唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
1964年東京オリンピックの功罪
いまどき、東京オリンピックと云えば2020年に開催が予定されているものを指すのが常識だとは思うけれど、私にとっての東京オリンピックは1964年の東京オリンピック以外には無い。
オリンピックで行われた各競技に取り分け興味があったわけではない。東京オリンピック、それ自体に意義があったのではなく1964年と云う年が、太平洋戦争で焦土と化し、物心共に疲弊した日本が20年間引きずってきた戦後にピリオドを打ち、1973年に至る高度経済成長期仕上げの9年間が始まる大きな節目の年となったからである。
1964年東京オリンピックに合わせて東海道新幹線や首都高速道路が開通し、東名高速道路の建設は最終段階を迎え。日本は敗戦からの復興を世界にアピールし、先進国クラブへの仲間入りを果たした。その後も浮き沈みはあったものの経済成長は続き、日本人は更なる経済的、物質的な豊かさを手に入れた。しかし、一方ではこの間に多くのものを失った。
東京オリンピックの前には、<Gauche>が幼年期を過ごした福島では春になれば田んぼでセリを摘み、秋にはイナゴを取ることが出来た。切り出した材木を載せた馬車が、湯気の立つ馬糞を落としながら我が物顔で通りを歩いていた。日本全国どこを見渡しても、そこには豊かな自然があった。まだ自家用車を持てる人は少なかったけれど、その代わりに全国の主要都市では路面電車が庶民の足として活躍していた。
日本と日本人は、豊かで美しい自然を失った。ゆっくりとたおやかであった時間の流れを失った。思いやりに満ちた温かな人と人とのつながりを失った。経済的、物質的な豊かさを手に入れた一方で、人には創ることの出来ない、お金では買うことができない大切なものを失ったのだ。
2020年東京オリンピックで、果たして私たちは何を得ることができるのか。たくさんのメダルを手にすることができるのか。果たしてそのメダルの数にどれほどの意味があるのか。更なる経済的、物質的な豊かさを手に入れることができるのか。そもそも、今以上の経済的、物質的な豊かさを私たちは必要としているのか。
1964年東京オリンピックでは、私たちは輝くばかりの経済的、物質的豊かさに目がくらみ、失ったものの大きさいに気づくことは無かった。あるいは気づこうとしなかったのか。私たちは性懲りも無く同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか。50年前に私たちが得たものと失ったものとを思い出すべきだろう。失ったものがどれほど価値あるものだったのか、得たものにどれほどの価値があったのか。もし、同じことを繰り返すのならば、それは私たちが歴史から何も学んでいない愚者であることを自ら証明する行為に他ならないことに気付くべきである。