2015年5月27日に訪れた「福島市(福島県庁の写真)」そして「JR福島駅」。
福島駅に、二つあったと記憶するモニュメントが、二つとも東側だった?と、記憶が曖昧であった。
それと、ホテルの自室で、食べた夕食を、何処で買ったのか?が思い出せず、日記を書くに当たって、気掛かりとなった。
撮りとめた写真や、NET等を頼りに、記憶を呼び戻してみた。
結論として「JR福島駅の在来線は東側、新幹線は西側に位置し、東口・西口の双方を訪れていた」ことが証明?された。
スッキリ!!
在来線側の東口である。(写真・左から1~4とする)写真をうリックすると拡大します。
写真:2の「古関 裕而」氏のモニュメントは、写真:1の左、立ち木と天井を有する一角に設置されている。
また、一時代を感じさせられる「福島駅」の看板(写真3)も、東口で見かけたものである。
写真:4は、在来線の改札口
そして、東口から地下通路で西口へ
JR福島駅・西口である。
在来線は地上であるが、新幹線ホームは、高架橋である。
写真・左は、西口から福島駅(新幹線ホーム側)を観たものである。
そして、写真の右は、西口広場にあった、もう一つの「モニュメント」である。
・
この記憶を呼び戻す”ゲーム”の発端となったのは「(福島では、居酒屋などで無く)ホテルの自室で食べたよね!」
「何処で買った?」「東口には(食品販売は)無かったよね!」「東口と云う事は、西口があった?」「地下道の様な所で、自衛艦の展示物をみたよね!」
自問自答した。
日記「冨士へ・そして東北へ Ⅴ(2015.6.6)」の添付写真:4・5は説明不足であった。
「写真・4:JR福島駅西口」そして「写真・5:JR福島駅東口」が、正しい標記(説明)である。
これは、福島で食した「夕食」である。 ご心配する事なかれ、この映像に隠れた”晩酌”と称する一物は存在します。
このパッケージの表示を拡大し、食品販売店が判明した。
この販売店は、西口にあることから”曖昧だった記憶”を正すことが出来た。
この日(福島の夜)は、弁当と酒のツマミでも買って、TVでも観ながら食べよう!と思った事であった。
何を買って食べたか? それは写真が証明した。
何処で買ったのか?等、人(此の場合は”私”)の記憶も曖昧だなぁ!と思った。
そして、その記憶を呼び戻す”キー(日付や店名など確かな証拠)”が、食品のラベルであったことも意外であった。
福島駅に、二つあったと記憶するモニュメントが、二つとも東側だった?と、記憶が曖昧であった。
それと、ホテルの自室で、食べた夕食を、何処で買ったのか?が思い出せず、日記を書くに当たって、気掛かりとなった。
撮りとめた写真や、NET等を頼りに、記憶を呼び戻してみた。
結論として「JR福島駅の在来線は東側、新幹線は西側に位置し、東口・西口の双方を訪れていた」ことが証明?された。
スッキリ!!
在来線側の東口である。(写真・左から1~4とする)写真をうリックすると拡大します。
写真:2の「古関 裕而」氏のモニュメントは、写真:1の左、立ち木と天井を有する一角に設置されている。
また、一時代を感じさせられる「福島駅」の看板(写真3)も、東口で見かけたものである。
写真:4は、在来線の改札口
そして、東口から地下通路で西口へ
JR福島駅・西口である。
在来線は地上であるが、新幹線ホームは、高架橋である。
写真・左は、西口から福島駅(新幹線ホーム側)を観たものである。
そして、写真の右は、西口広場にあった、もう一つの「モニュメント」である。
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この記憶を呼び戻す”ゲーム”の発端となったのは「(福島では、居酒屋などで無く)ホテルの自室で食べたよね!」
「何処で買った?」「東口には(食品販売は)無かったよね!」「東口と云う事は、西口があった?」「地下道の様な所で、自衛艦の展示物をみたよね!」
自問自答した。
日記「冨士へ・そして東北へ Ⅴ(2015.6.6)」の添付写真:4・5は説明不足であった。
「写真・4:JR福島駅西口」そして「写真・5:JR福島駅東口」が、正しい標記(説明)である。
これは、福島で食した「夕食」である。 ご心配する事なかれ、この映像に隠れた”晩酌”と称する一物は存在します。
このパッケージの表示を拡大し、食品販売店が判明した。
この販売店は、西口にあることから”曖昧だった記憶”を正すことが出来た。
この日(福島の夜)は、弁当と酒のツマミでも買って、TVでも観ながら食べよう!と思った事であった。
何を買って食べたか? それは写真が証明した。
何処で買ったのか?等、人(此の場合は”私”)の記憶も曖昧だなぁ!と思った。
そして、その記憶を呼び戻す”キー(日付や店名など確かな証拠)”が、食品のラベルであったことも意外であった。