徳丸無明のブログ

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変転するコミュニケーション

2015-12-23 17:47:41 | 雑文
今回は『身体で話し、身体で聴く』の補足。
前回の論考の中で、コミュニケーションは、大別して言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションからなる、ということ、そして、非言語コミュニケーションは、「発話に伴う、声の高さ・速さ・調子などの、言語コミュニケーションに付随する非言語コミュニケーション」と、「表情、仕草、相手との距離のとり方、スキンシップ、服装、髪型、所有物、体臭などの身体言語」に二分できることを述べた。それから、コミュニケーション全体に対する「言語コミュニケーション」と「言語コミュニケーションに付随する非言語コミュニケーション」と「身体言語」の割合は、7対38対55であると紹介した。
この投稿を行った後に、岡本真一郎の『言語の社会心理学』を読んだところ、たまたまこのコミュニケーション比率の話が出ていた。それは、上記のコミュニケーション比率を否定する内容であった。
岡本によれば、この比率は、メーラビアンという研究者の実験結果に基づくもので、それは「特殊な実験状況で得られた結果」によるデータであり、必ずしもコミュニケーション全般に当て嵌るとは言えないという。
そうなんだ。
「安易に意見を変えすぎだ」と思われるかもしれないが、これを聞いて、次のことを考えた。
「言語コミュニケーション」と「言語コミュニケーションに付随する非言語コミュニケーション」と「身体言語」という、三態のコミュニケーションがある、というのは事実として、それぞれの比率は極めて流動的なのではないか。
世の中には、いろんな人がいる。寡黙な人、多弁な人、人を見かけで判断する人、見て呉れを重視しない人。どのようにコミュニケーションをとるか、コミュニケーション三態のうち、どれに比重を置くかは、人それぞれ違ってくる。
とにかく、発せられた言葉だけで相手の全てを判断する人もいれば、言葉の裏に隠された本音を読み取ることを第一とする人もいる。
だから、人それぞれ、コミュニケーション比率は違ってくる。
そして、もっと言えば、この人それぞれのコミュニケーション比率は、決して固定的なものではない。例えば、「Aさんのコミュニケーション比率は、25対40対35」と明記できるわけではない。
「気の合う者同士なら、言葉がなくても分かり合える」という事実があるように、誰を相手にしているかによって、コミュニケーション比率は変化するだろう。のみならず、時と場合によっても左右されるだろうし、同じ相手と、同じ場所の同じ場面でコミュニケーションをとる場合でも、体調や気分が違えば、いくらか比率に変化があるはずだ。
三態のコミュニケーション比率は、固定的なものではないのである。
ま、よくよく考えれば当たり前のことだわな。
データとか、学者の先生の言葉とかに惑わされず、普段取り交わしているごく普通のコミュニケーションを眺めてみれば、簡単にわかることだ。
小生は、些か権威に目が眩んでいたらしい。
なので、『身体で話し、身体で聴く』には、部分的な誤りが含まれていることになるが、全体的な内容を損なうほどではないので、そのまま掲載することにした。
で、この考えを応用すると、他人とコミュニケーションをとる際に、相手がコミュニケーション三態のどこに重きを置いているか、相手のコミュニケーション比率はどうなっているのか、を見抜くこと、言うなれば「メタ・コミュニケーション」に配慮することが、良好なコミュニケーションを築くための、有効な手立てと言えるのではないだろうか。
以上、新しく思い付いたこと、追記とさせていただく。