個人や少数派の権利・自由と、社会全体の利益

 「(コロナワクチンの)接種を受ける努力をしない人のせいで再び外出禁止令が課せられたら、それこそ不公平」(パリに住むC氏)。
 「あなたが(コロナワクチンをせずに)私を感染させたら、私はあなたの自由の犠牲者になる。それはエゴイズムだ」(フランス大統領マクロン氏)
 「一人の権利だけではなく、多数派の権利を尊重しなければならない」(トランスジェンダーに関するアメリカにおける裁判記録より)
 「『少数者の人権』と『多数派の不安』」(昨日の朝日新聞掲載の記事のタイトル)。

 従来、世間の大方の意見、つまり多数派の意見がまかり通り、少数派は肩身の狭い、不自由な生活を強いられてきたわけが、近年に至り少数派、つまり女性(数的には少数派ではないはずだが)であったり、外国人、障害者、LGBT、コロナワクチン拒否者などに対する差別に対する抗議の意見、主張が大きなうねりとなりつつある。

 「一人の命は地球よりも重い」と云う言葉はあるけれど、それでは一人のために99人が死んでも良いのかと問われると、答えに窮する。一人、つまり個人の権利・福祉と、それ以外の99人(あるいは国全体)の権利や福祉のどちらが優先されるべきか、あるいは両立が可能かと云うことなのだが、答えを出すのは簡単ではない。

 この問題を考えることを、私の今年夏休みの宿題としたいと思います。多分答えは出ないと思うけれど、きっと考えることに意味がある。

 と云うわけで今日の一枚は、例によって記事本文とはなんの関係もない葛(くず)の花。近づくと葡萄ジュースのような甘い香りがします。葛湯や葛切りを作る時に使う葛粉はこの葛の肥大した長芋状の塊根から作りますが最近は片栗粉同様、ジャガイモなどのデンプンから作られている代用品が多いらしい。

 横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは7月24日に撮影した、梅雨が明け夏本番となった森の様子を掲載いたしております。ご覧いただけたら嬉しいです。
ttps://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/7e13fb8c2e58dd50f081e44aa9dad6ce

To the author of this page: gaucheadgc(at sign)gmail(dot)com
Type "ijnuG ihsoyiK" adversely, and find me on Facebook.

#個人の権利と自由 #少数派の権利と自由 #社会全体の利益

コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« 自宅近くにケ... 勉強した時も... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。