徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

東洋水産 謹製 山椒香る塩焼きそば

2019-12-21 22:06:50 | 
今回は山椒香る塩焼きそばスープ付きです。




カップ麺といえばあれですね、「賞味期限が近づくとかやくが色あせてまずそうに見える問題」がありますよね。あれなんとかならないですかね。解決できた人はノーベル化学賞獲れますよ。
本日は私が好きなマンガの話。第4回目の今日は泉昌之の『ダンドリくん』(上下巻・ちくま文庫)です。
泉昌之は泉晴紀と久住昌之の合名。泉さんが作画担当で久住さんが原作担当です。
ダンドリくんは「段取りのいい生活」を日々実践する青年で、弁当をどんな順番で食べるかとか、どうすれば電車の乗り換えをスムーズに行えるかといった、日常の細かい場面に執拗なこだわりを見せてくれます。よーするに効率とか合理性を追求してるんですけど、どうでもいいっちゃどうでもいい事柄をいかに手際よく行うかという偏執的な執念が描かれていて、「くだらねー」ってツッコミを――あたかも豪快さんのように――入れるのもよし、お役立ち情報として参考にするもよしですし、単純に娯楽作品としても楽しめます。
中には段取り一切関係ない話もあって、僕は「夜中に読書してたら急に牛丼が食べたくなって、店まで全力で自転車をこぐ」エピソードが、無内容でバカバカしいけどなんか好きです。
泉昌之さんは「夜行」って作品でデビューしてるんですけど、これは電車の中で駅弁食べる話でして、最新作の『食の軍師』まで一貫してこの細部へのこだわりを反復していらっしゃいます。『食の軍師』もいずれ語りたいですね。

明星 極(きわみ)のチャルメラバリカタ麺 濃厚豚骨まぜそば

2019-12-19 22:43:09 | 
「バリカタ」は硬めの麺として知られていますが、博多ラーメンにはさらに「ハリガネ」や「粉落とし」といった茹で時間の短い麺があります。




僕は熊本生まれで福岡在住。どちらもラーメンがおいしい県です。県外の人たちには両県のラーメンの区別がつかないでしょうが、熊本の人は「博多より熊本ラーメンのほうがおいしい」と言うし、福岡の人は「熊本より博多ラーメンのほうがおいしい」って言うんですね。あまりラーメンが好きではない僕は、「結局自分の口になじんでるほうをおいしいって思いこんでるだけだろ」と、冷ややかに眺めています。

さて、今日は第3回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは原作・久住昌之、作画・谷口ジローの『孤独のグルメ』(全2巻・扶桑社)です。
この作品についてはもう説明の必要ありませんよね?言わずと知れた孤高のグルメマンガ。松重豊主演で何度もドラマ化されています。
グルメマンガってどうしても食の過剰なこだわりや蘊蓄が多く、僕はそういうのがうっとおしくて読んでられないんですけど、このマンガにはそんなうっとおしさはほぼ皆無(まったくないというわけではないです)で、実に軽やか。食事前にパラパラめくって食欲増進剤代わりにもしています。
作中に出てくるお店は実在するということですけど、店主とケンカしたハンバーグ屋はほんとにあるのか気になるところですね。
僕が特に気に入ってるコマがありまして、それは1巻の第11話「東京都練馬区石神井公園のカレー丼とおでん」の最後のページの2コマ目。食事を終えた主人公がふと離れた席に座る客に目をやるのですが、幼い息子にご飯を食べさせている母親の、首から下が描かれてるんですね。
こ・れ!これですよ!
母親は子供を産んだことでファッションがどうでもよくなったのか、安っぽいダサめの服を着ています。おそらくオシャレよりも利便性重視で選んでいるのでしょう。そんな、いかにも子持ちの既婚女性という感じの洋服が、出産を経ていくらかだらしなくなったであろう体を包んでいるのです。この描写が、「公園内の休憩所」という場所を象徴しているように見えるんですよね。公園という開かれた空間内の、富裕層は立ち寄らないであろう休憩所の、お昼の食事時から少しずれた時間帯。そのすべてをこの母親の身体が表しているのではないかと。このひとコマをさりげなく入れてくるセンスがもう素晴らしい。
この記事書くにあたってAmazonのレビュー読んでみたんですけど、「ドラマはいいけど原作はいまいち」って意見がけっこう多いんですね。僕は逆なんですけど。なんで原作がダメかというと、ドラマの五郎さんはなんでも「おいしいおいしい」って食べるのに、原作は文句が多い、っていうんですよ。
でも、知らない店に行けば、当たりはずれがあるのが当然でしょ?全部おいしいはずがない。それがリアリティってもんじゃないですか。だいたいドラマは現実のお店を舞台としてお借りしてるから、不満なんて言えるはずがない。外食には当たりはずれがあるというリアルをこそ味わうべきじゃないですかね。

2巻ではところどころ絵が荒れている箇所があって、細密な描写を旨とする谷口先生らしくないなと訝しんでいたら、その後まもなくしてお亡くなりに・・・。無理を押して執筆されていたのですね。そのプロ意識に最敬礼。
それから久住さん。長らく「ガロ」などのマイナー媒体で活動してきた「知る人ぞ知る」お方だったのに、今や『野武士のグルメ』や『花のズボラ飯』などの原作を手掛ける売れっ子になり、ドラマのおまけコーナー「ふらっとQusumi」では好々爺とした紅顔を見せておられる。でもなんであのコーナーではお酒飲んでるのを隠そうとするの?

ドラマのほうはもうシーズン8ですか。長いですね。
僕ね、正直言って、最初は松重さんはミスキャストだと思ったんですよ。眉間のしわとほうれい線がクッキリで(初めのころは今よりしわが目立ってたように記憶しています)、体は痩せ型。人生の苦渋をずっと味わい続けてきたかのようなご面相をしておられて、とても食べ物の美味しさを伝えるのに適任だとは思えなかったんですよね。でも今は見慣れたせいか、松重豊は井之頭五郎そのものだとしか思えなくなりました。
松重さんって、このドラマきっかけでブレイクしたんですかね?井之頭のキャラでCMにも出まくっててすごいですよね。原作は終わってもドラマは当分作られ続けるでしょう。

ブルボン じゃがチョコ ミルク仕立て・ホワイト

2019-12-13 21:44:27 | 
今回はブルボンのじゃがチョコです。






スタンレー・ミルグラムのアナグラムとは何か。そんなことよりアメリカである。
今日はアメリカについて、正確にはアメリカと日本の、おもに文化的なかかわりについて話してみたい。
2年ほど前、「アメトーーク」で「アメリカにかぶれてます芸人」という回があった。ブルゾンちえみや渡辺直美が出演しており、出川の哲ちゃんがブレイクダンスを披露してCMを獲得した記念すべき回でもあるのだが、それとは別に、普段とは違う感情を呼び起こされた回であった。
番組の中で芸人たちは、なぜアメリカが好きなのか、どういうところに魅かれるかについて語り、さらにはアメリカ人のこういう仕草やセリフがカッコイイとして、それを実演して見せていた。僕はそれを観たとき、言いようのない恥ずかしさにとらわれてしまった。
アメリカがカッコイイだなんて、未だにそんなことを言うのか。アメリカ文化の猿真似をして醜態をさらすという愚を、なおもまた繰り返すのか。
アメリカを、特にその経済的優越に裏打ちされたカルチャーをはるかに仰ぎ見ていた時期が、たしかにあった。敗戦後の貧しい日本にとって、アメリカは自国を屈服させたにっくき敵である以上に、まばゆい光を放つあこがれの象徴であった。
そのあこがれはおそらく、直接的に文化の内実が素晴らしいということではなく、単純に経済力の差異によって喚起されていたものであったと思う。アメリカンカルチャーはもちろんコンテンツとして優れてはいたのだが、それ以上に、コンテンツに反映されているアメリカンライフの豊かさが、日本人のあこがれを掻き立てていた。だから日本経済が成長し、国力の差が縮まると、それに反比例してあこがれは縮減する。
それでもまだ、ギリギリ90年代まではアメリカは輝いていた。あこがれの残滓というか、「あこがれる習慣」は残っていたし、ハリウッド映画などのコンテンツは、経済力の格差とは無関係に、定期的にすぐれた作品を供給していたからだ(今ではすっかり忘れられているかもしれないが、90年代までは「邦画はダサい」と言われていて、若者にはまったく人気がなかった)。
決定的だったのが2001年の同時多発テロである。このあとに起こしたアフガニスタン戦争と、それに引き継ぐイラク戦争。混迷、もしくは暴走としか言いようのない外交政策によって、アメリカに対する日本人のあこがれは、すっかり消え失せてしまった。それは今でも変わっていない。
経済格差ということなら、今もなおGDP世界一のアメリカと第3位の日本では、ある程度の開きがあるのだが、それはもはや「仰ぎ見る」ほどの差異ではない。日本はもう、富者をうらやむ貧者ではない。
日本はこれからもハリウッド映画を観続けるだろうし、アメリカンポップスを聴き続けるだろう。しかし、それらを自分たちと大きくかけ離れた優位な文化として仰ぎ見ることは、もうない。
だから、同時多発テロから15年以上もたってなお、「アメリカ大好き!」と臆面もなく語る芸人たちの姿を観て、赤面するのを抑えられなかったのだ。

そんな恥ずかしいばかりでしかなかった「アメリカにかぶれてます芸人」に対し、同じくアメリカを主題としていながら見事に成功を収めた例がある。DA PUMP(ダ・パンプ)の「U.S.A.」である。
皆さんご存じの通り、DA PUMPは長期の低迷を経て2018年に「U.S.A.」で再ブレイクをはたした。「U.S.A.」のダンスは、「ダサかっこいい」と言われた。
なぜ普通にかっこいいものではなく、ダサい要素を含んだものがウケたのか。
「U.S.A.」は、アメリカのかっこよさをストレートに謳いあげたのではない。「U.S.A.」は、アメリカを「ネタ化」している。
「ネタ化」とは、冗談半分ということだ。「ネタ」とは「マジ」の対義語のことである。
つまり、本気で「アメリカかっこいいよね」と言っているのではなく、「いや、シャレですよ」と断りながらアメリカのかっこよさに触れているのだ。それが「ネタ化」ということであり、だからこそ「ダサかっこいい」という形容詞を冠することとなったのだ。
「ネタ」であることの証拠は、「U.S.A.」ヒット後の日本社会を見れば明らかである。「U.S.A.」は社会現象になるくらい流行したにもかかわらず、その影響で「アメリカ好きの日本人が増加する」ことはなかった。あくまで「ネタ」であり、「マジ」ではないからこそ、アメリカへのあこがれを喚起する働きがなかったのだ。
これが「アメリカにかぶれてます芸人」と「U.S.A.」の差である。
アメリカはもはや、本気であこがれを表明する対象ではありえない。仮にそうするのであれば、「マジ」でやるのではなく、「ネタ」で行わなければならない。「マジ」であこがれを表せば失笑されるだけ。「ネタ」でなければ受け入れてもらうことができない。
そこが理解できていなかった「アメリカにかぶれてます芸人」は失敗し、的確に見抜けていた「U.S.A.」は成功した。そういうことだったのだと思う。

以上、一度も「U.S.A.」をちゃんと聴いたことがない僕の分析でしたがいかがでしょうか。