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密教

2018-05-01 22:17:37 | 
我入と入我我入観とはちがうということである。入我我入は三密成就して即身成仏を完成した状態
であるが、入我我大観は。身密”だけの一密成就法である。そこで、まだ、遥…密”とズ急密”の
二つが成就する法を修さなければならない。字輪観は、そのうちのズ急密”成就の法である。つま
り、仏の心のはたらきを観ずるわげであるから、その意味深遠であり、説明することも容易ではな
く、理解することもまたぎわめてむずかしい。当然のことであろう。この字輪観の説明だけで、一
冊、あるいは数冊の書物ができるほどのものであるから、くわしい説明はまた別の機会にゆずり、
ここではその大意を述べておこう。
 真言密教では、本尊の種字の字義を観ずるのは浅略であるといい、その真言を観ずるのは深秘で
あるとし、その梵号の一々の字を観ずるのを最深秘とし、秘中の秘であるとする。では、その梵号
の一々の字を観ずるとはどういうことかというと、ふつうには、ア、、、ハ、ラ、カ、キャの五字を観
ずることになっている。それはなぜかというと、この五字は即ち「五大」の種字だからである。五
大とは、地・水・火・風・空の五大要素で、森羅万象、宇宙のあらゆるものはこの五大要素から成
り立つ。した、がって、われわれの肉身はこの五大から成り立ち、仏の肉体もまたこの五大によって
成る。ゆえにこの五大において我れと仏とは無二I体であるわけだ(これで身密も成り立つ)。また、
この五大に五智がふくまれている。このア乙ハこフーカーキ十の五字は、同時に五智の種字真言で
もあるから、五智獲得に通じ、これを観ずることはすなわち記忌密”の行になるとするのである。
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