久しぶりにdoriちゃんから電話があって。 doriちゃんというのは私の小学校3年生から中学2年生までを知っていて、今でも交流のあるたったひとりの人で。
なんでも来年の年明け早々、中学時代の同窓会があるとかで、そのお知らせをFAXするからという内容でした。
私ね、転勤族の娘だったでしょ。だから・・・同窓会っていうのにほんと縁がなくてね。去年の大学の同窓会がはじめてだった。
だいたいの所で私は追跡不可能の行方不明者扱い。
例えば、今は違う土地で暮らしていても、そこに帰れば誰か見知った人がいる、っていう『故郷』を皆持ってるでしょ?
私には故郷ってものがないの。 どこもかしこも暮らしたことはあるけれど、そこに
私を覚えている人がどれほどいるかっていうと・・・疑問。 勿論、その街がどう変わっていて、どうなっているかも分からない。
卒業アルバムに残った私の姿が、それ以上の価値を持たない。
送ってくれたFAXに、覚えのある名前の人がいたけれど、顔も定かじゃないし、私がそうであるように、向こうも私を覚えてなどいないだろう。
子供の時からずっとそうだったから、私の中には一箇所に定住する、という感覚が今でも希薄。 京都に暮らして30余年がすぎているのが逆に不思議だったりする。
同窓会って言ったって、doriちゃんの知らせてくれた浜松の中学は2年間通っただけで、卒業は富山の学校だった。 だから、浜松の中学の卒業アルバムに私はいないし、富山の中学に写真があっても、たった一年しか在籍してない私を覚えている人もいないだろう。
そうそう、この浜松の中学から転校して新しい学校に通い出した時の事を書いたのが
あの・・・ガクさん卒業文集のそれ。
小学校も、前半と後半の三年ずつで違う学校だったから、前半の低学年の頃に通っていた学校の名前すら覚えていない。
高校ではじめて入学から卒業まで同じ学校生活を送ったけれど、富山には良い思い出なんかひとつもなくて・・・多分、二度とあの街には行かないだろう。
もう少し時間的に余裕が出来たら、自分の住んだ事のある街を歩いてみたい、なんて事を思わないでもないけれど、どこに行ってもきっと私は、そこに故郷の匂いなんか感じないのだろう。 大好きだったのに飛行機事故で突然亡くなった作家の向田邦子さんも転勤族の娘だったという。 彼女のエッセーにも、転勤族の娘の哀歌?を綴った文章があったと思う。
勿論、とても素晴らしい文章だった。 それに比べて・・・ははは、比べるな。おこがましい!
なんでも来年の年明け早々、中学時代の同窓会があるとかで、そのお知らせをFAXするからという内容でした。
私ね、転勤族の娘だったでしょ。だから・・・同窓会っていうのにほんと縁がなくてね。去年の大学の同窓会がはじめてだった。
だいたいの所で私は追跡不可能の行方不明者扱い。
例えば、今は違う土地で暮らしていても、そこに帰れば誰か見知った人がいる、っていう『故郷』を皆持ってるでしょ?
私には故郷ってものがないの。 どこもかしこも暮らしたことはあるけれど、そこに
私を覚えている人がどれほどいるかっていうと・・・疑問。 勿論、その街がどう変わっていて、どうなっているかも分からない。
卒業アルバムに残った私の姿が、それ以上の価値を持たない。
送ってくれたFAXに、覚えのある名前の人がいたけれど、顔も定かじゃないし、私がそうであるように、向こうも私を覚えてなどいないだろう。
子供の時からずっとそうだったから、私の中には一箇所に定住する、という感覚が今でも希薄。 京都に暮らして30余年がすぎているのが逆に不思議だったりする。
同窓会って言ったって、doriちゃんの知らせてくれた浜松の中学は2年間通っただけで、卒業は富山の学校だった。 だから、浜松の中学の卒業アルバムに私はいないし、富山の中学に写真があっても、たった一年しか在籍してない私を覚えている人もいないだろう。
そうそう、この浜松の中学から転校して新しい学校に通い出した時の事を書いたのが
あの・・・ガクさん卒業文集のそれ。
小学校も、前半と後半の三年ずつで違う学校だったから、前半の低学年の頃に通っていた学校の名前すら覚えていない。
高校ではじめて入学から卒業まで同じ学校生活を送ったけれど、富山には良い思い出なんかひとつもなくて・・・多分、二度とあの街には行かないだろう。
もう少し時間的に余裕が出来たら、自分の住んだ事のある街を歩いてみたい、なんて事を思わないでもないけれど、どこに行ってもきっと私は、そこに故郷の匂いなんか感じないのだろう。 大好きだったのに飛行機事故で突然亡くなった作家の向田邦子さんも転勤族の娘だったという。 彼女のエッセーにも、転勤族の娘の哀歌?を綴った文章があったと思う。
勿論、とても素晴らしい文章だった。 それに比べて・・・ははは、比べるな。おこがましい!
でも、今夜は中秋の名月が見られそうですね♪
このご近所には、ススキがなくなったので、遠くまでススキを求めて探し回らないといけないんです。(トホホ・・・)
私のように、幼稚園からずーっと顔ぶれが一緒っていうのも、かなり辛い!!
子どもの頃についた、最初の印象が、ずーっとついて回る。
そんな私、クラス会、同窓会の類には参加したことがないしぃ~!
まとまりのないクラスだったから、誰もそんな話をしないみたい???
何時も思いますんです・・どうして転校生を苛める?のか不思議に思ったいます??・・・
昨日はあの子(ルグラン嬢)に会って来ました!!
あの子は8歳でしょ!!プロのモデルさんのようでおしゃまさんが可愛くって・・うふふ好きなんですよ!!
色色お騒がせ致しました。
ほぼ同じ顔ぶれですごしました。
滅多にこない転校生が小5の時に来た事は、
ものすごい印象的でした。
その子は中1までいてまた他の地へ引っ越ししていきましたけど、
私には鮮やかな思い出として残ってます。
…特別仲が良かったわけではないし、
その子にしてみたら生涯に出会ったたくさんの友達の1人で
それこそ顔も覚えてないと思いますが♪
がくまむさんが出会ってきた人の中に、
もしかしたらそんなヒトがいるかもしれませんよ。
転校先は全校生徒16人の小学校でした。
貴重な体験ができたなぁ。
思える地があればどんなんだろう?って思うことがあります。 転勤族ってね、例えばその地を訪れて、
自分が暮らした社宅に行っても、隣のおばちゃんだった人もまた転勤していて、ほんとにだぁれも知らない、っていう事があるのよ。
ずっと一緒というのもイヤだけど、何にもない、っていうのも胸塞がれるものよ~。あ~、かまってちゃんになってきた(笑)。
若い時に転々とした為、同級生で私の住所を知ってる者はいないでしょう
今夏、帰省時に23年振りに同級生に会いましたが、お互い時間無く2,3分ほどの会話で、今度飲みに行こうな!と。。。次に会うのは何年後か???
どうかもわかんないや。 なんせ、卒業校違うしね。
別に逢いたい人もいないんだけど、新幹線に乗れる
チャンスやん♪ 子供か?私は!
映画に行ってきま~す。
次の
転校してきてすぐに実力テストがあって、席次を廊下に貼り出されました。私、全くのマグレでベスト3に入ったので、勉強が出来る転校生って思われた。マグレだったのにね!
同窓会は都合が良ければ出来るだけ 出席するようにしてます。7月に小学校の同窓会が10年ぶりに行われ、楽しかった。初恋の人って言われたし(爆)!
がくまむさん、doriさんと会えるし、思い切って行ってらっしゃいな。
doriちゃんとは、彼女の娘さんが関西の大学にいるのでこのところ会う事もあるんだけど・・・浜松40年くらい行ってない。まるで外国じゃない?
それぞれ色々な思いがあるのですね。
地元という響きは懐かしさと共に苦味もあって、複雑。
博学で、なんでも良く知ってたし、海外派遣に備えて、英語は勿論、ポルトガル語もマスターしてましたね。ただ、その頭の良さが娘には遺伝しなかった(汗)。 やっぱりないものねだりなのかしらね。故郷のある者はわずらわしさを思い、無い者は憧憬すら覚え・・・。