気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く4 その8  常幸院とセルバ身延店

2018年06月13日 | ゆるキャン△

 旧下部中学校正門から道なりに下に降りて、常幸院の駐車場に停め、境内にお邪魔しました。本栖高校直下のスポットであり、御住職が積極的に「ゆるキャン△」ブームを盛り上げるべく、町内の「ゆるキャン△」案内標識設置に尽力されたと聞きます。いまでは巡礼ファンの大多数が必ず訪れる聖地横の新聖地として有名になっています。

 

 本堂には、このようにキャンプ用の折り畳みアルミテーブルに組み立て式グリル「B6君」を組み合わせて、アニメの「メタル賽銭箱」を再現してあります。松ぼっくりもしっかり並べてノリノリです。横には「ゆるキャン△」スタンプもスタンバイ、絵馬への記入時に自由に押せるようにしてあります。手描きの町内マップも配付しています。

 

 今回は、絵馬を購入して願い事を書くことにしました。志納料は500円です。

 

 マイカー巡礼の最中でしたので、何よりも交通安全が第一でした。あわせて道中の無病安泰を祈念して記しました。

 

 正門横の裏側に設置されている絵馬掛けに吊るしておきました。その後、庫裏から出て来られた御住職の深山光信師と少し話しました。「ゆるキャン△」を知ったきっかけは、本栖湖の浩庵さんからの連絡であったといい、巡礼者がそちらにも行くかもしれないから云々、ということであったそうです。浩庵さんとは知り合いであるそうです。
 つまり、1月のテレビ放送によって本栖高校への巡礼者が増えだす直前の時点において、既に常幸院側の応援スタンスは整えられていたということのようです。こういうアニメに合わせたノリノリ感、巡礼者の来訪に対するオープンな対応、というのは、人気のあるアニメ聖地ならばどこでも見られる二大要素です。この二大要素が実現出来るかかどうかで、聖地の人気が大きく左右されるようです。

 深山師は、五条ヶ丘が昔は武田氏の狼煙台であったらしい、とも語りました。五条ヶ丘とは、旧下部中学校および小学校の建つ丘陵先端の高台を指します。「五条」は江戸期までは「御城」と表記していて、中世戦国期以来の在地勢力の拠点が存在した歴史を示しており、その麓の「御屋敷」などの地名は、かつての常葉地区が甲斐国における一つの行政区として機能していたことをうかがわせます。

 ネット上でも閲覧出来る「旧下部町誌」によれば、甲斐常葉の地には、在地勢力として甲斐源氏加賀美氏系の常葉氏、ついで武田氏家臣の馬場氏が在り、いずれも「御城」に城館を構えていたと述べられます。この場合、「御屋敷」はその公的政務空間である「政所」または「会所」を指すことが多いので、常葉氏および馬場氏が甲斐国守護武田氏の配下の行政単位として現地を統治していた状況が推測出来ます。

 そして、江戸期になって在地勢力が消滅した後、徳川政権の支配構造に転じて「御城」の地名は改変されて「五条」となり、「御屋敷」の地名だけが変えられずに残されました。在地勢力が無くなったので、その拠点を示す「御城」の表記は不要となり、当て字の「五条」に変更されました。表記の変更にとどまったのは、在地勢力が完全に消滅していたため、徳川政権としては、地名そのものを完全に変更して歴史を抹殺する必要が無かったためと思われます。
 ですが、行政単位としての施設は必要です。全国どこでもそうであったように、いまでいう村長または自治会長に相当する名主が任命されて、江戸幕府の統治システム下において現地の政務にあたります。その拠点が「御屋敷」であり、これは従来の「政所」または「会所」をそのまま再利用したようです。だから「御屋敷」の地名だけが変えられずに残されたわけです。

 常幸院を辞した後、その「御屋敷」の跡地に寄ってみました。かつて下部町役場が置かれていた場所で、いまは公民館が建っています。地域行政および自治の中心地であるという点は、今も昔も変わっていないわけです。地名表記が中世戦国期以来変わっていないのも、この「御屋敷」が行政拠点であったことを示しているからです。
 一般的に、「御屋敷」とは在地武士の居館などを意味するとされますが、それはやや誤った認識です。中世戦国期の日本では、「御」の字は朝廷や幕府に関連する公的な存在につけられるものでした。「屋敷」と書けば、それは単なる住居ですが、「御屋敷」と書けば、大部分は公的施設を意味します。いまど言えば役場や公民館、公会堂にあたります。
 同じような言葉に「御館」がありますが、これは本来は幕府直属の御家人の地域統治のための居館を指します。私的空間としての住居は「城」とか「館」とか呼ばれて「御」の字がつかないのが普通でした。

 例えば、甲斐国においては武田氏の居館であった躑躅が崎を「御館」と呼びました。武田氏が室町幕府将軍旗下の守護職に在ったからです。戦国大名として有名な武田氏ですが、本質的には甲斐国守護職に任ぜられた文武両轄の政務官であったのですから、その居城に「御」がつくのは当然です。
 したがって、武田氏の家臣はみな公的な意味で甲斐国内各地域の統治管轄者とみなされます。その一人であった常葉氏および馬場氏も例にもれません。その本拠を「御城」と呼び、「御城」のすぐ下に「御屋敷」があったことは、その現地統治の様相をよく物語っていると理解出来ます。

 なので、「御城」および「御屋敷」の下に広がる街道筋の旧下部町街区が、中世戦国期以来の古い形態をとどめているであろうことは、すぐに察しがつきました。戦前の田園地域だった頃の航空写真を調べて江戸期以来の地形と状態を確認し、道や地割が中世的様相をとどめているのに改めて驚いた次第です。
 ただ、古い石造遺品たとえば石仏、墓塔、道標などが道端に見当たらないので、江戸期に街区が甲州街道の支道の宿場町として再編成された際に整理されてしまったものと推測されます。中世戦国期以来の街区がそのまま維持されていれば、道や路地には「物陰」と呼ばれる軍事的空間の痕跡が残っている場合が多いですが、それすらも見つけられませんでした。

 つまり、現在の旧下部町街区は、江戸期の町並みとして再整備されたものが今に面影を伝えているわけです。常幸院も、現在の境内地は江戸期に移転して再整備されたものかと思われます。古い地割を見ますと、「御屋敷」のすぐ横に広い方形空間が痕跡をとどめているので、これが中世戦国期の寺の位置ではないかな、と思う次第です。

 

  下部町役場跡の隣の東前院をのぞいた後、かつては「関道」と呼ばれ、江戸期からは表記が「石等」に変更された旧街道筋の「関口」を右折して橋を渡り、甲斐常葉駅の前から常葉川ぞいに旧街道筋を進みました。国道300号線常葉バイパスとの合流交差点を通ってすぐの左手に自動車販売店がありました。上図の奥に見えるスズキの看板がそれです。

 

  その営業所のウインドーにも「ゆるキャン△」案内標識が貼ってありました。横には例の手描きの町内マップもあり、それによれば、これが町内の南端にある「ゆるキャン△」案内標識です。甲斐常葉駅から850メートル、本栖高校まで1.6キロ、歩くにはちょっと辛い距離です。

 

 国道300号線を進んで富山橋を渡り、富士川の西側へ移動し、上沢の信号交差点で右折し、国道52号線を北進して上図のセルバ身延店に行きました。前回に続いて二度目の訪問ですが、スーパーなので買い物も色々と出来て便利です。

 

 犬山あおいのパネルも健在でした。

 

 「ゆるキャン△」販売コーナーは、前回よりも拡大されて陳列数も増えていました。ほうとうに至っては独立棚に豊富に積まれていて、人気商品であることがうかがえました。公式のグッズは殆ど揃っていて、アニメグッズ専門店にも負けていない充実ぶりでした。スーパーだから出来ることです。色々な商品を仕入れて販売するスーパーは、こういうグッズ類の販売ポイントしては最適で、下手なショップや土産物屋よりも「売る力」があります。

 

 なので、スーパーをアニメに登場させて聖地とする、という手法はけっこう当たると思います。ノリノリでコラボすれば、いくらでも販売展開が出来ますし、ファンも集まりますから、知名度も上がります。売り上げもかなりとれますから、コンビニ各社がアニメとのコラボ企画やキャンペーンに積極的なのも頷けます。

 

 そしてセルバ身延店さんは、この通り手描きのキャラクターPOPも作って大いにノリノリです。アニメファンはこういうのが大好きですから、リピート率は上がりますし、ノリノリで遠方からも来てくれます。
 地方のスーパーが全国区の知名度を獲得した、稀な事例だと思いますが、それに至るまでの蓄積の大半はお店の方々の努力によるものです。ここまで頑張って初めて、アニメ聖地としてのポジションが得られるわけです。それと比較すれば、甲斐常葉の本栖高校エリアは、もう少し努力、一工夫が必要だろうと思います。

 

 今回は、「ほうとう」と「カレーヌードル」と公式缶バッジ2個を買いました。カレーヌードルは地元で幾らでも買えるのですが、しかしここセルバ身延店で買わないと話になりません。それがアニメ聖地というものです。

 

 お肉の売り場をのぞいてみましたら、焼肉焼き鳥のコーナーに「ゆるキャン△」POPがしっかり据えられてありました。人気にあやかって売る気マンマンですね。楽しくなるぐらいにノリノリですね。世間はこういうのをわりと馬鹿にしたりしますが、しかし普段より売れて知名度も上がりますから、馬鹿にする方が愚かです。

 今回、宿がキャンプ場でのテント泊であれば、これらの品は買っていた筈でした。でも、天気予報は午後から雨ということでしたので、この日の宿はキャンプ場から旅館に変更していました。それでお肉は諦めて、弁当や飲み物等を買いました。

 

 しかし、美味しそうだな・・・。アニメ劇中のシーンをうまく使って効果的なPOPに仕上げています。これらの焼肉焼き鳥は、家でフライパン等で焼いてもいけるはずですから、「へやキャン」モードで食べて楽しむのもアリですね。

 

 車に戻る途中で、隣のコメリの建物とあわせて撮影しました。このコメリの建物もアニメに出ているからです。

 

 このシーンです。マークが変えてありますが、間違いなく同じ建物です。バイト帰りの犬山あおいがコメリ横の道を歩いていますので、犬山家の場所がゼブラの南にあることだけは分かります。JR身延線の波高島駅が通学の最寄駅であるので、おそらく下山地区あたりに家があるんじゃないかな、と想像しています。 (続く)

 


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