令和の時代にも無くならない、自分・学ラン・丸刈り


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 時代の流れがますます早くなり、物も言葉も古いものはどんどん駆逐され新しい物と言葉が跋扈するこの頃ですがいつまで経っても無くならない、しつこく残る物や言葉もありますね。

【自分:一人称代名詞】
 ママに「もう小学生なんだから自分のことは自分でしなさい!」と云われる時の「自分」ではなく、上官から「貴様はどこの出身だ」と聞かれた新兵が「はい、自分は福島県白河町の生まれであります」などと答える時の「自分」です。軍隊用語ですね。昭和時代の、しかも前1/3の時代に使われていた「自分」がいまだに使われているから不思議です。高校の野球部なんかで「自分、頑張ります」などと使われているのなら分かる気もするけれど、たまたま見ていた「ケンミンSHOW」の中で、如何にもいま時風の若い女子インタビュイーが「美味しいから『自分』もその店によく食べに行きます」と云っていたのには驚いた。無くならない「自分」。

【学ラン:学生が着る蘭服(洋服)。要するに詰襟の学生服】
 郷秋<Gauche>も中学・高校時代の6年間はこれを着ていました。でもこんな古臭くて窮屈なものは早晩なくなるだろう、制服があったとしてもジャケットにスラックス(ズボン?パンツ?)とネクタイになるだろうと思っていたけれど、いまだに詰襟学生服は現役です。そう、高校球児はやっぱり学ランでしょう!さすがに公立の中・高では少なくなったような気もするけれど、私立の高校ではまだ生き残っているようです。有名・伝統校だとそれがプライド、誇りなのでしょうか。しかし、学生とは大学生のこと(中高生は生徒)ですから、中学生・高校生が着る詰襟が「学生」服とは不思議です。かつて、旧制中学以上の学校に行っている男子を学生と呼んだ(女子は女学生)、その名残と云うことですね。

【丸刈り:つまり坊主頭】
 中学時代の三年間、郷秋<Gauche>も丸刈りでした。別に嬉しくはなかったけれど、田舎じゃそれが当たり前だったから仕方がないなと思って床屋に行きました。ひと口に丸刈りと云っても一分刈り(3ミリ)、三分刈り(6ミリ)、五分刈り(9ミリ)があり、私は、最初は三分刈りでしたがすぐに五分刈り。野球部の級友は3年間一分刈りでしたね。高校は私が入学した年から「頭髪自由(化)」となっておりました。全国的にもすぐにそうなるのかと思っていましたが、これも無くなりませんね。いまどき丸刈りを強要したら人権問題になりそうですが、2024年春の甲子園で非坊主頭だったのは青森山田、学法石川(福島)(注)、中央学院(千葉)、耐久(和歌山)の4校だけだったそうです。
注: 学法石川は学校法人石川高等学校の略称。県内では更に短く「学石」(がくせき)と呼ばれています。なぜ学石かというと、県立石川高等学校と区別するため。学校の歴史としては県立石川中学(旧制)よりも「学石」の前身である旧制石川中学の方が古いようですが。

 と云う訳で本日のお題、「令和の時代にも無くならない、自分・学ラン・丸刈り」の偏見に満ちた結論は、これらは全て野球部と共に存在し続けている、と云うことになるでしょうか。

 そんなこんなで記事本文と何の関係もない今日の一枚は、春を呼ぶ小さな野の花、仏の座。

横浜市青葉区の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影・掲載しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは2月1日に撮影した写真を4点掲載いたしております。厳冬期なのかはたまた浅春なのか判断に迷う二月朔日の森の様子をご覧いただけましたら大変嬉しく思います。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/27bc81b7b5b4823e93112c8e791f4e71

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