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例えば、「多くの人が美しいと思う風景や花」を美しく撮る事は容易い。その為に必要なものは(できれば)やや高性能なカメラとレンズ、つまりやや高価なカメラと僅かな撮影技術(テクニック)だけである。
これに対して、雑多かつ猥雑な物と事に溢れた日常の中で価値ある物 -それは、自分が美しいと感じる物や事- を撮るのは難しい。何が難しいのかと云えば、価値ある物や事を見つけ出すことが難しいのだ。美しい物や事、つまり価値ある物や事を見つけ出す目、それは単に物を見ると云うことだはなく、価値あるものがそこにある事に気づく感性がなければこれらを見つけることができないから。それを見つける為に必要な心の目と感性は、ある意味特殊な能力と云っても良いのかも知れない。
多くの人が同じ物を見ていても何の感慨も湧かない物の中に「美」を見つける、あるいは「美」を感じとることができるのは、やはり特殊な能力と云うことができるだろう。それを見つけさえすれば、現代の高性能なカメラと僅かなテクニックを持ってさえすれば、それを撮ることは容易い。
繰り返しになるが、要は何気ない日常の中から美しい、あるいは価値ある物や事を見つけだすことの出来る感性があるか否かと云う問題であるのだが、それができる人にとってのそれは「見つけ出す」のではなく見えてしまうものなのだろう。
そうは云っても、わずかではあっても撮影技術、つまりテクニックは必要である。できた写真を観る人により良く観てもらうためには被写体をどのように切り取れば良いのか、メインの被写体を3:2 あるいは4:3のフレームの中のどこに置くのか、どこにピントを合わせれば良いのか、どこに明るさの基準を置くのかなどは、魅せるためのテクニックである。
これらを意識せずとも自然とできてしまう人、経験によって身につけることができる人もいるかも知れないが、これはほんの少し勉強する事でより良いものができるのだから、基本をしっかり押させるに越したことはない。ただ、ここで注意したいのは、それらはあくまでも基本であって、基本に縛られ過ぎると悪弊も生じることも覚えておく必要があると云うことだ。
写真を撮るためにはそのための道具、カメラが必要である。これも先に記したようにできれば「少し」高性能のカメラとレンズがあればより良いのだが、ジャンルと云って良いのか、その表現スタイルによってはむしろ安価で正確な描写が得意ではないカメラ -例えば「写ルンです」とか、15年くらい前の「コンデジ」、聞いこともないようなブランドの「デジカメ」- の方が良い場合もあり、一概には云えない。
半世紀前の話にはなるがオートフォーカスのカメラが初めて登場した時には、これからは「猿でも写真が撮れる」と云われたものであるが、最新のカメラで人が撮るのであれば猿が撮った写真よりも良い写真 -単に「何か」が写っていると云う意味だが- が撮れることは間違いない。そうなると写真にとって必要なものは、ますます撮影者の感性とそれを表現するセンスであると云うことになるのだが、はてさて、感性とセンスを磨くにはどうすれば良いのか。
と云うわけで今日の一枚は、記事本文とはあまり関係もない我が家のリビングから見える「赤い屋根と冬の夕刻の空」。
P.S. この記事は今後加筆修正されることがありますことをご承知おきください。
横浜市青葉区の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影・掲載しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは1月11日に撮影した写真を5点掲載いたしております。からりと晴れて散歩日和となった森の様子をご覧いただけましたら嬉しいです。
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