絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

差は『差別』か

2006年06月03日 23時10分54秒 | Weblog
上の子のときにはそんなことはなかったが、
いま小学校で、先生が子どものことを呼ぶとき、男女の区別なく
「○○さん」と呼ぶ。ジェンダーフリーだそうな。。。
ほんとかなぁ・・・上から指示がでれば、先生方は自分の考えと違っても
そのような指導をされるのか?または、ご自分も同意されているのか?
まったく、叱るときも「○○さん!聞いてるの!」とかいって正直
違和感ありです

学校とは何かを考えるとき、勉強もさることながら人間関係等
さまざまなことを学び、世の中へ出たときの準備をしているように
思うのであるが(それは小学校から順に段階を経ていく)
この男の子も女の子も差なく「○○さん」と呼ばれるのは
現実の社会とは全然違うように思う。
文科省がジェンダーフリーの理念を掲げたとき
不当な男女の差別のない世の中作りを念頭に置き
未来を担う子どもたちの意識から男女差別をなくそうと思ったのか
どうか知らないが、その呼び方を同じにすることが
男女の差別ない社会の始まりだなんて、日本人の一体何割の人が
そう思うのだろう?過激なフェミニストとか?
差があることは『差別』なのか???

この前、対面朗読の講師が「視覚障害の人が健常者と同じように
図書館にぶらっと来て、読みたい本が読めないのは差別なんですね」と
言っていたが、正直この人の講義はもう聞く気がしない。
わたしも暇であるが、暇な人みながみなボランティアになりはしない。
それぞれに内的動機があり、自分の時間や労力を提供しようとしているが
わたしは、視覚に障害があるお客さんと自分のことを
『差がある』と考えたことはない。いや、確かに見えないかもしれないが
見えないことが「差別」だからヘルパーしているわけではない。
うまく言えないが、この講師がほんとうは障害者に対しなにか
高みから見下しているような気がして、気が滅入った。。。