唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第一回・Nikomat編)
日本光学工業(当時。現ニコン)は1959年にプロの使用にも耐えうる一眼レフの最高峰「Nikon F」を発売したが、大卒者の初任給が10,200円の当時67,000円(50mm F2 付)と高価であったことから、1960年に拡販を狙って一般ユーザー向けに廉価なNikorex 35(22,300円)を発売するなどしたが販売は芳しくなかった。そこで1965年に仕切り直しのNikomat(ニコマート) FTを発売。これが市場に受け入れられて、実質的なニコン一眼レフ中級機の歴史がここから始まることとなる。
1967年にはFTの全面平均測光を中央部重点測光に変更し、開放F値半自動設定機構(通称ガチャガチャ)を搭載した改良型のNikomat FTnが発売される。FTnは、大卒初任給25,200円当時に46,000円(50mm F2付)と、決して安くはないものの翌年登場のNikon(F) Photomic FTnの72,200円(50mm F2付)と比べれば十分にリーズナブルであったことから大ヒット。ニコンのシェアとファンの獲得に大いに貢献した。
FTnにはその後も改良が加えられ、1975年には固定のホットシューを装備し使用電池を水銀電池から酸化銀電池に変更したFT2にリプレイス。FTシリーズのモデル末期となる1977年3月には開放F値設定を自動化(ガチャガチャ不要)したAi方式(Automatic Maximum Aperture Indexing=開放F値自動設定機構)レンズ対応となったFT3が登場しているが、同年5月には大幅に近代化された後継機Nikon FMが発売されたことから生産台数は多くない。
FTn の全盛期であった1972年には、電子制御シャッターを搭載しニコン初の絞り優先AE一眼レフでもある新世代のNikomat、ELが登場。ELはその後オートワインダー対応のELW(1976年)、Ai化したEL2(1977年)と改良版が登場している。EL2からはブランドがNikonに変更となり、Nikon一眼レフ中級機ブランドのNikomatは消滅するが、機械式シャッター搭載機(FTn)の系譜はNikon FM(1977年発売)へ、電子制御シャッター搭載機(EL)の系譜はNikon FE(1978年発売)へと引き継がれていく。
と云う訳で今日の一枚は、元祖NikomatたるFTn(with New Nikkor 50mm F1.4)とボケてもらったニコン最初の電子制御シャッターを搭載したNikomat EL(with Micro-Nikkor-P Auto 1:3.5 f=55mmママ)。ちなみにこのELが我が家に一番長く(約40年)住み着いているNikonである。
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第一回・Nikomat編)(2018/06/21)
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第二回・FMシリーズ編)(2018/06/23)
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第三回・FEシリーズ編)(2018/06/27)
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第四回・FA)(2018/07/01)
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第五回・小さなニコンたち編)(2018/07/08)
Nikon一眼レフ中級機の系譜(第六回・FM3A編)(2018/07/13)
「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは6月14日に撮影した写真を6点掲載いたしております。梅雨晴れ間の森の様子をご覧いただければ幸いです。
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