猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は戦後の日本を理解するための良書

2022-08-26 23:46:33 | 歴史を考える

きょう、図書館でジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を借りてきて読んだ。まだ、読んだのは序と第一部のみであるが、彼が、冷徹な第3者の目で、敗戦後の日本の5年間を正確に捉えているのに、ただただ驚く。

ジョン・ダワーは政府や知識人によって書かれた資料だけでなく、「低俗雑誌」や新聞の特集や投書欄にも目を通している。

たとえば、ホームレスの戦争孤児を取り締まる警官や公務員が、つかまえた孤児を「何人」と数えるのではなく、「何匹」と数えていたと書いている。当時の政府は、孤児を野犬のような厄介者のように考えていたのである。

また、戦争未亡人に政府も親族も冷たいと窮状を訴える新聞投書も紹介している。

私の母は戦争未亡人でないが、同じような苦労をしている。

私の父は終戦後1年して、ある日、連絡もなくある戦地から戻ってきた。その間、私の母は、食べるものを得るのに、はじめのうちは、結婚したときに持ってきた物を売っていたが、それもなくなり、兄を乳母車に載せ、闇屋をした。農家に出かけ、芋などを仕入れ、町に戻って売り歩くのである。闇屋は非合法の商売である。たぶん、警官は乳母車の上の兄の姿をみて、見逃してくれたのでは、と私は勝手に思っている。

祖父(夫の父)は私の母(嫁)を養うという意思がなかったのである。自分のことでいっぱいだったのだ。私の母はそのことで祖父を戦後ずっと憎んでいた。

ジョン・ダワーは日本人が他人を思いやる心優しい人々だという神話を打ち砕いている。もともと、人間は利己的なのである。世界のどこの人たちも同じである。

戦前の日本は、人間の利己心を上から力で抑え込んでいたのだ。国が敗北するとは、それがなくなり、本来の人間が見えてくる。

しかし、利己的だといっても、日本人が共食いで消滅したのではなく、今も存続しているということは、他人に共感(エンパシー)し、できる範囲で助けるということもできたのだと思う。ジョン・ダワーも、人間は複雑だと言う。

1945年の8月15日の天皇の玉音放送について、ジョン・ダワーは、天皇が「降伏」とか「敗北」とかいう明確な言葉を使っていないと指摘している。ただただ天皇は威張っているのである。

改めて玉音放送の原文を読むと、「他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより自分の意志にあらず」と言い張り、戦局は好転せず、「敵は新たに残虐なる爆弾(原爆のこと)を使用し、しきりに無辜(罪のない人)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る」と連合軍を非難し、戦争をつづけると「わが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし」なので、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」と言っているのである。「降伏」のかわりに、ペリーの黒船来航のときの例にならい、「太平を開かん」と言っているのだ。しかも、その後で、「国体(天皇制のこと)を護持」するために臣民に秩序正しい行動を要請し、「神州(神国日本のこと)の不滅を信じ」、「国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらん」ことを命令している。

ジョン・ダワーは聞きにくい天皇の甲高い声でこの曖昧な放送を聞いて、日本が降伏したことを、日本人すべてが了解したことに、驚いている。日本人は、日本のおもだった都市が空襲で灰塵と帰し、もう戦争をしたくないという気もちでいっぱいだから、理由が何であれ、戦争を続けなくて良いと玉音放送を受け取ったのだろうと、私は思う。

ジョン・ダワーは、自決した軍人は数百人程度で、本土にいた兵士や軍人の多くは、玉音放送の後すぐ、軍需物資を勝手に土産にして、すなわち横領して、郷里に帰ってしまったと言う。

ジョン・ダワーは、一般の日本人は天皇に興味なく、ただただ、きょう如何に食べ物にありつくが関心であったと書く。すなわち、天皇制を廃止しても、昭和天皇を死刑にしても、一般の日本人が占領軍に逆らうことはしなかったとみる。昭和天皇をそのまま維持したのは、占領軍が日本の旧来の支配層を安心させるためだったと私は考える。

私はバカな昭和天皇を裁判にかけて殺すべきだったと思う。

可哀そうなのは戦地にいた兵士や植民地にいた民間人で、日本政府は動かなかったので、みんな引き上げにとても苦労した。数年かけて復員する人も多かった。たぶん、多数の日本人が本土に一度に戻ると、食料難が起きると日本政府が思ったからだと私は考える。

戦争に負けてすぐ、日本人が、権威主義的な社会を否定し、民主主義を受け入れたということに対して、ジョン・ダワーは、戦前の権威主義的で従順な日本人というイメージのほうが表面的な理解で、日本の支配層が暴力で一般の日本人を押さえつけていたからであると言う。暴力の恐怖がなくなれば、「平和と民主主義」を一般の日本人が求めるのは当然だと言う。

じっさい、占領軍を解放者(メシア)と思う日本人も多数現れたと、ジョン・ダワーは言う。加藤悦郎の漫画をもとに、それを紹介している。

いっぽうで、占領軍が日本の理想主義者と結びつくことを日本の支配層が苦々しく思っていたことも、ジョン・ダワーは指摘している。その筆頭が吉田茂だという。吉田は日本人はもともと民主的ではなく、日本はエリートが支配するのが望ましいと考えていた。彼は、一部の軍人だけをとり除けば良く、旧来の支配層をできるだけ温存しようと考えていたと言う。

『敗北を抱きしめて』は少し読むだけでも、日本の戦後の秘密がいっぱい明かされる良書である。


ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」の言葉に私は共鳴

2022-08-25 23:20:05 | 戦争を考える

2日前、重田園江が朝日新聞の政治季評で、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を紹介していた。20年前の本であるが、「敗北を抱きしめて」の言葉がとても心に響く。原書のタイトルも“Embracing Defeat”である。1999年の出版である。日本でも2年後に翻訳が出版された。

「日本では、朝鮮戦争前の数年間、1から国を作り直そうとするある種の理想主義が支配した。占領当局(GHQ)と日本の人々が自由と民主主義の夢を共有した時期があった」と重田は書く。なんとすがすがしい見方だろう。

この7月に殺害された安倍晋三は、アメリカに占領された時代に作られた憲法も法律もすべてが受け入れられない、と言う。いっぽうで、安倍は韓国をアダム国、日本をエバ国とする統一教会の信者だった。いつのまにか、日本の政治の中枢に統一教会のシンパが入り込んでいたことが、安倍の死で露呈した。ここで、日本はもう一度再生できるだろうか。

「敗戦によって政府や上層部の化けの皮がはがれたのだ。もし勝っていたら、皆がずっと騙されたままだったろう」と重田は書く。

私の母は、私が子どものとき、何度も何度も「日本は戦争に負けて良かった」と言った。「負けなければ軍人さんが威張ったままだろう」と言った。妻に聞くと、妻の母も同じことを言うと答えた。

保坂正康は『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)のなかで、戦前の軍人は非常にエリートだったと書く。子どもの時代から成績で選別され、軍人養成学校に行き、そこでも選別され、少数の者に天皇の臣下としての特別の権力が与えられた。それでは、威張るなといっても、威張ってしまう。そして、エリートは世間知らずだから、悪い奴に騙されていく。腐敗が進行する。非合理な政治的判断が下される。

ジョン・ダワーは人間の多様性と複雑さを描いているという。敗戦後に軍需物資を横流しして大もうけする元軍人や役人たちの横暴を描いている。

「上層部や特権層の多くはうまく立ち回り、戦後の混乱に乗じて私腹を肥やした。これを目にした人々は考えを変え、権威は地に堕ちた。人びとは敗北を抱きしめるしかなかった」と重田は書く。

ある一時期に理想主義が支配した日本は、時間をかけて、また権威と腐敗の支配する社会に戻っていった。戦争ができる「普通の国」に戻ろうとしている。安倍はそれを「美しい国」という。

今から11年前に東日本大震災が起きたとき、気仙沼のカトリック教徒の山浦玄嗣は、NHKの番組『こころの時代』で「すべてを失って、今、すがすがしい朝を迎える。自然は、今までと同じく、いや、それ以上に美しく、よみがえる。神は、人々を罰するために、地震と津波をもたらしたのではない」と語った。

11年前に、大津波と福島第1原発の事故を目の前にして、人びとは、もう一度日本の再生が訪れると期待した。原発に頼る生活を日本人が改めると思った。

しかし、ウクライナ侵攻を機に、自民党政権はエネルギー危機を理由に原発を再稼働するだけでなく、新規原発の建設を主張している。核兵器の保有や敵基地攻撃まで口にしている。ウクライナ侵攻では、原発が攻撃の脅威となっているのに、新規原発を作ろうとは。

安倍晋三の死を機に、もう一度、日本人は理想のもつことの「すがすがしさ」を思い起こそう。天皇制の廃止以外にいま憲法を改正する必要はない。軍拡競争に日本が参加する必要がない。原発は廃止すべきである。子どもに、株などの金融商品を買うことを学校で教える必要もない。教科書の検定はやめるべきである。


紛争を長引かせる非正規軍を抑えるのにアメリカ軍のウクライナ駐留が不可避

2022-08-24 23:08:19 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻して、きょうで半年になる。しかし、2014年のロシアによるウクライナ併合のころから、ウクライナ東部のドンバス地方では内戦の状態であった。ウクライナ系とロシア系の非正規軍(いわゆる民兵や義勇兵)が戦っていたのである。それを含めると8年に渡る長い戦闘が続いていたのである。

朝日新聞は8月21日から『1920s↔2020s 百年前から』の連載を始めているが、その初回に難しい問題、非正規の「軍」による戦争の問題を提起している。記者は、「近代国家は軍事力を国家が独占することが原則だった」が、パラミリタリー(非正規軍事組織)が戦争に介入すると、紛争が長引き、戦闘員以外の人たちも巻き込まれて死んでいくのだ、と、イギリス領北アイルランドの紛争を例として、主張している。

東ヨーロッパ、ウクライナ、バルカン半島では、この200年間、宗教や言語や風習の違いをもとに、独立の武装闘争が幾度となく起きて、そして鎮圧されている。中東とならぶ世界の火薬庫である。火薬庫というのは、武装闘争の経験のある人たちが散在して、いつでも、非正規軍事組織が生まれる土壌があるのだ。

政府の正規軍と非正規軍では、用いる兵器に大きな差がある。まともに戦えば、非正規軍は正規軍に勝つことはできない。それで非正規軍は普通の市民に紛れ込んで闘うことになる。テロリストになるしかない。そして、普通の市民が巻き込まれて死ぬこととなる。

正義という言葉が通用しないのが戦争である。

プーチンは、8年に渡るドンバス内戦にかたをつけるために、正規軍をウクライナに送った。ロシア軍はプーチンによって制御されている。

8月21日、ロシアの愛国主義思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘、ダリヤが車に仕掛けられた爆弾で殺された。BBC放送でその第一報を聞いたとき、プーチンの娘が殺されたのか、と思って、とても心配した。もし、プーチンの娘が殺されたなら、停戦がさらに遠のき、ウクライナかロシアが消滅するまで、戦争が続くことになるからだ。

第2次世界大戦は、ドイツと日本が灰と塵になるまで続けられた。ドイツと日本が復興できたのは、たまたま、アメリカとロシアが「冷戦」という戦争を始めたからである。近代戦争は、徹底的に相手を叩きのめし、二度と立ちあがれなくするまで戦うのである。近代の戦争は残虐野蛮そのものである。

ダリヤの爆殺に関して、ウクライナ政府は関知していないという。そうすると、ウクライナ政府が統制できない非正規軍の犯行なのか、あるいは、ロシア政府の秘密組織の犯行(戦意高揚の陰謀)となる。

最近クリミア半島のロシアの軍事基地がドローンなどの無人機で攻撃されている。これもウクライナ政府が関与を否定している。すると、ウクライナ政府が統制できない非正規軍による攻撃の可能性がある。

マウリポリの製鉄所の地下に潜んでいたアゾフ連隊はウクライナ政府の正規軍ではなく、内務省に編入された非正規軍(私兵)である。正規軍の指令系統で動くのではない。自分たちの意思で動くのである。それで、ウクライナ大統領のゼレンスキーがアゾフ連隊にインタネットで投降を呼びかけるしかなかった。

政府の指令で動かない非正規軍が存在することは、停戦を実現するのに障害となる。また、指揮命令系統の混乱で、効率的で戦略的な戦闘もおこなえない。

しかし、上からの指揮命令で動かないことは、ある意味で、民主的である。「軍事力を国家が独占すること」が正しいとも言えないのだ。私には判断がむずかしい。

ゼレンスキーは、はじめのうちは、侵攻が始まった地点に双方引きさがるのが停戦の条件であったが、現在、すべての領土を取り戻すと言っている。統制不能な非正規軍を抱え込んでるのでそう言っているのか、あるいは、すべての領土を取り戻すことができると本当に思っているのか。なにか、戦争を終える戦略がないように見えて私は不安になる。

アメリカ政府はウクライナの紛争地に駐留軍を送り、力で名誉ある停戦に持ち込むしかないように私は思う。


非業の死をとげたからといって安倍晋三を「国葬」にしてはいけない

2022-08-22 03:35:43 | 安倍晋三批判

9月27日に安倍晋三の国葬が閣議で決まっているが、メディア各社のどの調査でも、「国葬」反対が賛成をうわまっている。

安倍は「国家主義」の論客あったが、日本国への貢献は何であったか、疑わしい。現在の円安物価高を招いたのは、アベノミクスのせいであるし、アメリカやロシアに土下座外交をおこなったが何か見返りがあったわけではない。

数日前、ひと昔前の論客の大前研一は、安倍が非業の死を遂げたからしか、「国葬」にする理由がない、と言っている。

安倍の確実な業績は、選挙に強くて、民主党から自民党に政権を取り戻したこと、8年近くの長期政権を築いたことに過ぎない。これらすべては、自民党にとっての良いことであって、他の政党からみれば悪いことである。それなら、「自民党葬」で良いはずである。

しかも、今は、安倍が、自民党の「統一教会」との癒着を深めた首謀者だったということが、明らかになりつつある。安倍は、自民党議員に統一教会の選挙支援を受けるよう勧めたり、参院選では、統一教会からの票の割り振りを決めたりしていた。

図書館の本棚で姉崎明二の『検証 安倍イズム』(岩波新書、2015年)という本を見つけた。副題は「胎動する新国家主義」である。姉崎の論旨は、安倍晋三は保守主義者ではなく、国家が社会のすべての領域に力をふるう「新国家主義」者だという。

保守主義者でないという証拠の1つに、政策「女性の活躍」を掲げている。安倍は、「女性の就労を抑制する配偶者控除」の見直しを強く主張したという。これに対し、自民党内の保守派が、「女性の役割は母や主婦」という日本の伝統的家族観を壊すものだ、と強く反対し、見直しが実現しなかったという。

姉崎は、安倍が祖父の岸信介の理念を引き継いでいるという。岸信介は革新右翼の北一輝に傾倒していた。北一輝は、憲法を停止して、天皇の権威のもとに、国家の力で貧富の差をなくそうと考えた。北一輝は、クーデター2.26事件の理論的指導者として、1937年に死刑となっている。岸は、北の思想を引き継ぎ、「満州国」を経営し、ついで、第2次世界大戦中の日本国内の統制経済を商工大臣として指揮している。

安倍は、安全保障・外交政策などでは、戦前の「富国強兵」「尊王攘夷」を引き継ぎ、国家の権力を強化している。戦前から岸が天皇を軽んじていたことを引き継ぎ、「尊王」のかわりに、首相の権力を強化しようとしていた。選挙で勝つのは政党であるが、政党が政策を決めるのではなく、政党の総裁でもある首相が自分の顧問団の助けですべて政策を決めるという形を追い求めていたという。

まさに、ヒトラーが安倍の理想だったのである。自民党党内の抵抗でそこまで行き着かず、統一教会の癒着が原因で、安倍は非業の死を遂げた。しかし、自分の派閥、清和会を自民党内最大派閥に仕上げている。

日本には非業の死を遂げたものを神に祭り上げ、祟りを避ける風習が昔からあった。岸田文雄が安倍を「国葬」にしたのは、清和会による安倍の祟りを恐れてと思われる。しかし、「国葬」という手で清和会と妥協をはかるのではなく、正面をきって清和会や菅義偉と争うべきである。

そうでないと、国家権力の拡大という安倍晋三が残した「安倍イズム」が進行し、日本の未来に祟りをおよぼすであろう。「国葬」を取りやめることが、革新右翼への論戦の始まりとなる。

 


老人のとりとめない話しには それなりの価値がある

2022-08-18 23:00:50 | 戦争を考える

年を取ると、とりとめのない話し方をしてしまう。私も年をとって、とりとめのないしゃべり方をしてしまう。考えて話すのではなく、話しながら考えてしまう。脳の老化がそのような話し方しか許さなくする。

私はNPOで子どもたちに勉強も教えている。脱線の多い話し方をすると、それを嫌う子どもがいる。効率的に教えてくれという。そういう子は、物事に決まった正しい答えがあって、それをコンパクトに伝えるのが教師の仕事だと思っている。自分で判断できる力より、人に指示を求めている。

しかし、私がとりとめのない話をするから、私から勉強を教わりたくないと言いながら、家が引っ越したので、1時間半もかけ、この4年間、おしゃべりのために私に会いに来る子ども(もう二十歳過ぎ)もいる。

なぜ、私がこんな話を持ち出しとかいうと、8月16日の朝日新聞社会面のつぎの記事に、違和感をいだいたからである。

93歳の老人が8月15日の水戸市主催の集会で約1時間、自身の戦争体験を語った。終戦の1年前、15歳のとき、予科練に志願して、特攻作戦の順番がまわってくるのを待つうちに、朝鮮半島の基地で8月15日を迎えた。

ここで、記者はつぎのように書く。

<ここまで話すとこの日の予定時間を迎えてしまった。その後のことも、もっと伝えたかったが、話したいことが多すぎて時間が足りなかった。>

「その後のこと」とは、ソ連軍の捕虜になり、モスクワ郊外の収容所で強制労働を強いられ、仲間が息絶えるのをみたことである。

そして、記者は書く。

<侵攻してきたロシアに移住を余儀なくされるウクライナの住民と抑留された自分が重なる。その一方、今のロシアとかって中国に攻め入った日本も二重も写しに見える。>

問題は、どこまでが老人の言ったことで、どこからが記者の思いなのか、よくわからない記事の書き方であったことだ。

話しているうちに時間が足りなくなったというのは、老人がとりとめのない話し方をしたのかもしれない。しかし、老人はこの3年前から自身の体験の証言活動を始めたというから、やはり、一番言いたいことを集会で1時間かけて話したのではないか、と思う。

集会でこの老人は、<「人を殺し、自らの命を散らせば勲章を与えられる。15歳の少年は、戦争の実情も本当の死の恐怖も知らなかった」「国に命を捧げることが誇らしいと思っていた」と話した>のだから、それはそれで満足だったのでは、と私は思う。