ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆アメリカ・三日目、NASAへ アメリカでツーリングに挑戦!

2012年10月01日 | 旅行記

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 アメリカ三日目、9月23日である。
 レンタルバイクショップ、9時の開店を見計らって入店した。
 担当者は昨日の女性担当である。
 娘が「親切で感じの良い人」と云っていたが、言葉の壁を超えて、感じられた。
 提供車両の点検(傷とか・・)で同意を求められサインをし、手続きは完了した。
 そして、その人は契約書にある返却時刻(25日午前9時)を過ぎ10時30分位までは良いですよ!と付け加えてくれた。
 私としては、アメリカの極一部をツーリングする訳であるが、昨日、TFさん宅でのホームパーティーで、今日「セブンマイルブリッジ・キーウエスト」に行く話しを(娘が)した。
 言語が判らず、意味不明であったが、何か忠告をして頂いた様である。
 そして、計画を若干、修正しての行動となった。
 当初、キーウエストまで行く予定を、セブンマイルブリッジを渡ったところで折り返すこととした。
 時間的な制約が有ったことが最大の理由である。
 バイクを24日17時(閉店時刻)までに返却しなければ、25日午前7時の搭乗手続き前の時刻に、オーランド空港に行けなくなる。
 閉店時刻の17時までに返却出来なければ、帰国出来ないこととなってしまうのである。
 これらの時間的な制約に加え、昨日の忠告を勘案して、マイアミの手前で宿泊し、翌早朝(4時)ホテルを出発。
 セブンマイルブリッジを渡り終えた処で、折り返しオーランドのホテルに戻るという計画となった。
 エンジンの調子、油圧状況、走行でのブレーキング動作、チェンジ状況等を確認して、最初の目的地NASAに向け、ツーリングを開始した。
 初めて体験する6速エンジンである。
 レンタルバイクの予約が成立すると、現地での契約に関する記入要領や交通ルールに関する情報の提供があった。
 標識類について、見て(私の感覚で)意味不明なものは覚えるしかない。
 「進入禁止」、フリーウェイへの合流点に有ると言う「ゆずれ(VIELD)」や「制限速度」表示等を覚えた。
 日本と大きく異なる点は、右側走行であること、赤信号であっても左から進行車両がなく安全であれば右折が出来ること、踏切では一旦停車は必要でないこと等であろうか。
 右側走行に関しては、周囲の(車両走行)状況から、余り気にならなかったが、左折時に内側の左車線に進みそうで緊張でした。
 走行中、パスポートの写真に類似するよう整髪した為と、髪の毛のボリュームが無く、風圧でヘルメットがガサガサ揺れる。
 二時間程の距離を、先ずは最初の”アメリカ”を走りきった。
 NASA到着が正午前で、NASAの出発を14時30分とすることにして、自由見学とした。
 しかし、意思疎通上での不安もあり、買い物以外は同じ行動となっていた。
 ここアメリカに来る前に、バイクショップのKSさんに聞いていた「嵌るらしいよ!」との言葉どおり、見学コースも多種あるようで、時間を考え見学コースの選定は、娘夫婦にお任せしていた。
 集合・出発の時間となり、念願の「セブンマイルブリッジ」に向けNASAを後にした。
 遠い、そして、フロリダ”半島”と云っても広い。
 走っても・走っても、今日の目的地までの距離が縮まらない。
 日付が変る時間頃になってやっと、予約していたホテルを見付け、チェックイン前に、夕食を買いにコンビニに行った。
 明日は、午前4時出発である。
 早々に寝床についた。
 翌・24日早朝、暗闇のなかセブンマイルブリッジを折り返し、オーランドのバイクショップへ返却に向け出発した。
 まだ、太陽が昇らない頃、マイアミを通過した。
 ルート1号をキーウエスト向け南下。 フロリダ半島の本土から島伝いにキーウエストまで続く「オーバー・シー・ハイウェイ」を走行する。
 日の出は観られなかったが、此処、半島の本土と島を結ぶ橋の付近で、東の空が明るくなってきた。
 思い描いていた、新旧二本の橋が延々と続く風景を観て「本当に来たんゃ!!」と感動した。
 やがて、Uターン可能な場所を見つけ先頭車両がUターンした。
 私も、Uターンし、帰路に付いた。 今度は、逆方向の風景画が広がっていた。
 マイアミの手前付近?で、睡魔が襲ってきた。
 先頭車両が停止した。
 同じく、眠気で休憩すると言う。
 助かった。
 20分程、仮眠することとした。
 私も仮眠をとろうとしたが眠れなかったので、お土産ものとして二点、買物をした。
 マイアミを過ぎ、燃料ゲージが”E”に近づいてきた。
 先を走る車両の燃料容量の違いか、停車する様子がない。
 高速道路であり、ガス欠にでもなれば一大事と考え、サービスエリア(SA)と思われる看板にGSのマークがあったので、ヘッドライトをHighとLowを切り替え停車の意思を伝えた。
 すると、SAの手前のICで料金清算をして、高速を降りた。
 燃料を補給し、再度、高速道路に入った。
 そして、SAに入って停車した。
 売店の担当者に何やら聞いているようであった。
 この一連の行為については後で説明する。
 燃料タンク「空返し」で契約しているので、返却まで走行出来ると判断していたが、またもや”E”に近づいてきた。
 停車要請の信号を出そうとした時、高速を降りた。
 ガソリンゲージはEの上となり補給なしで走行可能と思った。
 16時過ぎ、無事に返却し、事故等での賠償の(預託金)支払いもなく返却が出来た。
 総走行距離780マイル(バイクのメーターでの走行距離)であったが、ショップのログでは1400マイルとなっていて、ショップの担当者が驚いていた。
 どちらが正しいか、検証はまだしていない。
 此処で先ほどの問題であるが、SAでなく料金所(IC)で降りて(給油はしたものの)再度、高速に入った事の問題は、前の料金所で、前を走る娘から「〇〇」と云って”切符”を振りかざしていた。
 後続の私の”切符”の交付を要求したが、認められなかった様で「”切符”を受取れ!」と言う意思表示であった。
 私は、何時ものとおりで良いと思い受取らずに通過した。
 それを観て、次の料金所で降りて、事情を話し問題を解決(一枚の切符で二台分の支払い)してもらった様である。
 加えて、我々は高速道路上に仕掛けられたTVカメラの様なものが沢山取付けられたゲートを少なくても三回程、通過していた。
 娘達が「何かおかしい」と気付き、走行中の車両の中で調べた様(インターネット)で、日本で云う「ETC」未搭載車は通過してはいけないレーンだったようである。
 そして、そのゲート付近には”〇〇カードだけ(only)”と言う表示があった。
 従って、この表示の説明と”カード”が必要なら購入すべくSAに入った様であった。
 違反(無申告)なら数百ドルの請求があるらしい。
 返却時に、バイクショップの担当者に、その旨を話すと「判りました。
 (当局?から)請求があった時点で登録してあるキャッシュレスカードから引き落とさせて頂きます」との事で、よくある間違いの様であった。
 自動車の方も同じ処理を返却時に申告して処理することとした。
 請求額は数ドル程度の様であった。
 今日も、波乱万丈の一日であったと思う。
 いよいよ、明日は日本に帰る日である。
 無事に行程が終了したので”祝杯”を挙げよう!と云う事になった。
 しかも、日本的料理で・・・とは言え、右も左も判らない場所である。
 結局、Mさんが教えてくれた”西部劇に出てきそうな佇まいのお店”で、最終の夕食をとることにした。
 ビールの提供はあるだろうと期待したが駄目であった。
 私は、最後の食事に「ビフテキを!」と思い注文したが、揚げた肉料理が出てきた。
 ビーフ〇〇の頭に何か書かれていた。
 娘に聞くと、出された料理の意味であったようで、失敗した。
 近くにあったマーケットでビールとおつまみ、明日の朝食を買ってホテルに帰った。
 荷物をまとめ、帰り支度を整えた。
 明日の問題点、それは、娘夫婦は30日に帰国する。
 従って、出国手続きは、乗換え空港であるワシントン・ダレス空港である。
 オーランド空港を出ると、私たち年配三人組だけとなることから、これまた心配の種である。
 さて、如何なる事になるのでしょうか?
 今日の絵日記の絵(写真)は3枚で、写真・左より写真:1~写真:3とする。
 写真:1 レンタルしたバイクと私、駐車場での試験運転も済ませた。
 写真:2 NASAに向かって、高速走行中
 写真:3 ケネディ宇宙センター(NASA)入口

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☆アメリカでの二日目

2012年10月01日 | 旅行記
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 9月22日 アメリカ二日目で、今日の絵日記の絵(写真)は、訪問したTFさん邸の三枚である。
 写真・左は、TFさんのご自宅 玄関部分
 写真・中は、ウッドデッキに続く建築中の東屋? この東屋は、TFさんの手造りとの事であった。
 写真・右は、中庭のプール(深さ1.5m)
 昨夜、オーランド空港で出迎えて頂いた、Mさんの孫娘であるTFさんが、ホームパーティーを開いて歓迎して頂けることになり、訪ねることとなった。
 TFさんとは、25年ぶりの再開である。
 最初にお目にかかった時は、14~5才だったが、今では二児の母親となっている。
 再会がたのしみである。
 アメリカ二日目をホテルで目覚める。
 朝食を食べるため、ホテルから車で10分程のところにある、人気のお店ということで、Mさんが案内してくれた。
 西部劇に出てくる様なお店の佇まいで、順番待ちの状態で”人気のお店”と言う感覚が伝わってくる。
 私の日常的な朝食は、軽めなことから、ベーコンと目玉焼きがメインとなった定食に牛乳を注文した。
 牛乳が美味しかった。
 朝食を済ませると、最近出来たという巨大な”ショッピング・モール”を案内された。
 此処で、娘夫婦は、プリペード式の携帯電話を購入していた。
 MさんやTFさんとの連絡用に、そして明日と明後日は、自動車とバイクの二本立てとなるため、連絡用にと気遣って二台、購入してもらったものであった。
 店舗の広さに驚くとともに、広大な土地を有するアメリカと言うことか、駐車場も立体駐車場でなく、平面な駐車場である。
 広大過ぎて何処に駐車したのか判らなくなるのではないかとか、駐車場と店舗を結ぶ連絡バスが要るのではないかと、要らぬ心配をした。
 Mさんにお願いして、予約してあるレンタル・バイクのお店に連れて行ってもらった。
 そして、手続きを今日、済ませておけば明日、素早く行動が出来るとの考えからである。
 手続きで、娘の語学力で無理な部分はMさんが補って頂き、無事に手続きは完了した。
 契約の中に「日本語サポート」という事項を追加していたが、手続きでのサポートはMさんのご助力で、不要であった。
 昼食を済ませ、TFさんのお家に向かった。
 一時間半程、自動車で移動し、15時頃に到着した。
 湖畔に佇む住居は、環境的にも、住宅そのものも素敵であった。
 TFさんがビール(瓶)を出してくれた。
 アメリカ式と言うか”ラッパ飲み”である。
 瓶の栓は普通に変らない王冠であるが、栓抜きが無くても、手で開けらるもので感心した。
 やがて、ALさん(母親)と娘さんのANとGLがやって来た。
 ALさんとANとは、15年来の再会である。 
 GLは5年前に来日した折、お会いしている。
 Mさんのご主人の兄弟達(弟と妹、息子)も来た。
 娘と懐かしい再会の挨拶を交わしていた。
 夕食時になって、分厚いステーキ肉を振舞われた。
 お腹いっぱいになった。 
 予めTFさんから”焼き加減”を聞かれたが、無難な”普通で!”とお願いしていた。
 夕食も落ち着いたところで、MさんやGLが来日した時の写真をスライドショーにして、TV(DVD)若しくは、パソコンで観られるようと二種類のディスクを用意してあったものを、プレゼントした。
 不安であったTV(DVD)で観られたので一安心であった。
 21時も過ぎたことから、ホテルに帰ることにした。
 地理不案内な私達を気遣って、TFさんが途中まで道案内をしてくれることになって、無事にホテルに着くことが出来た。
 TFさん、お世話になりました。
 そして、ご馳走様でした。
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