楽しい言葉遊び【壊れたテープレコーダー編】

 『AERA dot.』に本日掲載された「小池百合子知事と尾身茂会長のタッグに五輪無観客で完敗した菅首相の末路」と題する記事にあった「比喩」、それは既に常套句となっているのだが、あらためてその「比喩」について考えてみた。

「(前略)菅首相の内奏は、いつもの如く、『安全安心』『とにかくワクチン』『人類がコロナに打ち勝つ証』といった科学的でもなければ、心に訴えかけるものでもない、例によって壊れたテープレコーダーのような話ばかり。」
https://dot.asahi.com/dot/2021070900009.html

 「壊れたテープレコーダーのような」とは、果てさてどう云う意味なのでしょうか。これまでの菅首相の発言についての報道のされようからすると「(根拠も意味もないことを)何度も繰り返し述べている」と云うことであろうと推察することができるのですが、果たして壊れたテープレコーダーが同じ言葉を何度も繰り返し再生するのでしょうか。

 結論から申し上げれば、テープレコーダー(ここで私はオープンリールのテープレコーダーをイメージしているが、カセットでも同じだ)の名誉のために申し上げれば、壊れたテープレコーダーが同じ言葉や音楽を何度も繰り返し再生することはない。もし、何度も繰り返し再生するのであれば、それはエンドレステープがセットされたテープレコーダーであり、そのテープレコーダーは全く正常に作動しているのである。

 同じ言葉を何度も繰り返し再生するものを「壊れた○○のように」と表現したいのだとすれば、その○○は「壊れたレコード(vinyl record)」である。レコードに彫られた溝と溝の間の山が潰れると、それ以上先に針が進まず、その周回を何度も繰り返し再生することになる。あるいはトーンアームの何らかの不調で針がそれ以上内側をトレースできない場合にも同じことが起こるだろう。

 しかしだ、考えてもみればテープレコーダにしてもレコードにしても、今の三十代以下の人たちはどちらも使ったことがないのではないだろうか。知っていたとしても、おじいちゃんの家にあった、博物館で見た、学校の「昔の生活」で習った、くらいのもので彼らにとっては公衆電話と同じで、知ってはいても使ったことがない昭和時代の「遺物」だろう。だから、そんな古いものに例えること自体が時代錯誤なうえに「物」を取り違えているとなるとまったく意味が通じない。

 そこで郷秋<Gauche>は「菅氏のように」という比喩を考えてみた。少なくとも氏の首相在任の間は「(根拠も意味もないことを)何度も繰り返し述べる」と云う意味で使えるような気がするが、あと数カ月のイノチ?

 例によって記事本文と何の関係もない今日の一枚は、我が家の庭先で大きくなりつつあるオレンジの実。ただいま卓球の球程の大きさです。

 横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは6月27日に撮影した写真を5点掲載いたしております。雨と雨の間の森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/079c8a36a4080daf508fbc2b8ec0f517
 先週末は雨天のために撮影に行けませんでした。今週末は所用のために撮影・更新が(多分)できません。

To the author of this page: gaucheadgc(at sign)gmail(dot)com
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#言葉のお遊び #日本語を考える #AERA dot. #壊れたテープレコーダー #菅義偉 #科学的根も心に訴えかけるものもない #オレンジの若い実

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