日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

病院では執刀医を指定しなければならない

2021年02月24日 | 日記
もうかれこれ20年以上前のことだが。
いままでに3回おこなった斜視手術の1回目のお話。
市内にある大学付属病院に有名な先生がいるという話を教えてもらい、そこに入院した。今では日帰り出術も可能だが当時は1週間は入院するのが当たり前で、仕事の関係もあり、かなり思い切った行動だった。
私は、その病院に行けば手術がうまくいくと思っていたが、執刀したのは若い女性医師で、横で指導しているのがその有名な先生だった。そのときその二人は眼球の移動距離を議論していた。そして手術は結果的に失敗した。つまり斜視は解決せず執刀前と変わらない状況で私はただ眼を切り刻んだだけに終わった。
入院中に、その有名な先生に叱られた。なぜ私を指定しなかったのかと。
そうか、手術は先生を指定しなければならないのだと初めて知った。
病院でもそんな事前確認は無かった。いい勉強になった。



うっせいわ は歌ってほしくない

2021年02月23日 | 日記
「うっせいわ」とかいう歌が流行っている?
教育上良くないとか言って、歌わせたくない親も多いと言う。
別に、今の流行りなら別に構わないと思うのだが、しかし・・・・・
私は、なんだか自分の薄い髪の毛が気になり、
別の意味で、あまり聞きたくない曲ないのだ。

千里浜は能登半島の飲料水と引き換え

2021年02月23日 | 日記
能登半島では、かつて水の不足に悩まされ続けた。
いまでも能登半島のあちこちに残る「ため池」が、その苦労と歴史を物語る。
その解決策は、白山を水源とする手取川の水を能登半島まで送るという壮大なものだった。
やがて、それは実現した。
しかし、その引き換えとして、能登半島の美しい砂浜は減少の一途をたどることとなった。
これが、千里浜が消失していく原因のひとつとなった。
しかし、千里浜がクルマで走れるなどというのは、実は本音としては、大した問題ではない。観光資源としての吸引力はイマイチで、実は今までそんなに目を見張るような成果はなく、しかもクルマは錆びやすい塩分を嫌うので、「海の波打ち際を走る」などという行為は、目立たない細部の劣化を早め、故障の原因となるから、好みが分かれるものだ。
だから、千里浜が消滅しても、そんなに一大事ではないのだから、これ以上、お金をかけて再生する意義はない。と個人的には思うのだが。

千里浜が消える

2021年02月22日 | 日記
クルマで走ることが出来る日本国内でただ一つの砂浜が消えていく。
これは、必然だ。
かつて手取川が氾濫するたびに、白山山系から大量の土砂が流出し、日本海の海流によって、その河口から遠くへ離れるにつれて次第に粒子が細かくなり、ちょうど千里浜あたりで適度な粒子の砂粒が堆積し、その結果、砂浜をクルマで走れるという非常に珍しく、かつ壮大な自然の現象が成立していたのだ。
今では、その手取川は全く姿を変え、一番上流では巨大なダムが飲料水確保のために鎮座し、それ以外の場所も、砂防工事によって土砂の流出は抑えられている。この微妙な自然のバランスを、全く原型をとどめない状態にまで変えておいて、今更千里浜の砂浜を守ろうなどと、のんきな事を言っても、それは無理だ。
もう「千里浜がクルマで走れる」などと言うのは、これから先、伝説となるしかないだろう。
さあ、日本全国の皆さん、今が見納めですから、千里浜に急ぎましょう。




車いす用駐車場

2021年02月19日 | 日記
スーパーの駐車場から出ようとしていたら、突然、「外国製の車」が邪魔だと言わんばかりのスピードで突っ込んで来た。
そのクルマは、障がい者用のスペースに停めようとしている。
そのクルマが駐車スペースに収まるまで、私のクルマは出られないので、じっくり観察しながら待っていると、やはり、どう見ても健常者だ。
つまり、健常者が、車いす用の駐車スペースに停めようとしている。
これは残念ながら、よくある話だ。
見ていると、うまく駐車スペースに収まらないので、何度も切り替えしている。そして最後にバックした瞬間、「ドスン」と音がする。
何だろうと見てみると、車いす用駐車スペースであることを示す「水が入った駐禁コーンブロック」だった。
本来停めてはいけないスペースに停めるから、「後ろめたさがあって、あせって、失敗するのだ。」
そんな近くに停めなくても、所要時間はたいして変わらない。むしろ、離れた場所に停めた方が、運動になって健康に良い。
いろいろと考えさせらるものだ。