現代人は牛、豚、鶏等の獣肉も、魚介類や海産物も、スーパーに並んでるのを買う。
それを育てるため、それを捕るための行程や努力等を知らなくても買えるし喰える。
鶏はまだマシかな。モモ、ササミ、ムネ、肝、砂肝、カワって売ってるもの。でも、牛や豚になるとロースだのモモとかバラ以外の部位はどこへってくらい売ってない。売れないのか買わないのか知らないのか?それとも加工食材の原材料(例えばソーセージとかハムとか肉団子とか)として使ってるのかな。沖縄みたいにトンソクがどかんと売ってたり、鶴橋のように牛の内臓(ホルモン)が部位ごとに売ってるのは希少だ。
殺した命は残らず食べる。それが基本なのにね。
フランスではジビエとか、イタリアではスローフードとか言って、飼育や養殖以外の地元の自然狩猟による獲物料理も発展、推奨してる。
日本でも元々そうだろう?あえてジビエとか言わなくたって、川沿いの村や町では、鮎やイワナ、鰻等の地産物、山ではキノコや野草、猪や鹿、野鳥お食べてたはずだ。都会では、それが採れないから養殖や畜産されたものや、地方から海産物や山の幸を流通してもらって食べてた。
それが今じゃ完全逆転。養殖や畜産物ばかりが主で、海外からの輸入食材の加工食品を食べるのが当たり前になってしまった。
川や河、湖や池で獲れた魚なんて、その地元の旅館や料理店のみで供給されるものになってしまった。
市場にも問題がある。
せっかく猟師が猪や鹿を捕ってきても、加工工場や部位に分ける職人、パッケージする事等出来ないから。
薩摩黒豚だ、イベリコ豚だってのより、取れ立ての猪の方が美味いんだけど、市場には流通しない。
大阪でも能勢や猪名川、更に山奥のところでようやくしし鍋(ボタン鍋)が喰えるかなってくらい。
放し飼いの地鶏より安くプロイラー工場で生産される鶏が出回る。野生の鴨より飼育された合鴨。
鹿や狸、鳩や兎は馬鹿高い料金を取られるフレンチレストランやイタリアレストランに行かないと喰えない。しかもそれらは冷凍ー解凍品。
そう、豚、牛、鶏以外の肉はまともに流通してない。
その問題を考えたのが料理家の井口和泉さん。
ジビエ料理を作りたければ、自身が狩猟免許を取ってハンターになるしかない。と免許取得して猪等の解体現場で実際解体作業をし、その食材を使い料理を考える。
そんな活動をまとめた本が「料理家 ハンターガール奮戦記」
でもさ、ちょっと残念なのが、実際に罠や銃での狩猟を結局この本では彼女はしないのよね。
罠を仕掛けて捕らえられた猪を殺してもらうところ迄を友人の猟師がおこない、皮を剥いだり解体の処理~料理をするだけ。
それでいいのか?
勿論この人の目的はジビエ料理としての食材を求めた結果、猟師の資格があった方がいいってくらいだから仕方が無いのかもしれないが、やっぱりこの人は料理人であって猟師ではない。本の最後の方は、捕らえられた猪を殺すシーンにトラウマになり、解体が出来なくなってる。
殺した命を食べ尽くす。
これが人間が食べて生きる永遠の贖罪だ。
野菜でも魚でも肉でも。
それをわかりたくて、実践したくてジビエ料理に向かい、狩猟免許や罠免許を取ったのに、自分では絶命させられないってなめた事言う。
しかも猪ばっかりで、鹿やアナグマ、狐や狸、兎や鴨や鳩などほとんど出てこない。これでジビエがどうのって言えるのか?
何のこっちゃって本。表紙ジャケット見た時から「?」とは思ってたんだけどね。
ガールってのもちょっと疑問。本人が言ってるんじゃなくて本の発行者や編集者がどうせタイトルつけたんだろうけどさ。
この本のじびえりょうりがどうのこうのより、岡本健太郎氏の漫画「山賊ダイアリー」の方が、よっぽど素人料理でもあれこれ狩猟で獲ってきた獲物を色々考えて食べ尽くしてるぞ。
それでも途中迄は面白く読めるし、こういったジビエの取り組みは悪くないと思う。
何よりも鹿や猪などの狩猟後の処理施設、流通の問題、市場での需要と供給は、今後考えなきゃ問題だ。
食材は余す事無くいただく。
精進料理じゃないけど、まずはそこから料理屋も流通産業も意識してほしいな。
って偉そうに書いてるが俺も「ここ不味い」とか「これ嫌い」とか「面倒」って捨ててるところ多いから反省。
それを育てるため、それを捕るための行程や努力等を知らなくても買えるし喰える。
鶏はまだマシかな。モモ、ササミ、ムネ、肝、砂肝、カワって売ってるもの。でも、牛や豚になるとロースだのモモとかバラ以外の部位はどこへってくらい売ってない。売れないのか買わないのか知らないのか?それとも加工食材の原材料(例えばソーセージとかハムとか肉団子とか)として使ってるのかな。沖縄みたいにトンソクがどかんと売ってたり、鶴橋のように牛の内臓(ホルモン)が部位ごとに売ってるのは希少だ。
殺した命は残らず食べる。それが基本なのにね。
フランスではジビエとか、イタリアではスローフードとか言って、飼育や養殖以外の地元の自然狩猟による獲物料理も発展、推奨してる。
日本でも元々そうだろう?あえてジビエとか言わなくたって、川沿いの村や町では、鮎やイワナ、鰻等の地産物、山ではキノコや野草、猪や鹿、野鳥お食べてたはずだ。都会では、それが採れないから養殖や畜産されたものや、地方から海産物や山の幸を流通してもらって食べてた。
それが今じゃ完全逆転。養殖や畜産物ばかりが主で、海外からの輸入食材の加工食品を食べるのが当たり前になってしまった。
川や河、湖や池で獲れた魚なんて、その地元の旅館や料理店のみで供給されるものになってしまった。
市場にも問題がある。
せっかく猟師が猪や鹿を捕ってきても、加工工場や部位に分ける職人、パッケージする事等出来ないから。
薩摩黒豚だ、イベリコ豚だってのより、取れ立ての猪の方が美味いんだけど、市場には流通しない。
大阪でも能勢や猪名川、更に山奥のところでようやくしし鍋(ボタン鍋)が喰えるかなってくらい。
放し飼いの地鶏より安くプロイラー工場で生産される鶏が出回る。野生の鴨より飼育された合鴨。
鹿や狸、鳩や兎は馬鹿高い料金を取られるフレンチレストランやイタリアレストランに行かないと喰えない。しかもそれらは冷凍ー解凍品。
そう、豚、牛、鶏以外の肉はまともに流通してない。
その問題を考えたのが料理家の井口和泉さん。
ジビエ料理を作りたければ、自身が狩猟免許を取ってハンターになるしかない。と免許取得して猪等の解体現場で実際解体作業をし、その食材を使い料理を考える。
そんな活動をまとめた本が「料理家 ハンターガール奮戦記」
でもさ、ちょっと残念なのが、実際に罠や銃での狩猟を結局この本では彼女はしないのよね。
罠を仕掛けて捕らえられた猪を殺してもらうところ迄を友人の猟師がおこない、皮を剥いだり解体の処理~料理をするだけ。
それでいいのか?
勿論この人の目的はジビエ料理としての食材を求めた結果、猟師の資格があった方がいいってくらいだから仕方が無いのかもしれないが、やっぱりこの人は料理人であって猟師ではない。本の最後の方は、捕らえられた猪を殺すシーンにトラウマになり、解体が出来なくなってる。
殺した命を食べ尽くす。
これが人間が食べて生きる永遠の贖罪だ。
野菜でも魚でも肉でも。
それをわかりたくて、実践したくてジビエ料理に向かい、狩猟免許や罠免許を取ったのに、自分では絶命させられないってなめた事言う。
しかも猪ばっかりで、鹿やアナグマ、狐や狸、兎や鴨や鳩などほとんど出てこない。これでジビエがどうのって言えるのか?
何のこっちゃって本。表紙ジャケット見た時から「?」とは思ってたんだけどね。
ガールってのもちょっと疑問。本人が言ってるんじゃなくて本の発行者や編集者がどうせタイトルつけたんだろうけどさ。
この本のじびえりょうりがどうのこうのより、岡本健太郎氏の漫画「山賊ダイアリー」の方が、よっぽど素人料理でもあれこれ狩猟で獲ってきた獲物を色々考えて食べ尽くしてるぞ。
それでも途中迄は面白く読めるし、こういったジビエの取り組みは悪くないと思う。
何よりも鹿や猪などの狩猟後の処理施設、流通の問題、市場での需要と供給は、今後考えなきゃ問題だ。
食材は余す事無くいただく。
精進料理じゃないけど、まずはそこから料理屋も流通産業も意識してほしいな。
って偉そうに書いてるが俺も「ここ不味い」とか「これ嫌い」とか「面倒」って捨ててるところ多いから反省。
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