今年の日本アカデミー賞を総なめした“永遠のゼロ”
原作を読まずに映画を批判した宮崎駿をあざ笑うかのように、評価が高かった。
原作を読んだが、凄く面白い。よくこの話を映画に出来たなって感心してしまう。
百田氏の本はそれからいくつか読んだ。
「錨をあげよ」
上巻は昭和40年頃の大阪や京都が舞台だったからまだよかったが、下巻の北海道での密猟あたりから何が書きたいのかさっぱりわからんかった。自伝か?それにしては脚色し過ぎだろう。現実的なリアルな描写が多いだけになんか現実離れしてる。
「海賊と呼ばれた男」これは傑作だ。ドキュメンタリーというかルポを小説にしたら本領発揮なのかな。
「ゼロ戦と日本刀」渡部昇一さんとの共著で対談集。だが、これを読むと永遠の0を読んだ人や観た人は感動が薄れるから読まない方がいい。なぜこんな右翼的思想をわざわざ発表したんだろう?
「モンスター」とか「純愛」とか、まだこの人の作品は全部読んでないので一概には言えないだろうけど、多分この人って作品によって傑作と駄作がはっきり分かれる人なんだろうな。
今回読んだのは「フォルトゥナの瞳」。
これから先はネタバレが多数含まれる文章になるだろうから、「今から読もうかな」って思ってる人はここから先は読まないでね。
車のコーティング工場で働く主人公が、ある日電車で一人の乗客の身体の一部が透けて見える。最初は疲れてるせいだ、気のせいだと思っていたが、後日またもや身体の一部が透けて見える人に出会ってしまう。そして何人か身体が透けて見える人を監察してるうちに、身体が透けて見える人は死期が近い人だと気づく。人の死期がわかる能力を突然持った主人公は・・・。
って、面白そうなので読んでたが、読み進んでも前々感情移入できないの。「錨を上げよ」の主人公と同じで昭和の匂いが漂いすぎるせいか?
他人と交わる(会話する/愛想をする)ができない素朴な工場青年。目をかけてくれる工場の社長。妬む周りの工員。これらのプロットで違うサクセス小説だったなら主人公に共感できたりもしただろう。でも、今回の特殊能力(人の死期が見える力)がなんでこの平凡な男が持つ事になったのかとか、能力を持つ事によっての主人公の葛藤とかが全然伝わってこない。
だって主人公がこんないじいじした工員じゃなくても充分成り立つし、サラリーマンでもフリーターでもいいもの。何故コーティング工場の工員である必要が?
それと同じ能力を持つ医者と出会い相談したりするんだが、この医者は「人の死=運命を変える事は自分の寿命を縮める事」って意味深な事を主人公に伝えたりするんだが、なぜそうなるのとかは全然書かれてない上に、この医者はあっけなく死ぬ、。この医者の死因が又不明。自分の寿命を縮めるのがわかっていながら、誰か大事な物を守る為に死んだのか。それとも医者という職業柄徐々に死に近づいてたのかがまったく描写されてない。以前惚れてた工場の女子事務員が金持ちの男に騙されて、今は風俗に身を落としてるとか全然本編と繋がりのない関係ない話。主人公が昔家族を火事で亡くした話と、今持ってる人の死期が見える能力の関連性もなんかねぇ強引。
携帯電話を買い替える為に行った店で、偶然知り合った店員の身体が透けて見える。それでつい運命を変えるような真似をして助けてしまう。何故?更に自分が助けた女に惚れて、過去の臆病な自分を捨てて付き合うようになるのだが、その愛する女を捨てて迄、関係ない大型事故の運命を変えようとするところも全く理解できない。あげくの果てにはその愛した女も人の死期が見える女だったって。
百田さんのファンで既に読んだ人はこう思ってるだろう。「あぁそんな本も百田さんの本にあったかねぇ」。
「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」を読んで、次にこの本を読んだ人はこう思うだろう「これって同一人物が書いた本?つまらなすぎる」。
まぁ、手塚治虫や石森章太郎の漫画や黒澤明の映画、コナンドイルや江戸川乱歩の推理小説だって面白くないのは一杯ある。
逆に言えば作者の世界観に観客や読者である俺たちがついていけてないのかもしれない。ピカソやゴッホの絵が生前理解されなかったように。
なんて、難しい理屈を並べて擁護したが、正直この本は読まないほうがいいと思う。他にも面白い本はたくさんあるんだしね。
これは駄作です。時間の無駄にしかなりません。
原作を読まずに映画を批判した宮崎駿をあざ笑うかのように、評価が高かった。
原作を読んだが、凄く面白い。よくこの話を映画に出来たなって感心してしまう。
百田氏の本はそれからいくつか読んだ。
「錨をあげよ」
上巻は昭和40年頃の大阪や京都が舞台だったからまだよかったが、下巻の北海道での密猟あたりから何が書きたいのかさっぱりわからんかった。自伝か?それにしては脚色し過ぎだろう。現実的なリアルな描写が多いだけになんか現実離れしてる。
「海賊と呼ばれた男」これは傑作だ。ドキュメンタリーというかルポを小説にしたら本領発揮なのかな。
「ゼロ戦と日本刀」渡部昇一さんとの共著で対談集。だが、これを読むと永遠の0を読んだ人や観た人は感動が薄れるから読まない方がいい。なぜこんな右翼的思想をわざわざ発表したんだろう?
「モンスター」とか「純愛」とか、まだこの人の作品は全部読んでないので一概には言えないだろうけど、多分この人って作品によって傑作と駄作がはっきり分かれる人なんだろうな。
今回読んだのは「フォルトゥナの瞳」。
これから先はネタバレが多数含まれる文章になるだろうから、「今から読もうかな」って思ってる人はここから先は読まないでね。
車のコーティング工場で働く主人公が、ある日電車で一人の乗客の身体の一部が透けて見える。最初は疲れてるせいだ、気のせいだと思っていたが、後日またもや身体の一部が透けて見える人に出会ってしまう。そして何人か身体が透けて見える人を監察してるうちに、身体が透けて見える人は死期が近い人だと気づく。人の死期がわかる能力を突然持った主人公は・・・。
って、面白そうなので読んでたが、読み進んでも前々感情移入できないの。「錨を上げよ」の主人公と同じで昭和の匂いが漂いすぎるせいか?
他人と交わる(会話する/愛想をする)ができない素朴な工場青年。目をかけてくれる工場の社長。妬む周りの工員。これらのプロットで違うサクセス小説だったなら主人公に共感できたりもしただろう。でも、今回の特殊能力(人の死期が見える力)がなんでこの平凡な男が持つ事になったのかとか、能力を持つ事によっての主人公の葛藤とかが全然伝わってこない。
だって主人公がこんないじいじした工員じゃなくても充分成り立つし、サラリーマンでもフリーターでもいいもの。何故コーティング工場の工員である必要が?
それと同じ能力を持つ医者と出会い相談したりするんだが、この医者は「人の死=運命を変える事は自分の寿命を縮める事」って意味深な事を主人公に伝えたりするんだが、なぜそうなるのとかは全然書かれてない上に、この医者はあっけなく死ぬ、。この医者の死因が又不明。自分の寿命を縮めるのがわかっていながら、誰か大事な物を守る為に死んだのか。それとも医者という職業柄徐々に死に近づいてたのかがまったく描写されてない。以前惚れてた工場の女子事務員が金持ちの男に騙されて、今は風俗に身を落としてるとか全然本編と繋がりのない関係ない話。主人公が昔家族を火事で亡くした話と、今持ってる人の死期が見える能力の関連性もなんかねぇ強引。
携帯電話を買い替える為に行った店で、偶然知り合った店員の身体が透けて見える。それでつい運命を変えるような真似をして助けてしまう。何故?更に自分が助けた女に惚れて、過去の臆病な自分を捨てて付き合うようになるのだが、その愛する女を捨てて迄、関係ない大型事故の運命を変えようとするところも全く理解できない。あげくの果てにはその愛した女も人の死期が見える女だったって。
百田さんのファンで既に読んだ人はこう思ってるだろう。「あぁそんな本も百田さんの本にあったかねぇ」。
「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」を読んで、次にこの本を読んだ人はこう思うだろう「これって同一人物が書いた本?つまらなすぎる」。
まぁ、手塚治虫や石森章太郎の漫画や黒澤明の映画、コナンドイルや江戸川乱歩の推理小説だって面白くないのは一杯ある。
逆に言えば作者の世界観に観客や読者である俺たちがついていけてないのかもしれない。ピカソやゴッホの絵が生前理解されなかったように。
なんて、難しい理屈を並べて擁護したが、正直この本は読まないほうがいいと思う。他にも面白い本はたくさんあるんだしね。
これは駄作です。時間の無駄にしかなりません。
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