75年前に敗戦で終わった日本人の戦争が、コロナ騒ぎで忘れられないために、昨年書いたブログを再録する。
去年(2019年)の2月24日に、日本を愛した研究者ドナルド・キーンが96歳で亡くなった。
数年前、彼の本『日本人の戦争―作家の日記を読む』(文藝春秋)に、私は衝撃を受けた。
多くの日本の作家たちがガダルカナル島で「死んで神となった兵士たちを称揚した」とあるからだ。
ドナルド・キーンの驚きは、知的なはずの作家たちが、1942年8月から翌年2月まで続いたガダルカナル島の戦闘で、多くの日本兵が銃弾や飢餓で死んだことに悲しまず、個人的な思いを書く日記で、その死を讃えたことにある。
わたしの驚きは、兵士が「死んで神となる」という考えである。英米文学やドイツ文学、ロシア文学の素養がある作家、ジャーナリストが「死んで神となる」と本気で考えたことである。これは、天皇の神格化と同じく、わたしにとっては理解できない。
しかし、戦後まもないわたしの子供時代を思い出すと、少なくない年寄りが天皇を神として参拝していた。とんでもないことだが、戦前、戦中の作家やジャーナリストの中に「死んで神となる」と考えがあったのも、事実であろう。
天皇が神であるという考えや、戦いで死んで神になるという考えは、日本の伝統にはもともとなかった。明治維新体制の官僚が創作し教育を通じて広めた新たな宗教観である。
日本には、人間がすごい恨みを持って死ねば、「鬼神」になってたたるという考えは、確かにあった。菅原道真を祭るのは、鬼神の霊をなぐさめるためである。
「たたり」を恐れてではなく、死んだ開祖者を「守り神」として祭るのは、徳川家康が最初かと思う。この場合は、開祖者が自分の子孫を守るため、自ら「鬼神」となって祭られるのである。
天皇が祭司として自分の祖先に仕えるのはありうるかもしれない。しかし、生きている人を神として祭るという創作が、74年前まで、日本でまかり通っていたのは理解しにくい。しかも、戦争で死んだ兵士も神となって、生きている神のもとに馳せ参じるとは、思うだけで、おどろおどろしいホラー映画のようである。この官製ホラー物語の舞台が、74年前まで、靖国神社であった。そこに戦争で死んだ兵士が天皇のために鬼神となって集まるのである。
1945年の敗戦に伴って、宗教団体法や治安維持法などが廃止され、靖国神社の特権的位置も廃止された。靖国神社は普通の貧乏神社になった。この靖国神社に、1978年、第2次世界大戦のA級戦犯が合祀される。いま、戦後74年になっているのに、一部の国会議員が靖国神社に参拝する。1975年以来、天皇は靖国神社を参拝していない。
小熊英二の『「誤解」を解く「枢軸国日本」と一線を』では、合祀を決めた靖国神社の宮司の次の言葉が紹介されている。
「現行憲法の否定はわれわれの願うところだが、そのまえに極東軍事裁判がある。この根源をたたいてしまうという意図のもとに、“A級戦犯”14柱を新たに祭神とした」
このようにして、靖国神社は普通の神社から大日本帝国の復興を願う神社になった。一部の国会議員が参拝するが、決して天皇が参拝しない神社になった。新しいホラー物語の舞台になった。
【引用文献】
ドナルド キーン:「日本人の戦争―作家の日記を読む」文藝春秋 (2009/07) ISBN-13: 978-4163715704
小熊英二:「『誤解』を解く『枢軸国日本』と一線を」朝日新聞2014年10月14日夕刊3面