百年小説(その弐)

 1月22日に『百年小説』(ポプラ社)を購入したと書いた(こちら参照)。風邪で寝込んでしまい読めない日もあったが、日に一篇もしくは二編を読み、今日までに十四編を読んだ。近頃流行の「大衆小説」もどきの軽いものではなく、短い中にも心を動かす力を秘めた佳作揃いである。それもそのはず、太宰治、堀辰雄、林芙美子などなど、大家の作品が並んでいるのだから。

 先に「しかしだ、タイトルは何ゆえに『百年小説』なのか。百年読み継がれて来たということなのか、これから百年読み継がれて欲しいという期待を込めての命名なのか」と書いたが、その答えは各篇の前に書かれた作者を紹介する小文の中にあった。全51作品が作者の生年順に並んでいる。最年長は1862年の森鷗外。そして最も若いのが1909年生まれの太宰治であった。つまり、太宰が生まれてから100年目に出版された、太宰より年長の作家の短編集なのである。

 特に理由はないのだが、国木田独歩の『武蔵野』を除いて後ろから、つまり概ね新しい作品から読み出したのだが、特に心に沁みたのは、『幸福の彼方』(林芙美子)、『告別』(由起しげ子)、そして『武蔵野』(国木田独歩)であった。しかしだ、『武蔵野』は今読み返してみると、小説ではなく随筆ではないかと思うのだが、いかがなものだろうか。もっとも読み応えのあるものなら、ジャンルなどどうでも良いと云えばそれまでのことなのだが・・・。

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