石原慎太郎の「老いてこそ人生」を、速読ではなく、意識してゆっくり読んでいます。
第一章 人はなぜ走るのか
30歳を過ぎると、文字通り、走り出す、すなわちジョギングをはじめた。30歳を過ぎて、「老い」を感じ始めたからと筆者は記しています。
私の場合は、10代に走っていましたので、30歳で走り始めることはありませんでしたが、はじめたのが気功であり、テニスでした。
そして、40歳手前から水泳をはじめています。
「老い」なのか、「衰え」なのか、わかりませんが、身体上の「変化」を敏感に感じるようになるのが、筆者が言うように、30歳前後なのかもしれません。
筆者は、ある年齢になると、健康な肉体に健全な精神が宿るから、今までとは逆に、健全な精神が老いていく肉体を守ってくれると言います。健全な精神とは何も高尚なものではなく、要するに気力であると。
私は、身体を動かすだけでなく、仕事すること、頭を使うことも、最近強く意識し始めています。仕事で成果を出すこと以外の、まったく個人的な身体的な問題としてです。頭が衰えてたまるか、というある種の「抵抗」として、仕事をやらないといけないと思うこともあるのです。
身体や脳が、老いてたまるか、衰えてたまるか、というように、戦おうとしているのかもしれませんね。
第一章 人はなぜ走るのか
30歳を過ぎると、文字通り、走り出す、すなわちジョギングをはじめた。30歳を過ぎて、「老い」を感じ始めたからと筆者は記しています。
私の場合は、10代に走っていましたので、30歳で走り始めることはありませんでしたが、はじめたのが気功であり、テニスでした。
そして、40歳手前から水泳をはじめています。
「老い」なのか、「衰え」なのか、わかりませんが、身体上の「変化」を敏感に感じるようになるのが、筆者が言うように、30歳前後なのかもしれません。
筆者は、ある年齢になると、健康な肉体に健全な精神が宿るから、今までとは逆に、健全な精神が老いていく肉体を守ってくれると言います。健全な精神とは何も高尚なものではなく、要するに気力であると。
私は、身体を動かすだけでなく、仕事すること、頭を使うことも、最近強く意識し始めています。仕事で成果を出すこと以外の、まったく個人的な身体的な問題としてです。頭が衰えてたまるか、というある種の「抵抗」として、仕事をやらないといけないと思うこともあるのです。
身体や脳が、老いてたまるか、衰えてたまるか、というように、戦おうとしているのかもしれませんね。