2008年公開の映画『グラン・トリノ』はアメリカ人の思う良きアメリカ人の物語である。テレビで家族で見ていたが、差別用語が耐えられないと妻が最初に席をたち、つぎに息子があまりにもステレオタイプだと席をたった。最後まで見ていたのは私だけである。
私はアメリカ映画らしい、a humorous, touching, and intriguing old-school parable な物語だと思う。映画の良きアメリカ人は、最後には、他人のために死ぬのである。じっさい、興行的には成功している。良きアメリカ人がいるとアメリカ人は思いたいのだ。それは、悪いことではない。そうやって心のなかの良心が成長していくのだと私は思う。
1930年生まれのクリントン・イーストウッドが監督・主役の映画である。イーストウッドが演じる老人コワルスキーは、朝鮮戦争からの復員兵(Korean War veteran)で、フォード工場の元工員である。戦争で無抵抗の朝鮮人を殺したことに罪の意識をもっている。
彼が 普段 乗っているのは、貧乏人の象徴、中古のピックアップ・トラックである。しかし、30年以上前のフォードの伝説の名車グラン・トリノを所有していて、毎日磨いているという設定である。彼は、遠くに住んでいる息子がトヨタ車にのっていると腹を立てている。2008年の映画だからは、定所得のある白人が乗っているのはレクサスだろう。映画でチンピラが乗っているのはホンダだった。
彼の住んでいる町は、典型的な貧乏人の粗末な木の家がならんでいる。昔はデトロイトで働く工員が住んでいたが、いまでは、アジア系が住んでいるという設定だ。
彼はポーランド系、友人の床屋はイタリア系、友人の土木監督はアイルランド系のアメリカ人である。みんなマイノリティのカトリック教徒である。そして教会に顔をだしなさいとお節介な神父(father)は、もちろんカトリックである。
本当のイーストウッドはポーランド系ではなく、祖先はメイフラワー号でやってきたというから、無神論者でなければ、プロテスタントであろう。
彼の映画の役コワルスキーは、デトロイトのなかのスラム化した町に、妻に死なれて一人暮らしをするマイノリティの白人である。彼はアジア系を「イエロー」「コメ喰い虫」と忌み嫌っている。
そして、隣人は、ベトナム戦争でアメリカ側についたため難民となったモン族(Hmong)である。彼は隣人の少年の親代わりになって、良きアメリカ人に導こうとする。が、少年の姉がひどい暴力をモン族のチンピラからうける。復讐に燃える少年に犯罪を犯させないため、みんなが見ている前で、モン族のチンピラに撃ち殺される。そうすることで、チンピラが刑務所に収監され、モン族の隣人の安全が守られるという物語である。
良きアメリカ人コワルスキーが、アジア系の隣人のために、コメ喰い虫のイエローのために、死ぬのである。当然、彼は、死を選ぶことに悩むはずである。が、脚本の出来が悪く、彼の悩みが見る人に伝わらない。
この映画は、アメリカのいろいろな現実を中に詰め込んだため、ステレオタイプにならざるを得ない。しかし、悩む弱き人が勇気を出して良き人になるのでなければ、本当のtouchingな映画でない。この点で、失敗作である。
ーマルコ福音書15章34節ー
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。(聖書協会共同訳)
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