今日帰宅してテレビをつけたら、安藤裕子が出ていた。そして『のうぜんかつら』を歌っていた。これは彼女の祖母が先立ってしまった祖父を思って書いた詩にメロディをつけて作ったそうだ。詩をよくよく聴いてみたら、ふとある曲を思い出した。
京都の今は無きインディーズバンド「PACES」の『歪む窓辺にて』だ。もちろんPacesの方がずっと前に作っているわけで、Pacesと安藤裕子の接点は無いと思う。でも、不思議なんだ。どちらも長年連れ添った相手に先立たれた人の歌なんだ。深くしわを顔に刻んだ人の歌なんだ。彼は男性の立場からで彼女は女性の立場から。でも、思う気持ち、伝えたい事は同じように思えた。
2人は似た世界観の人なのかもしれない。
誰もがいつかは迎える「死」。リリー・フランキーが言ってたね。
「この世のすべての人が絶対に必ず体験する悲しみ。これを皆耐えて超えて行くかと思うと交差点で行き交うたくさんの人がすごい人たちに思える」って
残された人の気持ち。そして、自分が召されるその日を迎える時の気持ち。
そういえば、Flangeのある曲にもPacesの『歪む窓辺にて』にも共通のテーマがある。
「自分がこの世の最後に見る風景」
きっと詩を書いた彼はそれをずっと探しているんだろうね。そして、この世のすべての人も・・・
京都の今は無きインディーズバンド「PACES」の『歪む窓辺にて』だ。もちろんPacesの方がずっと前に作っているわけで、Pacesと安藤裕子の接点は無いと思う。でも、不思議なんだ。どちらも長年連れ添った相手に先立たれた人の歌なんだ。深くしわを顔に刻んだ人の歌なんだ。彼は男性の立場からで彼女は女性の立場から。でも、思う気持ち、伝えたい事は同じように思えた。
2人は似た世界観の人なのかもしれない。
誰もがいつかは迎える「死」。リリー・フランキーが言ってたね。
「この世のすべての人が絶対に必ず体験する悲しみ。これを皆耐えて超えて行くかと思うと交差点で行き交うたくさんの人がすごい人たちに思える」って
残された人の気持ち。そして、自分が召されるその日を迎える時の気持ち。
そういえば、Flangeのある曲にもPacesの『歪む窓辺にて』にも共通のテーマがある。
「自分がこの世の最後に見る風景」
きっと詩を書いた彼はそれをずっと探しているんだろうね。そして、この世のすべての人も・・・