猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナ感染対策に「安全安心」いらない、行政の長は正直であれ

2021-08-19 23:14:34 | 新型コロナウイルス

新型コロナ対策で、行政の長は不正直である。病床があるのに、新型コロナの患者が入院が拒否されている。本当は病床がないということではないか。医療従事者が新型コロナのワクチン接種を済ましたというのに、感染防止の防護服を着て陰圧室で診療する。ワクチンが感染予防対策になっていないということを、医療関係者は知っているのではないか。尾身茂はワクチン接種のテレビ宣伝で、重症化を防ぐのに効果があるとしか言っていない。

行政の長は、医療体制が崩壊しているなら、崩壊しているというべきである。事実をみんな直視しなければ、対策ができない。みんなに責められるからと言って、事実を告げなければ、そのために、みんなが不要な苦しみをこうむる。

考えてみよう。20メートル、30メートルの高さの津波が押し寄せているとき、安全安心ですよ、と言って何の意味があるのか。

考えてみよう、原発事故が起きて、放射能の灰が降り注いでいるとき、安全安心ですよ、と言って何の意味があるのか。

「安全安心」でないときに、「安全安心」と言っても何の意味もない。事実を知らせないのは、愚民化政策である。行政の長は、日本人は愚かしいと決め込んで、事実ではないことを言っても、私は、何の意味もないと思う。

行政の長は、みんながパニックを起こすから、事実を知らせないと言うかもしれない。しかし、現在のように、情報伝達の手段が多様化した時代は、物事を隠すことができない。隠せば憶測が広がり、疑心暗鬼が起こり、混乱が広がる。

だいじなことは、事実に向き合い、冷静に最大の努力をつくせるように、行政の長は、みんなの心を強くすることである。パニックになるまえに、力をあわせるよう訴えることである。「安全安心」を言うことよりも、危機意識の共有と協力とを訴えることである。

感染症拡大抑制の基本は不要な人と人との接触を控えることである。出歩く若者のに、メディアが「我慢の限界だね」という必要はない。マスクをしたくない、外食をしたい、映画館で映画を見たい、ということはあたりまえで、そんなことを代弁したって意味がない。事実は、それが感染症を広めることだからだ。おまけに、最近、ワクチン接種が決定打にならないことがわかってきた。米国では、2回目接種後、8か月で3回目の接種が推奨である。

新型コロナ患者が入院できないということは、感染者を隔離できないことを意味する。ここまで、事態を悪化させたのは、行政の長の危機意識の欠如である。いざとなったときに使えない病床を「安全安心」のために使えると発表したことは、関係者みんなが知っていたことである。単に自分が責められないように、現状をウソついて説明していたから、一部のバカな人々が動き回ってたのではないか。そして、彼らは補償、補償と騒ぐ。

経団連なんて金持ちがますます金持ちになるための組織である。行政の長が経団連にお願いに行って何の意味があるのか。病床から金持ちを叩き出して、新型コロナ患者の病床をつくろうというのか。

病床がないなら、病床をつくるしかない。ホテルでなく、大きな部屋にたくさんの病床をつくれば、とりあえず、限られた医療関係者で、新型コロナの患者にとりあえずの処置ができる。そうすれば、患者の隔離にもなり、家庭感染も防げる。通常の入院よりも劣る環境だがそれしかないなら、ないと言って、大部屋の病室をつくればよい。オリンピック施設やイベント会場を使えないのか。

政府は、パラリンピックに、学童を集団観戦させるという。いま、横浜で学童の感染が広がっている。NPOで私がよく知っている学童の間でも、兄弟が感染したとか、友達が感染したとか、で、自宅待機になっているが子どもが何人もいる。しかも、これらの学童は現在ワクチン接種の対象ではない。学童にパラリンピックを集団観戦させたからといって、障害者に対する偏見がなくなるわけではない。偏見による差別は、身近なところにいる障害者にたいして起きる。学童の集団観戦は、統治者や行政の長の自己満足にすぎない。


アフガニスタンについて、きのうのバイデン大統領のスピーチ

2021-08-18 13:39:01 | 戦争を考える

カブール陥落の混乱をうけて、きのうの(US時間8月16日)ジョー・バイデン大統領のスピーチは納得のいくものだった。勇気あるものだった。

《我々は明確な目標をもって20年前にアフガニスタンに向かった。2001年9月11日に我々を攻撃したやつらに仕返しをし、アルカイダが我々への攻撃の基地にアフガニスタンを使えないことを確実にすることだった。》

《We did that.(やったじゃないか。)オサム・ビ・ランディを追い、やっつけたじゃないか。10年前にである。》

《アフガニスタンでの我々のミッションは国を建設することと決してされていなかった。単一の求心力ある民主政を創り出すことと決してされていなかった。》

アメリカの復讐の戦いが、いつまのにか、正義の戦に変えられている、アフガニスタン政府の兵士が戦う意思がないのに、アフガニスタンの人びとのためにアメリカの兵士が戦っているのはオカシイとバイデン大統領は言う。

よくぞ言った。

《 I am President of the United States of America, and the buck stops with me. 私はUSAの大統領である。責務は取り続ける。》

このbuckは雄鹿の角のことで、トランプゲームのポーカーの親(デーラー)のこと。責任をとると言う意味とともに、責任者の地位を渡さないという意味でもある。

バイデン大統領は、兵士を送らないが、外交努力と経済力で、人権や女性の社会進出について、アフガニスタンの人びとのために、言い続けると断言する。

カブールの混乱は、国内選挙を意識した歴代のアメリカ政府の誤りに起因する。誰かがアフガニスタンでの戦闘を終結しなければならない。バイデン大統領の決断を評価すべきである。そして、責務をとり続けるというのだから、見守ろうではないか。


アフガニスタンのカブール陥落に思うこと、戦争の無意味さ

2021-08-16 21:55:23 | 戦争を考える

きょう、アフガンニスタンの首都、カブールが、タリバーンの軍に陥落した。

カブールの陥落は、私の年代のものに、アメリカ政府が支援した南ベトナムのサイゴンの陥落を思い起こさせる。1961年、アメリカの新大統領になったジョン・F・ケネディ―は、北ベトナムと南ベトナムとの内戦に介入すると、就任演説で宣言した。ベトナム戦争は、1975年のアメリカ軍撤退で終結するが、4月30日の南ベトナムの首都サイゴンは、陥落で逃げ惑うベトナム人で大混乱になった。南ベトナムでアメリカ軍の作戦に参加していた韓国軍兵士、フィリピン軍兵士は、アメリカ軍に見捨てられて、自力で逃亡するしかなかった。アメリカに協力した民間の日本人も、アメリカ軍に見捨てられ、自力脱出しかなかった。

陥落ということは、アメリカが負けたということで、アメリカに協力した人々も すべてを失うことである。

ベトナム戦争では、アメリカでもヨーロッパでも日本でも戦争反対の運動が起きていた。私もベトナム戦争に反対するのが当然だと思っていた。だから、徴兵制で駆り出されたアメリカ軍の兵士以外は、覚悟の上のベトナム侵攻であったともいえる。ただ、みんなが負けると予期していたのかは疑問が残る。

とにかく戦争というものは、駆り出された兵士にとって、いつも無意味な死を覚悟しなければならない。

アフガニスタンの戦争は、2001年9月11日にニューヨーク市のワールドトレードセンターへとバージニア州のペンタゴン本部への航空機突入で始まる。アルカイダがハイジャックした民間旅客機で一般客もろとも体当たり攻撃をかけたのである。ワールドトレードセンターが火を噴いて崩落したのをテレビで見たが、ペンタゴンも被害を受け、ペンタゴンの125人と旅客59人が死んだのに当時気づいていなかった。アメリカ軍本部のペンタゴン攻撃は、テレビでは放映されなかった。

当時、ジョージ・W・ブッシュが1期目の大統領で、支持率が低く、2期目の当選はないと言われていた。アメリカの同僚もブッシュをあざける動画を会社内で私に見せてくれ、再選はありえないという雰囲気であった。

ところが、9月11日以降、若者が町に繰り出し、星条旗を振ってUSA、USAと連呼した。銃をもったアメリカ軍兵士が空港を警備するようになった。アルカイダは、アメリカ人のなかにあった「強いアメリカ」というプライドを傷つけたのである。ブッシュは、10月7日からアフガニスタンの空爆を始めた。対テロとして戦争を始めたので、明確な宣戦布告なんてなかった。タリバーン政権はアルカイダを保護していたのは事実だが、ブッシュは、タリバーン政権をテロリストと位置付けることで、他国に公然と侵攻したのである。ブッシュがこの「復讐の戦い」をしたことで、支持率を回復し、2004年の大統領選に勝利したのだ。

このアフガニスタン戦争は、ベトナム戦争の長さを越えて、20年近く続くのである。復讐を唱えて他国に侵攻し、勝ったのだから、そこで、「鬼を征伐した、めでたし、めでたし」で、やめれば良いものを、復讐の戦いから、正義の戦いに転換しようとしたものだから、多く人を巻き込んで、長い長い戦争になったのである。

人間はバカな生き物である。怒りから相手を殴り殺してから、自分の方が強いと気づいて、言い訳を考える。アメリカ政府が正義の人を装うために、民主主義国家をつくるとか、女性の社会的地位を向上させるとか、言い出したために、長い長い戦争になったのである。

殺すのは簡単だが、統治はずっと難しい。アフガニスタン侵攻だけでなく、イラクまで侵攻するものだから中東全体を混乱に陥れた。また、イスラム社会に対する偏見をアメリカやヨーロッパに広めた。

アメリカ政府の大義名分を言葉どおりに信じた、アフガニスタン人や全世界の善良な人々がいたはずである。アフガニスタンにいる これらの善良な人々はいま恐怖の中にあるだろう。また、アメリカ政府は、国際治安支援部隊(ISAF)を組織化したため、多くの国の若者がアフガニスタンの戦争に巻き込まれ、死んだり、手足を失った。カブール陥落という形で戦争が終結し、大義名分が幻想だったとなった いま、とてもむなしい思いにあるだろう。

戦争は無意味である、ただ、残酷で憎しみに満ちたものである。日本の若者が政治家に騙されて、このアフガニスタンの戦争に参加しないで済んだのは、日本国憲法9条のおかげである。

《第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。》

安倍晋三の積極的平和主義とは虚構である。いまBBC放送を聞いているが、国連もウソがまかり通るところである。他国に行って戦うような愚かなことをすべきでない。

[補遺]

きのうは、アニメ『この世界の片隅に』をテレビで見て、私は涙を流していた。

[補遺]

殺された中村哲医師が先頭にたってアフガニスタンに作った水路は、カブール陥落後も、ちゃんと維持されるのだろうか。日本とのつながりが維持されるよう祈る。


父性の復権、父親の息子殺し、河合隼雄

2021-08-14 23:48:40 | こころ

きのう、図書館で たまたま のぞいた河合隼雄の『中空構造日本の深層』(中公文庫)の一節

「今日(昭和56年5月3日)も朝刊を見ると、家庭内暴力の息子の行為に耐えかねて、息子を殺してしまった父親の記事が出ていた」

がとても気になり、きょう一冊を返して、本書を借りて生きた。

本当を言うと河合隼雄が嫌いである。ユングの妄想を日本で広めているの気にいらないのである。しかし、それ以上に、「家庭内暴力の息子の行為に耐えかねて、息子を殺してしまった」がとても気になったのである。

本書は12のエッセイからなる。気になった一節をふくむ『中空構造日本の危機』の要旨はつぎのようである。

「父性」の弱さが最近指摘されることが多いが、日本の精神構造は、もともと中心となるものがなく、いろいろな考え方のバランスでなりたっている。その中空に昔の「強い父」「恐い父」を復権させよというのでは、日本の「中空均衡型モデル」をくずすだけで、政治を誤った方向にもっていく。国際交流の激しい現在の日本に必要なのは、昔の「父性」ではなく、西欧型の父性「合理的に思考し判断し、それを個人の責任において主張する強さ」で、日本社会に「意識化の努力」を提起する。

結局、「家庭内暴力」の話は、敗戦後、家長型の父性が弱くなり、バランスが崩れたという問題提起に使われただけである。

河合が「父性」「母性」をステレオタイプ的に捉えている。

《母性はすべてのものを全体として包みこむ機能をもつのに対して、父性は物事を切断し分離してゆく機能をもっている。》

女が情動的で、男が理性的だというのはウソんこである。偏見だ。

宗教に関しても生半可である。

《唯一の中心と、それに敵対するものの存在という明白な構造は、ユダヤ教の旧約における、神とサタンの関係に典型的に示される》

《キリスト教神話のような唯一絶対の男性神を中心とする構造》

これも自分で聖書を読んだというより、誰かの受け売りだろう。この時代の知識人は西洋文化への劣等感が強く、生半可の知識で、日本文化を持ち上げるものが多い。

さて、冒頭の事件はネットで調べると、5月3日午前3時に父親が高校に入学したばかりの15歳の息子を犬引き綱で締め殺した事件である。東京地裁で、11月30日に懲役3年、執行猶予5年の判決が言い渡された。この事件では母親が息子の激しい暴力の対象となっている。

「これくらい友達からやられている。お母さんにやらなければ、誰にやるんだ。僕より弱いもので、女の人にやるんだ」(中学2年後半)

「おれはむりやり転校させられた。お前たちの犠牲だ。」(中学3年)

「おれも分からないけれどいらいらするのだ」(中学3年)

「こいつは本当に言うことを聞かない。殺してやりたい。殺してやる。」(殺害の前日)

「お父さん、何するんだ」(最後の言葉)

残された抗議文

「私がお母さん、お父さん話し合いをしたいのですというと、父は笑って話を聞いてくれないのです」

判決文から、

「助けてほしかった父の手によって15歳の短い人生を終えなければならなかった××の心情は哀れである。」

執行猶予になった理由は、当時、父親と母親が、国立小児病院精神科医や都立松沢病院や世田谷教育委員会や北澤警察署に相談していること、また、家庭内暴力に身心尽き果てたことを考慮してかと思われる。当時の精神科医や教育委員会や警察署は、家庭内暴力に対処する能力を持ち合わせていなかった。

つぎの判決文に、河合が指摘するような「父権」の偏見がにじみ出ている。

「被告人は、妻や義母に対する××の暴力を知るや××に注意したが、××が直ちにそれを何倍かにして妻や義母に仕返しをしたことから、被告人は××に対し父親としての断固たる態度をとることを諦め、息子の気持ちを理解しようとする態度に終始した。このような被告人夫婦の態度が××の家庭内暴力に油を注ぐ結果になったという見方も十分に成り立ちうると思われる。」

「そして被告人が息子に対してもっと父親として毅然たる態度を示していたならば、あるいは本件は別の経過をたどっていたかもしれない。」

ひどい判決文だと思う。河合には、新聞記事の記憶だけでなく、判決文を見て、「毅然とした父親」像を批判してほしかった。

なぜ母親だけを執拗に暴力の対象にしたのかで、まず私が思うのは、大卒で主婦業をしている母親は息子をどう教育していたのだろうか ということである。理性的な態度で息子とむきあっていたか ということである。

私のNPOでの経験からすると、知的には問題なく、社会的にあるいは精神的に問題を抱える男の子は、小学校4年から6年にかけて、母親とは何だろうと思っていたようだ。母と息子だけの環境がつづくと、幼児に対するように、母親は息子に絶対的暴君としてふるまう。すなわち、対話がなく、あれやこれや、息子に命令しまくるのである。

その状態がつづいたまま、外部からのいじめなどが発生し、強いはずだった母親が助けてもくれないと、男の子は母親を憎むようになる。母親は保護者でなく暴君であるだけだ、しかも世間に媚びている、弱虫だ、と息子は思うのである。

本件では、中学2年でそれが爆発したと思われる。また、中学3年で不良グループにはいったと思われるが、グループからの切り離しには、十分な親の保護とケアが必要である。息子の立場を理解していないような発言を母親はしている。母親と息子の間には加速度的に互いの憎しみが成長している。

父親は息子の話を聞いているように言うが、しかし、登校を強要している。聞いているのではなく、息子の抗議文のよると、笑って聞き流している。

では、どうすればよいか。

小学4年から6年にかけて、男の子が反抗的になったと気づいたとき、自立した大人としての対応に変え、母親は積極的に息子の自立を促す。また、母親、父親のそろい踏みで、この不条理な社会を生きていく強さを受け継いでもらうよう、思想的な対話をする。

それが手遅れになったら、それでも、遅ればせながら、対話を始めるしかないのだが、その前に、家庭内暴力を終わらすことである。暴力の対応は警察を呼ぶか、退避することである。どちらの場合も、愛しているとのシグナルを送る。

暴力がなくなってから対話を始めるが、現状の世界を両親が弁護し、息子を攻撃しだしたら、対話にならない。たとえば、理由を述べずに登校せよでは、対話ではない。

判決文を読むと、両親は当時の世間に媚びているように思える。双方の価値観が変わらなければ、対話でない。

最後に「中空構造の日本」は、昭和の文化人の戯言である。河合隼雄は本当にバカである。


危機意識のない菅義偉抜きでの新型コロナ対策がいま必要だ

2021-08-13 22:58:41 | 新型コロナウイルス

きょう東京都の新型コロナ新規感染者数(1日あたり)が過去最多の5,773人を数え、国内の新規感染者数も過去最多の20,366人を数えている。入院できない患者の数は、東京都で3万人を超えている。

1年前の8月上旬、ヨーロッパの新型コロナ大流行のときの1日あたりの新規感染者数は、イギリスでも、ドイツでも、フランスでも、スペインでも、千人を超えていなかった。現在の日本の感染者数の増加はまったく異常なのだ。

日本政府は危機意識をもたなければいけないのに、菅義偉に危機意識がまったくないのである。自分は悪くないと言うばかりで、国民に危機を伝えない。

現在 日本で流行中の変異株デルタにワクチンがどれだけ効くのか不明である。しかも、ラテンアメリカには、つぎの強力な変異株ラムダが控えている。それも すでに世界に広がりつつある。

このような状況において、菅が相変わらずワクチン接種をおし進めた自分の実績をほめたたえるだけだ。ワクチン接種が必要なことはわかっている。私も妻も2回の接種を済ましている。

ワクチンだけでは不十分なのだ。政府は、急激な感染拡大を抑えるために、現在、日本で起きている現実を国民に正確に伝え、人と人の接触を緊急に抑えなければならない。

もしかしたら、菅が思い込みが強くて危機意識が足りないのかもしれない。もしかしたら、根拠のない安全安心の思いこみが、菅だけでなく、一定の数の国民に広がっており、それが現在の急激な感染を招いているのではないか。

私の妻はこれまで近所の人のストレッチ(柔軟体操)の集まりに参加していた。人の集まりを極力控えるとの分科会会長の尾身茂の訴えを聴き、きのうの参加を控えることにした。ところが、妻ひとりをのぞいて、安全安心対策をしているから、大丈夫だという。おしゃべりをへらした、手を消毒した、人と人との距離を1m離しているから大丈夫だと彼らは言う。

最近、テレビで感染症専門家が言っているのは、デルタ株はこれまでの新型コロナの2倍から3倍感染力が強い、基本再生産数は5から9人だ、人と人との距離は1.8m必要だ、マイクロエアゾールで広がり空気感染とほぼ同じだ、アクリル板を置いているから安全安心ではなく、換気をさえぎって逆に感染のリスクを高めている、という新しい知見だ。

実際、人が集まるところ、デパ地下でも、モールでも、ファストフードでも、スーパでも、学習塾でも、至るところでクラスターが起きている。お酒を飲まないから大丈夫というわけではない。通勤すること自体が危険なのでだ。

ワクチンについても、ワクチン接種を2回したから安全安心というわけでなく、感染する人が出てきている。2回接種したウガンダのオリンピックの選手団チームで10人のうち2人が発症した。ニュースによれば日本国内でも同じように2回接種の人から感染者がでている。

また、ロイター通信が8月9日に報じた米医療機関「メイヨー・クリニックヘルスシステム研究チーム」の研究結果によれば、今年7月、陽性者の7割がデルタ株に感染したミネソタ州で、ファイザーの有効性が今年1月の76%から42%に低下したのに対し、モデルナの有効性は同86%から10%減の76%だったという。

きのう、TBS『報道1930』で、東大先端科技研の児玉龍彦は、ファイザーのワクチンがモデルナのワクチンより先に接種されているので、時間的劣化で、免疫力が落ちてきた可能性も高く、いつ接種したかを分析しないと、これだけで、モデルナのワクチンがファイザーのワクチンより有効だとはいえないと言った。

それにしても、ファイザーのワクチンによる免疫力が半年ちょっとで5割を切ったかもしれないというのは驚きである。

とにかく、ワクチンの効果は、単に変異株だからというだけではなく、時間とともに薄れていくのだ。このことのほうが欧米では大きな問題になっている。アメリカのCDCは3回目のワクチン接種が必要だいう見解を今月になって表明しており、WHOの全世界に広く2回目のワクチン接種を進めていくのが先だとの勧告と対立している。

ワクチンの奪い合いが今年中は続きそうだ。

感染力が強い変異株は症状が軽いというのも、間違った思い込みで、RNAウイルスは変異が起きやすいが、その結果、どういう株ができるかは予測不能、すなわち、中立的である。感染しやすいという性質と重症化しやすいという性質には関係がない。どうなるかは全く偶然である。いまのところ、デルタ株はどうも従来株より症状を悪化しやすいらしいということだ。そして、感染者数が多いとそれだけ多く変異が起きる。

長々と書いたが、行動変容ということが、今こそ必要だと思う。菅個人は、「ロックダウンは日本にはなじまない」「ロックダウンしても効果がない」などと言う。必要なのは危機を国民全体に共有してもらい、短期間で良いから、本当に人と人との接触を減らすことである。罰金をとることが日本になじまないなら、政府は、危機的状況を心から訴えて、外出を控えることをお願いすればよい。それを菅が「ロックダウンしても効果ない」などと言って、どうしようもないから好きなようにしてください、かかったら自宅療養しましょう、インフルエンザーなみだから安全安心ですよ、10月末までに2回のワクチン接種を済ましましょうでは、感染爆発が抑えられず、日本の医療が崩壊し、予測不能な状態に陥る。

危機意識のない菅をどこかに閉じこめて、西村康稔大臣と河野太郎大臣と分科会尾身茂会長と厚労省の脇田隆字座長だけで新型コロナ対策を国民に訴えたほうが良いと思う。そうしないと、誤った「安全安心」を国民の間に広めてしまう。