明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 親鸞
親鸞聖人は九歳で出家をされました。
聖人は貴族の出身でしたが、下流貴族で、父母を亡くし生活にも困窮していたといわれています。
出家の動機は今では想像するほかありませんが、その時のエピソードとして、こんな話しが伝えられています。
聖人が得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていました。
得度には時間もかかりますし、たくさんのお弟子を集めなければなりません。
「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、
わずか9歳だった親鸞聖人はこの和歌を詠んで答えたといいます。
「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。
同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。
どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」
という聖人のそのことばに心打たれ、慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということです。
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