HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ELO(エレクトリックライトオーケストラ)

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
今、TVでやっている「電車男」のオープニングか挿入歌でELOの「トワイライト」が使われています。スタッフもよくこの曲を見つけてきたな~って、あまりにぴったりでうれしくなります。私は「ディスカバリー」というアラジンをモチーフにしたコンセプトのアルバムを持っているんだけど、その中にも電車がらみの曲は入っているんですよね。彼らはきっと日本に住んでいたら「宮沢賢治」のファンになるだろうな(笑)

彼らのサウンドはシンセサイザーを駆使し、ポップでスケール感あるロックを作り上げています。随分と前の曲なのに「トワイライト」も新鮮ですよね。深くは彼らのことは知らないけど、曲はいろいろ聞いたことがあって、一枚だけもっているアルバムもいい曲がいっぱいで何度も聞きました。

それこそ肩に力入れることのないロックがELOのロックなんですね。

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英語

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
英語を好きになるか嫌いになるかはその出会い方によるのでしょうね。私は幸いにも出会い方がよかったようで、最初はずっと片思いでしたが、少しづつ振り向いてもらえるようになりました(笑)

そもそも出会いは海外のドラマ。NHKなんかでやっている子どもやティーンエイジャー向けのドラマ。もちろん吹き替えなんですが、それ見てて、イギリスやアメリカってどんな国なんだろうって・・・。そして本を読むのも好きで、しかもやっぱりイギリスの作家の本をよく読んでいたので想像が広がるわけです。さらに父が映画好きなので、洋画を字幕で見たりして、その時聴いた英語に異国の香りを感じて、素敵だな~って幼心にあこがれたわけです。偶然にも親友のお母さんが英語の先生で家に遊びにいくと英語のお話の本がいっぱいあって、絵だけ見ていてもおもしろそうだと思っていたら、そのお母さんが貸してくださったんですよ。ますますわけわからないけど英語というものにファンタジーを強く感じるようになるわけです。しかも友達のお母さんはときどき友達と私に英語を教えてもくれたんです。もちろん月謝なんてとらず、でもかなりきっちりと遊びにいった時に30分ぐらいテキストも用意してくださって単語とか教えてくれたんです。ほんと感謝しなければいけません。

でも小学5年の時に私は引っ越したので、そのレッスンは終わりました。しかし、中学になってロックと出会ってからは今度は「ロックバンドのメンバーにインタビューしたい」という安易な気持ちが高まって、英語に力が入るようになります。しかし、中学3年になるまではさんざんな成績で、なんで英語ができないのだろう・・・といつも思ってました。習っていた英語の先生からも、もう少しがんばろう・・・って感じで。しかし、「好きだ」という気持ちは大事なようで、片思いであった英語に好かれるように(笑)なんども挫折を感じながらも勉強しました。すると中学3年で突如、期末テストですごくいい点を取れて、やっと英語に握手してもらった感じがしました。

ゆえに高校に入ってからも英語が楽しくて、さらにロックを聴けば聴くほど、イギリスに行くためには英語を磨かねば・・・とはりきっておりました。

しかし、会話となるとあまり発音とかが上手くなく、落ち込んでる日々でしたね。

大学も英文科だったし、卒業後もなんらかの形で常に英語はそばにあって、仕事でもずっと関わってきてました。

ところが、去年勤め始めた今の会社ではごくたまにしか英語を使うことはありません。ゆえに1年経つとすっかり英語から離れている自分に気付き、がく然としたものです。このまま忘れ去るのか~って。もちろん音楽や映画では触れる機会はありますが、自分で文章を書いたり、翻訳するなんてことはないですものね。

あるバンドの方が一度だけある文章を英語にしたらどうなるかと聞いてくれたことがあり、その時はかなりうれしかったです。ゆえにいろいろ表現を考えましたね。

昨日の朝、たまたまあるインディーズバンドのHPで新曲の歌詞を見ることができました。すると不思議なことに英語が浮かんできたんですよ。なんかこの日本詩を英語にしてみたいって気持ちになって・・・あれよあれよという間に全部ではないけど、一部英語にしてしまいました。勝手なことをしてしまったのでしょうが、これである意味自分が癒されたのでそのバンドの詩を書かれた方、ここを見ていないかもしれませんが許してくださいね。

英語を日本語にしたり、日本語を英語にしたりする時は実は直訳はできないんですよね。生の(笑)イギリス人やアメリカ人と接してきて、直訳では通じないことがほとんどだと体感しているので。相手がイメージできるように表現することが大事だと。もちろん共通の文化や生活スタイルもあるのかもしれないけど、多くは違うわけで・・・

また、歌詞の場合はリズムというのもあるので、韻を踏むまでにはいたってませんが、今回とりあえず読んで、なるべくなめらかに繋がるような単語を選びました。
そして「花が枯れる」という時に「枯れる」は本来、deadという単語を使うのですが、その単語を私自身はあまり使いたくなかったので、「枯れる」をイメージした表現・・・頭を垂れて行く感じの単語を使いました。

それと最初思ったままに書いて間違えたのが、もとの日本語詩に「忘れない」(don't forget)とあったところを、うっかりdon't remember、そう「思い出さない」にしてしまって・・・お恥ずかしいことですね。まったく反対の事ではありませんか。たまにこれがテレコになるバカな私です(汗)

妙な話ですが、日本語詩を英語にしてみるとさらにその日本語詩の深さを感じられるんですよ。いろんな表現が浮かぶほど、その日本語詩には奥行きがあるわけで・・・

なんか久しぶりに楽しかったです。まあ、一人で家で勝手に楽しんでいるだけなんですけど・・・別に誰からも頼まれているわけでもなく、喜ばれるわけでもないのに(笑)
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祇園祭宵山☆

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
一昨日さんざん人込みをぼやいていたのにまたまた昨日も京都へ参上。とにかく中心部を避けるように囲い込み作戦で、まずは京都駅の南あたりの用事を済ませ、そこから新堀川通りを北上し、御池通りを右折(って、京都の人じゃないとなんのことかわかりませんね。)そして、かろうじてすれすれのところでゼストの駐車場へ・・・。そこへ行くまで観た光景は多くの浴衣姿の人たちと警察官と道の両側に並べられたイスイスイス!今日の山鉾巡行の観覧席のイスなのかな~。

ふと思ったけど、誰かさんはまたこういうイス並べのお仕事されたのでしょうか?なら、かなり大変だったでしょうね。

あの御池あたりで用事があったので、しかたなく行ったのですが、その後、地上に出る元気もなく、地下街のゼストというところ(人が少なくて、私にとってはオアシスです・笑)で本屋さんやパン屋さんに寄って、少し買い物してから祇園祭の宵山に今年も参加することなく帰路へつきました。そうそうある人が言ってましたね。「祇園祭に行けというのは罰ゲームみたいなもんだ」

でも、実のところ私の亡くなった伯父はこの祇園祭とかなり深いかかわりのあった人だったんですよ。なのに私はいつも祇園祭をまるで遠い外国のできごとのように小さい時から見ていて、まったく無関心でした。伯父はきっと私にも参加してほしかったんでしょうね。伯父は一見恐い雰囲気だったけど、なんとなく好きで、まだ幼かった私に

「人という字をみてごらん。人は一人では生きて行けないんだよ。ささえあって初めて人になるんだよ」

と何度となく話してくれました。

祇園祭をまた別の面から見てみようかな・・・
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