きのうのテレビ朝日『モーニングショー』でスケールメリットという言葉が飛び出た。
食堂運営会社ホーユーの経営破綻で全国各地の給食が止まったが、この言葉は、ホーユー社が規模の小さいゆえに競争に負けてたという番組制作者の観点を表わしている。番組のコメンテーターは各自それなりに番組制作者の観点に反発していた。
ホーユーの経営者は、材料費や人件費の値上がりに対するための給食費の値上げに契約先が応じてもらえなかったからと言う。
「スケールメリット」は和製英語で、規模を大きくすることで得られる効果や利益、優位性などをいう。英語では、“advantages of scale”か“economy of scale”を使う。
では、本当にどんなスケールメリットがありうるのだろう。
スケールメリットが「サービスの停止を武器に契約先と交渉できる」では、市場を寡占していないといけない。「材料を一か所から一度に大量に買い付けることで仕入れ先に対する価格交渉力が高まる」では、「弱い者を買い叩く」ということに過ぎない。
これでは、スケールメリットとは、規模が大きければ暴力がふるえるということではないか。公正な市場競争を意味していると思えない。
日本政府は、これまで、給料を上げて価格に転嫁すれば良いと言ってきたが、物価急騰を受けての、逃げ口上に過ぎない。物価急騰は政府が引き起こした「異次元の金融緩和」策の副作用である。そのなかで、規模の小さな会社がその政治力のなさのため犠牲になったと私は考える。
自由経済が政治によってゆがめられているのだ。
そもそも「異次元の金融緩和」策の発端は、日本の経済の長期停滞を受け、政府が借金をして行ってきた財政出動が、大規模会社ばかりを助けて、社会全体の景気回復に結びつかなかったことにある。
この間、全国各地でシャッター街が進んでいる。スーパーやチェン店ばかりが増えて、画一化が進んでいる。デパートも経営破綻しているので、社会全体の貧困化のなかで進む「画一化」である。
富の集積による社会全体の貧困化に抗するには、「スケールメリット」は意味をなさない。小規模業者が大規模業者の暴力に屈しない「公正な競争」を守る社会的ルールが必要である。