分しかいませんし、所有物の価値は自分自身で決定していいのです。
買った時点で高額であったとしても、大好きだと感じて買ったとしても、誰かからの贈り物であっても、時が経てば市場価値は当然変化しますが、自分の中での価値も絶対に変化します。
肝心なのは、その価値を他人に決めさせないこと。
自分の価値観を信じて、手放して処分したら、後悔するかもしれないという不安も、ないわけではありませんが、なかなか処分できないでいたモノを、思い切って処分しても、意外と後悔はしないです。
むしろ、さっぱりすることの方が多かったりもしますから、モノは処分しても大丈夫なのです。
後悔しない理由
モノを処分しても後悔しない理由のひとつは、五感に訴える情報が減るからだと思います。
好きなアーティストや、好きな作家のポスターやグッズを、部屋いっぱいにディスプレイしている人は、結構多いと思いますが、好きな気持ちは変わらなくても、多すぎると自分の情報処理能力がついていかないことってありますよね。
眺めて、ステキだな、きれいだな、かっこいいな、と思うモノを部屋に飾っているのに、たくさん飾りすぎてモノ本来の魅力が薄れている状態なのでしょうね。
そういうときは、ディスプレイしているモノに順位をつけて、順位が高いものを1つか2つだけ残し、他は目に見えない場所へ隠して、数日間過ごしてみます。
すると、隠したモノのことを思い出すことは、ほとんどありませんでした。
この隠す行為を、思いきって処分する行為にシフトしても、一度手放してしまえば思い出すことはあまりありません。
たまに、思い出すこともありますが、モノを手放した後悔は感じたことがありません。
結局、自分が大事にしていたのは、モノを手に入れた経緯、背景、気持ち、体験なのだと思います。
これらの思い出があるなら、モノはたいして重要ではないのですね。
もうひとつは、今の時代、誰でも写真(画像)を撮って保存しています。
そして、それをSNSや自作のサイトで公開したりします。
その画像の中には、自分が手放したモノと同じモノが、必ずと言っていいほどあります。
よく、手放すのが心苦しく、思い入れのあるモノであれば、画像に残してから処分したらいいと、アドバイスしている方がいます。
その方法は、気持ちの踏ん切りをつけるのに、とても有効だとは思います。
しかし、モノに対して思いを入れやすい人は、どんなに小さなモノでも画像を撮影するでしょうし、モノが多すぎる人は、画像を撮るという行動だけで、とてつもない時間を費やしてしまいそうではないでしょうか。
実際、私もモノを処分し始めたころ、デジカメに収めてから処分していましたが、全く見返さないし、この先処分するモノすべてを撮影していたら、非効率的で片付けが全く進まないことに気が付きました。
そして、処分したモノの画像は、すべて削除しました。
処分した後、撮影していたモノが何だったのかは、まったく思い出しませんし、ふと何かのきっかけで思い出したとしても、ネット検索すれば、同じモノの画像がたくさん見つかります。
自分のために特別に作られられた何か、ではないのならば、必ず画像が見つかるのです。
であれば、私がわざわざ画像を残さなくても、知らない誰かが画像を残して保存してくれているのならば、それで十分ではないだろうか、という考えに至りました。
それ以降、モノを処分する際には、どれだけ気に入っていたモノだったとしても、画像は撮らないことにしました。
画像を撮らなくても思い出そのものは消えないので、後悔したことは一度もありません。
母はすでに忘れています
母は、自分が持っていたモノなど、処分した後は、すっかり忘れてしまっています。
おそらく、モノそれぞれには思い出も思い入れもなく、ただ買い物を楽しんでいただけだったため、覚えていないのだと思います。
今回処分した、マフラー、ストール、スカーフも、おそらく数日後には存在自体を忘れます。
これまでのことを思い返しても「アレは思い出が詰まったモノだった」などと言った試しが一度もありません(苦笑)
結局、モノはモノでしかなかったのだと思います。
そんな母でも、絶対に忘れないモノ。
それは、通帳、印鑑(登録印)、現金が入った財布、家の鍵です。
実用的で、絶対に必要なモノで、絶対に処分したらいけないモノばかり(笑)
結局、暮らす上で必要なモノは、数少ないってことですね。
少ないもので暮らすという価値観
極端な話ですが、お金と保険証、年金手帳と身分を証明できるモノ、そして銀行口座を持っていたら、今の日本ではきっと生活できます。
お金は、かなり必要になるので、稼げる職に就いているか、かなりの資産を持っていることが条件ではありますが、モノを持っていなくても、飲食店が豊富なので食事は心配ないし、ホテルやユースホステルなどに泊まれば、入浴も寝場所も確保できます。
服や靴などのアパレル商品は、今の時代レンタル品が充実していますから、受け取りを局留めや店頭受取にしておけば問題ないはず。
インターネットも、ネットカフェで十分だし、本が読みたければ図書館に行けばいい。
洗濯はコインランドリーがあるし、トイレもあらゆる場所にあります。
衛生用品は、ある程度持っておいた方がいいかもしれませんが、歯磨きセットと全身洗える石鹸と絆創膏があれば、あとは必要に応じた衛生用品を足すだけでいけると思います。
仕事を持っている場合は、スマホや携帯電話が必要かもしれませんが、筆記用具は会社に行けばありますし、フリーランスの方は、最低限必要な道具をレンタルスペースに預けて、レンタルオフィスやレンタルデスクなどで作業することもできます。
もっと大きな作業場が必要な方でも、賃貸物件を借りれば済みます。
このように考えれば考えるほど、絶対に所有しておくべき必要なモノというのは、少ないのだなと思います。
まあ、極論なので、私はそういった生活はできないのが現実ですけれど(苦笑)
今回は、母のモノを処分した話と、処分した後の気持ちや、最終的には心持ちなども綴りましたが、現在の私は、まだ何も処分できていない状態です。
これまで、たくさん処分してきたのに、まだ部屋にはいろいろなモノがあり、ただ溢れてはいないというだけ。
何の役にも立たないモノも、まだたくさんあります。
そのひとつひとつに、区切りをつけて、なるべく早く処分できる日が来るように、頑張らないといけないな、と思います。