猫じじいのブログ

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育鵬社の『新しいみんなの公民』を検討する、その6 基本的人権

2020-07-25 22:17:12 | 育鵬社の中学教科書を検討する
 
育鵬社の中学校教科書『新しいみんなの公民』は、第2章第2節で日本国憲法の基本的人権を扱う。
 
著者たちは、第1節で大日本帝国憲法を評価しているにもかかわらず、第2節で基本的人権について、現在の日本国憲法と戦前の大日本帝国憲法の比較を行っていない。それは、基本的人権に関して、大日本帝国憲法は、ほとんど何も規定していないからである。
 
日本国憲法と大日本帝国憲法の構成には類似性がある。日本国憲法の第2章が「国民の権利及び義務」で、大日本帝国憲法の第3章が「臣民権利義務」になっている。単に、「国民」が、戦前、「臣民」であっただけでなく、大日本国憲法では、ほとんどの権利を「臣民」に認めていない。認めていないだけでなく、「臣民」に徴兵の義務を課しているのである。
 
大日本帝国憲法第20条《日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス》
 
この点に関して、教科書の著者は、つぎのように言及する。
 
〈国民に国防の義務がない徹底した平和主義は世界的に異例ですが、戦後日本が第2次世界大戦によるはかりしれない被害から出発したこともあり、多くの国民にむかえ入れられました。〉(56ページ目)
 
日本国憲法が「異例」だと、著者は書く。それに続く文、「戦後日本が第2次世界大戦によるはかりしれない被害から出発した」が不可解である。「被害」が動機であれば、復讐のため軍事力強化となり、多くの国民は徴兵制を望んだはずである。
 
私の子ども時代の記憶では、大人たちに「反米」という感情が残っていたが、それと同時に、戦争は無意味だった、帝国政府と天皇に騙されたという思いを大人たちは共有していた。もう二度と戦争に行きたくない、もう二度と子どもたちに戦争に行かせないという思いが、徴兵制廃止に賛成した理由である。
 
日本国憲法の第11条、第12条、第13条、第14条、第15条、第16条、第17条、第18条、第19条、第23条、第24条、第25条、第26条、第27条、第28条、第33条、第34条、第36条、第37条、第38条、第39条、第40条は、対応するものが大日本帝国憲法にない。対応するものがある場合でも、なんらかの制限がついている。
 
大日本帝国憲法のもっとも大きな基本的人権の制限は、つぎである。
 
大日本帝国憲法第31条
《本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ》
大日本帝国憲法第32条
《本章ニ掲ケタル条規ハ陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス》
 
大日本帝国憲法では、「天皇の大権」と「軍の法令と紀律」が、基本的人権の上にあるのだ。
 
大日本帝国憲法にない「法のもとの平等」について論じてみよう。
 
日本国憲法第14条
《すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。》
 
これに対して、育鵬社の著者は、教科書から「政治的、経済的又は社会的関係において」の句を省く。そして、公民教科書につぎのように書く。
 
〈一方で、憲法は人間の才能や性格の違いを無視した一律な平等を保障しているわけではありません。憲法が禁止する差別とは、合理的な根拠を持たないものと考えられているからです。行きすぎた平等意識は社会を混乱させ個性をうばう結果になることがあります。〉(64ページ目)
 
〈憲法が保障する平等は、合理的な根拠をもたない差別を禁止するものだと考えられています。〉(68ページ目)
 
私には、合理的な不平等というものが、想像できない。
 
育鵬社の著者たちは、つぎのようにのべる。
 
〈男性または女性というだけで不合理な差別をうけたり偏見をもたれることは、あってはなりません。しかし同時、社会の風習や古くから伝わる伝統をすべて否定したり、性別を尊重しようとする個人の生き方を否定したりしてはならないでしょう。〉(65ページ目)
 
〈家族が単に個人の集まりでしかないと考えられたり、個人が家族より優先されるべきだとみなされるようになると、家族の一体感は失われていくおそれがあります。個人の多様な生き方を尊重する現代の社会はそのようなことになりがちです。現在の日本では、家族の形や役割に変化が見られますが、家族を維持していくことの重要性は、現代の日本人にも強く意識されます。〉(67ページ目)
 
〈外国人にも人権は保障されますが、権利の性質上、参政権など日本国民のみにあたえられた権利は、外国人に保障されません。〉(68ページ目)
 
上記の第1段、第2段は、日本国憲法14条だけでなく、暗に、下記を批判している。
 
日本国憲法第13条
《すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。》
 
日本国憲法第24条
《婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。》
 
教科書の著者たちは、「個人の尊重」「個人の尊厳」というものを理解できていない。
 
三段目の著者たちの主張は、日本国憲法の欠陥にも起因する。憲法第2章の条項には、「国民」という語が主語になっているものがある。たとえば、第13条や第14条では「国民」が使われている。
 
しかし、日本で働いている外国人から税金をとりたてている。また、在日朝鮮人、在日中国人は親や祖父の代から日本に住んでいる。「国民」の解釈を通じて、外国人の権利を救う必要があると思う。
 
日本国憲法第13条
《日本国民たる要件は、法律でこれを定める。》
 
   ☆    ☆    ☆
そのほか、教科書第2章第2節に、著者たちは、世界の国家を「全体主義国家」と「自由主義国家」に2分しているが、「君主国家」か「民主国家」か、そして、形式的に「民主国家」でも機能しているか否かで、見るべきでないか。
 
著者のつぎの記述に、私は納得できない。
 
〈日本をはじめとする自由主義国家は、国民が自由に移動し、職業を選び、事業を営み、自分で働いて得た財産を保持することを、国民の基本的な権利としています(22条・29条)。これによって自由な経済活動が保証され、経済発展が支えられています。〉(63ページ目)
 
[補遺]
米国では、戸籍がない。一人ひとりが、国籍をもつ。したがって、米国で生まれたことが、米国の国籍を持つ条件となる。
日本では、戸籍や住民台帳があり、「世帯」と「世帯主」という概念で個人が管理される。日本の「家族」は、政府が個人を管理するための手段として利用されている。
「個人」を尊重する米国で、家族が崩壊しているとは言えない。


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