余命一ヶ月の花嫁 マガジンハウス TBS“イブニング・ファイブ”編
2007年12月13日 初版
思えば、ン十年前、『愛と死を見つめて』を読み、『我が愛を星に祈りて』へと続き、『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』と至った、闘病~死への物語。
もう、絶対だめなんです。 大泣きします。
この本も、癌であと一ヶ月と余命を宣告された女性が、共に闘おうと言ってくれた恋人と前向きに頑張って、結婚式もサプライズ?で上げたけれど、やっぱり神様は彼女を連れて行った、という記録物です。
いつでしたか。結婚式当日、自分で運転していて事故にあった花嫁となるべき人がいた。 事故だったのに、結婚式に遅れてはならないと大丈夫だと言い残して式場へ向かい、式の最中だったか着付けのときだったかに内臓出血で亡くなった、という、これまたなんともいじらしいというか、壮絶なことが起こりましたよね。
新聞の記事読んでて、ぼたぼた涙がこぼれたものでした。
それ以来のショックかもしれない。
人の死が、たとえ大往生と呼ばれておめでたいものよ、なんて言われた歳になったところで、悲しかったり辛かったりするのには間違いない。だから・・・
普通の人の死にランクがあってはならないのだけれど、私は凡人なので、やっぱりこんなに若くて美しくて、これから先にどんどん未来の広がる人の死はむごいと思う。
写真でみる限りでは末期癌の患者で想像しがちながりがりにやせ細った姿のかけらもない。結婚式の写真を見てると、酸素ボンベのお世話になって立つこともままならない女性の姿とは到底思えない。
幸せそうで、華やかで美しい姿だ。
私は以前にも書いたけれど、いきなりの突然死に比べて、ある程度の余命のわかる癌という病気は・・まだ・・優しい病気だと思っている。
それは長患いをした父が、最晩年に身の回りを整理し、遺言めいたものをノートに書き綴っていたのを発見したときから、私の中で確信になっていた。
でも、さすがに、この若さでは辛すぎるだろうと思った。
この間も、若者に語ってしまったのだけど、私はもう今いつ死んでも悔いはないの。
見るべきものは見つ、じゃないけれど、もうやりたいことはやってきたし、これから先やりたいと思うことが出てきそうもない。
いろいろあっても案外今までの人生は幸せだったし、今ならいや~な婆さんにならずに多少は惜しまれて逝けそうな気もしてる。
なので、いま召されてもわたし的にはなんの不満もないの。でも、それはきっと、一応この世に生まれてきて、人を愛し結婚し、子供も不出来ながら作って、というコースを終了したから言えることなんだろう。
彼女の若さで、あれほどの笑顔を末期に持っていられる自信はない。
人の命の長さが順番制でないから、人は自分の終わりのときを知らずにのほほんと生きていけるのだとは分かっていても、やっぱり若すぎる死はむごいと思った。
明日が来るのは奇跡なんだよ、この言葉を忘れないでいよう。
2007年12月13日 初版
思えば、ン十年前、『愛と死を見つめて』を読み、『我が愛を星に祈りて』へと続き、『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』と至った、闘病~死への物語。
もう、絶対だめなんです。 大泣きします。
この本も、癌であと一ヶ月と余命を宣告された女性が、共に闘おうと言ってくれた恋人と前向きに頑張って、結婚式もサプライズ?で上げたけれど、やっぱり神様は彼女を連れて行った、という記録物です。
いつでしたか。結婚式当日、自分で運転していて事故にあった花嫁となるべき人がいた。 事故だったのに、結婚式に遅れてはならないと大丈夫だと言い残して式場へ向かい、式の最中だったか着付けのときだったかに内臓出血で亡くなった、という、これまたなんともいじらしいというか、壮絶なことが起こりましたよね。
新聞の記事読んでて、ぼたぼた涙がこぼれたものでした。
それ以来のショックかもしれない。
人の死が、たとえ大往生と呼ばれておめでたいものよ、なんて言われた歳になったところで、悲しかったり辛かったりするのには間違いない。だから・・・
普通の人の死にランクがあってはならないのだけれど、私は凡人なので、やっぱりこんなに若くて美しくて、これから先にどんどん未来の広がる人の死はむごいと思う。
写真でみる限りでは末期癌の患者で想像しがちながりがりにやせ細った姿のかけらもない。結婚式の写真を見てると、酸素ボンベのお世話になって立つこともままならない女性の姿とは到底思えない。
幸せそうで、華やかで美しい姿だ。
私は以前にも書いたけれど、いきなりの突然死に比べて、ある程度の余命のわかる癌という病気は・・まだ・・優しい病気だと思っている。
それは長患いをした父が、最晩年に身の回りを整理し、遺言めいたものをノートに書き綴っていたのを発見したときから、私の中で確信になっていた。
でも、さすがに、この若さでは辛すぎるだろうと思った。
この間も、若者に語ってしまったのだけど、私はもう今いつ死んでも悔いはないの。
見るべきものは見つ、じゃないけれど、もうやりたいことはやってきたし、これから先やりたいと思うことが出てきそうもない。
いろいろあっても案外今までの人生は幸せだったし、今ならいや~な婆さんにならずに多少は惜しまれて逝けそうな気もしてる。
なので、いま召されてもわたし的にはなんの不満もないの。でも、それはきっと、一応この世に生まれてきて、人を愛し結婚し、子供も不出来ながら作って、というコースを終了したから言えることなんだろう。
彼女の若さで、あれほどの笑顔を末期に持っていられる自信はない。
人の命の長さが順番制でないから、人は自分の終わりのときを知らずにのほほんと生きていけるのだとは分かっていても、やっぱり若すぎる死はむごいと思った。
明日が来るのは奇跡なんだよ、この言葉を忘れないでいよう。
私の場合、娘二人も結婚したし、孫の可愛さも実感して、人生過程は一応体験済みだから、未練は無い。
と言いつつ、余命いくばくと分かったら、気が小さいので、悟れずに、この世に執着するかも・・・
ただ、今のところ元気な老親より先に逝けないです。
先日判決が出た、飲酒運転による追突で亡くなってしまった、幼い3兄妹の可愛い笑顔が、断ち切られた事がやりきれない。
けれど、現時点でね・・・私は父の発病~闘病~
死、という姿を見つめてきたものとして、とても
変な表現なんだけど『大丈夫、私、一人でもちゃんと死ねるよ』って思ってる。
彼女の笑顔は彼女自身の強さもあるけど、周りの人の愛情と優しさがそうさせているのだと思いますね。
事故死です。
ウチの場合はまず間違いなく親は長生きできないでしょうから、俺が親より先に死ぬことはないとは思うけど…
事故は怖いな…
また、明日あたりから崩れるそう???→天気予報が・・
私も、kettyさん同様、できることなら、母を看取ってから逝きたいものですが・・・。
こればっかりは、どうしようもないことでしょうから・・・。
結構、怖がりだけど、父が迎えに来てくれると信じているから・・。
その日まで、明るく楽しく過ごしたいものですね♪♪♪