徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

サントリー BOSS(ボス) プレミアム・微糖

2020-05-22 21:54:40 | 
矢沢永吉はBOSSのCM出演を機に周囲から「ボス」と呼ばれるようになった・・・というのはどうでもいい話だが、男は黙ってボスプレミアムだ。






本日は第8回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは岡崎京子の『ジオラマボーイ パノラマガール』(全1巻・マガジンハウス)です。
岡崎さんも有名だから説明する必要はないでしょう。本作は初期のころの、ごくポップな作品です。いちおうラブコメなのですが、話がちょいちょい脱線するので本筋がわかんなくなりがちです。でも実はそこが面白さのポイントで、「ウキウキ」とか「ワクワク」といった気分が作中に充満してます。
んでね、詳しくは読んでもらえばそれでいいとして、僕は岡崎さんにかんして言いたいことがあるんですよ。それは、『リバーズ・エッジ』の評価のことです。
『リバーズ・エッジ』って、一般的にはすごく高く評価されてるじゃないですか。僕はそれが不思議でしょうがないんですよ。というのも、僕の評価は世間とは真逆だからです。はっきり言って僕は、『リバーズ・エッジ』は大駄作だと思ってるんですよね。
『リバーズ・エッジ』には、過激な要素がこれでもかと出てきます。いじめ、ゲイ、レズ、売春、ドラッグ、芸能人の同級生、愛のないセックス、暴力、死体、死・・・。これらの要素は、いずれも上っ面を軽く描写されるだけで、深く掘り下げられないまま話は終わります。僕にはこれは、視聴率を取りたいがために、刺激的な要素を詰め込めるだけ詰め込んだ、なんのメッセージ性もないテレビドラマ(ひと昔前はよくそういうのがありましたよね)のように見えるのです。
だから疑問なのです。「僕の評価が間違っているのか?」と。僕は上に述べた理由から『リバーズ・エッジ』は駄作だと考えている。でも、世間の圧倒的多数は傑作だと言ってる。このズレがモヤモヤするんですよね。
しかも、傑作と評してる人の意見を聞いても、「文学的」だとか「深みがある」とかいう漠然とした評ばかりで、いまいちピンとこないんですよ。
僕はポップな岡崎さんが好きなんです。『ジオラマボーイ~』のほかにも『pink』とか『セカンドバージン』とか『ハッピィ・ハウス』とか大好きなんです。
でもシリアスな岡崎さんはあんまりなんですよ。『チワワちゃん』や『私は貴兄のオモチャなの』までなら受け付けるんですけど、『リバーズ・エッジ』とか、『ヘルタースケルター』なんかは全然ダメ。
なんかね、僕思うんですけど、岡崎さんって交通事故に遭ってマンガ描けなくなっちゃったっていう悲劇のせいで、過剰に神格化されてませんかね?いや、これ僕の思い過ごしだったら申し訳ないんですけど、でも作品の実際の価値以上に持ち上げられてる感じがどうしてもするんですよね。
誰か納得のいく説明をください!『リバーズ・エッジ』はなぜ傑作なの?


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
先週緊急事態宣言が解除されたのを受けて、行きつけの図書館の臨時休館が終わりました。んで約3か月ぶりに行ってきたんですけどね。
でも、マスク着用じゃないと入館お断りというルールができましてね。ウチにはまだアベノマスクも届いておらず、近所の薬局でもマスクの品切れ続いてまして、マスク持ってる人しか図書館利用できんのか?図書館にはマスクの用意がないのか?と思って、確認電話かけたところ、「マスクを持ってない人には自分でマスクを手作りしてもらう」とのこと。
僕ね、手作りっていうから、てっきりマスク製造キットみたいなもんがあるのかと思ったんですよ。したらですよ、ペーパータオルってあるでしょ、公衆トイレの洗面所に備え付けてあるやつ。あれを2つ折りにして、折り曲げた部分に梱包用のビニール紐を通して後頭部でくくりつけて、それを「簡易マスク」としていたんです。見た目ふんどしの前部分が顔についてるような感じです。上は紐を通してるから割としっかりしてますけど、下はヒラヒラしてるのです。なかなか間抜けでしたよ。

前前前世・・・じゃなくて前々回に、疫学的にはある程度積極的に伝染病に感染して抗体作るのが終息の近道と言える、という話をしました。
スウェーデンでは、ステイホームの呼びかけも、お店への自粛要請もなく、以前とほとんど変わらない生活を続けているそうですね。これ、日本とスウェーデンのどちらがいいか、という話ではありません。どちらのほうがいいのかは、一律には言えない。
スウェーデンって個人主義が強い国で、日本のように「一丸になる」ことがありません。そのため他人にはけっこう冷たく、スウェーデン人同士であっても、親身になる、ということが期待できません(あくまで傾向の話ですよ)。
「ひとつになる」ことが大好きな日本人にとっては、暮らしにくい国と言えるでしょう。そして、感染するままに任せているから、死亡者数もかなり多いはずです。しかしその代わり、これまでの日常が変更されることなく、経済活動もほとんど落ち込まずで、間接的な「コロナ禍」のダメージを被らずにすんでいるのです。
国民性というものを考えると、日本ではスウェーデンのような対応は採れませんね。それに、現状の日本でこれ以上医療現場には負担をかけられないから、感染するに任せるわけにはいかないでしょう。しかし、「感染症を抑え込む」という点においては、ひとつのいい見本といえますし、日本のコロナ対策を相対化してくれる。
潔癖なまでの感染症対策はある意味「病的」だし、不合理で、場合によってはむしろ悪影響となりかねない。もはや「コロナ以前」の世界は戻ってこず、コロナと共存するほかない以上、「コロナに感染する弊害」だけでなく、「コロナを過剰に避けることの弊害」も考えて、うまくバランスとって暮らしていかなくてはならないでしょう。

「感染リスク」といったときに、「ある」か「ない」か、もしくは「1」か「0」かで考える人もいるんじゃないでしょうか。しかし、リスクとは明確にあるなしで二分できるものではないのです。
「生きている」ということは、少なからず、常になんらかのリスクに晒されている、ということです。自宅でくつろいでいたら、家に放火されて焼死してしまうかもしれない。いつもの通り道をいつものように歩いていたら、通り魔に刺されて死んでしまうかもしれない。確率的には0,1パーセント未満の、ほとんどありえないことでしょうが、ゼロではない。
感染症(コロナ)もそうです。感染確率をゼロにすることはできません。感染確率は、高いか低いかという状態の差があるだけで、ゼロにはできない。
リスクをゼロにする方法はただひとつ、「死ぬ」ことだけです。死ねば感染することはありませんからね。
くだらない屁理屈言うなって思いました?でも真理でしょ。
生きてる以上感染リスクは常に付きまとう、という事実に思い至らない人が、県外ナンバーの車を傷つけたり、医療関係者を排除したりするのではないでしょうか。これらのコロナにまつわるイザコザは、「差別」と言われてますけど、差別というよりも、感染症というものに対する理解の浅さからくる誤りだと僕は思うんですよね。
感染リスクを「ある」か「ない」か、もしくは「1」か「0」かで考えているから、感染源(に見える人)を遠ざければそれでいいと考えてしまうのではないでしょうか。
でも、感染源(に見える人)を遠ざけても、リスクはゼロにはなりません。ウイルスという、人間の目に見えない存在は、どこに潜んでいるかわからない。どんなに感染対策に気を配っていようと、運悪く罹患してしまうかもしれない。
感染リスクは「高い/低い」があるだけで、ゼロにはならないから、そういうことが起こりえます。感染を避ける取り組みは、確率を極限まで下げることはできても、ゼロにはできない。この事実をよくよく考えると、感染を避ける取り組みのアレコレに、どれほどの必然性があるのか、学業や仕事や経済活動と比較考量した場合に、どれほど重きを置くべきなのか、という疑問がわくはずです。
もちろん「これが唯一の正解」というものはありません。「どの選択を正しいと信じて選ぶか」であって、あらかじめ正解があるわけではない。
ただ、感染リスクについて正しい理解ができていないと、選択肢を提示して比較衡量するという、当然行ってしかるべきことがあらかじめ放棄されてしまいます。それは、日本の将来の可能性を狭めてしまうことになります。それはあってはならない。
だから、せめて感染リスクについて正しく理解しましょう、そこから話を始めましょう、と申し上げているのです。

県外ナンバーの車を傷つけたり、医療関係者を排除したりしている人たちや、自粛警察の人たちは、「絶対に他人からコロナをうつされたくない」と考えているのでしょうか。しかし、人間社会というのは、「迷惑をかけたり、かけられたり」の網の目の中にあります。人間社会に生れ落ちるということ、人間社会の中で生きていくということは、「迷惑をかけたり、かけられたり」の網の目の中にいるということです。
社会の中で生きていく以上、だれしも人様に迷惑をかけることもあるし、かけられることもある。それを拒絶しては、生きていくことができません。この社会で生きていくということは、「迷惑をかけたり、かけられたり」を受け入れるということです。それが嫌ならば、リスクをゼロにする方法と同じように、「死ぬ」しかありません。
もちろん積極的に迷惑をかけるべきではないのと同じように、できるだけ他人にコロナをうつさない心がけはすべきでしょう。でも、人間社会の網の目の中では、迷惑をかけられることも、感染リスクも、ゼロにできない。「どうしてもイヤなら社会を離脱しろよ」ということになってしまいます。

コロナによるストレスで、鬱になったり希死念慮が生じている人がいると聞きました。しかし、「ひょっとしたらコロナに感染するかもしれない」と日々怯えて暮らすのは、「ひょっとしたら(病気や事故で)死ぬかもしれない」と考えながら一生を過ごすようなものです。
人は生きている以上、常になんらかのリスクに晒されています。コロナに限らず、ほかの病気や事故で命を落とすかもしれない。逆に言えば、新型コロナが発生する以前から、常に病気や事故のリスクはあって、コロナはそれら大勢の様々なリスクに、新たに付け加わったひとつのリスクにすぎない、ということです。
コロナ以前は、病気や事故のリスクなど、まず起こりえない、起きるときは起きるのだから、起きないうちから考えていても仕方ない、というふうに割り切っていたはずです。だったら、コロナも同じように割り切るべきではないでしょうか。
僕はコロナが流行の兆しを見せたときも、「感染したら、そのときはそのときだべ」と思いました。感染してもいないのに、感染したときのことを考えてクヨクヨしたり、余計なストレスをためるようなことはしませんでした。
「感染するかもしれない」と考えようが考えまいが、感染するときは感染する。感染してもいないのに、感染した場合のことで思い悩むのは、ありもしない悩みを自分ででっち上げているのと同じです。人間どうせ、死ぬときは死ぬ。生きてる以上、リスクはゼロにできない。
だったら、感染は「まず起きないもの」と割り切って、これまでと変わらない日常を送るのがベストなのではないでしょうか。もちろん感染防止の取り組みはできるだけ行うべきでしょうし、感染した場合の対処を冷静にシミュレーションしておくのもいいでしょう。でも、ストレスになるほど気にするべきではない。
「コロナとの戦い」とは、「コロナを相手にしすぎない」ということでもあるはずです。


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9 コメント

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俺も (和田ヶゐ)
2020-05-22 23:36:01
マスクはつけてません(同様の理由等で)・・・そして、スエーデンの話が本当なら・・・いい国ですね。その間ぐらいのバランスの国になってほしいと切に思う(@_@)
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2020-05-23 22:04:15
和田さんは日本的全体主義の圧力が不快で、「自分のことは放っておいてほしい」人なんですね。
僕もそうですよ。
僕らみたいなんは最初からスウェーデンに生まれていればよかったんでしょうね。
ただ、物事には良し悪しがありまして、スウェーデンを含めた北欧は高福祉社会として知られており、理想社会と目されてもいるわけですが、いいことばかりではないのです。
人の「助け」は大まかに言って「自助・共助・公助」の3種に分類されます。
自助は自分で自分を助ける、つまり自力。
共助は、家族とか会社とか町内会とか宗教団体などの共同体の中で助け合うこと。
公助は国による福祉のこと。
スウェーデンは、この中で公助の割合が高いんですね。
それはなぜかというと、人間関係がドライで、共助がほとんど望めないから。
共助が希薄だから、やむを得ず公助を肥大させているのです。
比較すれば、日本は共助の割合がある程度高いので、そのぶん公助を低くできている、ということです。
「北欧の高福祉社会はすばらしい」っつってる日本人は、公助ばかりに目を取られ、その裏面である共助の希薄さに気づいていないのです。
この点に関しては武田龍夫さんの『福祉国家の闘い』が参考になります。
ほかにスウェーデンのいいところっつったら・・・女性が公園やビーチなどの公共の場でトップレスor全裸で日光浴してるところとか、混浴のサウナがあるところとかですかね。
あけっぴろげの裸体にエロスを感じられるかという問題はあるにせよですが。
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いや・・・ (和田ヶゐ)
2020-05-23 22:53:44
そんなことはないです(@_@)普通に日本が好きですよ

ただ、データを毎日テレビで出していて、色んなデータを見て、まったく意味がないというか、言うほどのことが起こってないと思っているだけです

それに、言うこともコロコロ変わるし、ほかの死者の方が多く出てるのに、海外に合わせたり、海外の情報でいちいち不安にさせる意味が分からないだけです

助けては貰いたいけど、色んな病気は別に、病院に行くほどの事じゃないと思ってるだけでもあります
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2020-05-24 22:46:58
あら、そうでしたか。
それは失礼。
人類は何度もパンデミックを経験してますけど、「グローバル化した世界」の中の「近代後期にある日本」での流行というのは初めてであって、コロナの性質も未知、対応を誤れば死者数の増加として跳ね返ってきかねない、とあれば、多少オタオタするのはしょうがないのではないでしょうか。
自分で「あんまり騒ぐなよ」と言っておきながらですが、同時にやむを得ないことであるとも思ってもいます。
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はっきり言って (和田ヶゐ)
2020-05-26 00:43:30
騒ぐなとか言わないです。ただ、それ以上の人間の狂気の方が、十分恐怖であり・・・人間の暴力の方が、死亡率が高いと思っているだけです(@_@)

ついでに言うと、経済を止めて死者以上の最悪を生んでいるのになぜ・・・命が大切と言えるのかわからないだけです
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2020-05-26 22:14:08
そういやマスク不足が深刻になりだした頃に、薬局の従業員の「私はウイルスより人間のほうが怖い」っていう声が注目を集めてましたね。
「医療従事者の人たちに感謝しよう」という呼びかけは、非常事態における人間の狂気が厄介であるからこそ行われているんでしょうね。
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いや (和田ヶゐ)
2020-05-26 22:43:17
感謝すべき存在があって、自分たちの苦労はこんなもんですよっていう印象操作的なやつではないかと今では思ってます(@_@)
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2020-05-27 22:02:36
たしかにそういう面もあるかもしれません。
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まあ (和田ヶゐ)
2020-05-27 22:15:02
これからですね(@_@)
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