皆さんは1月7日に七草がゆを食べられましたか。
本来は1月7日の朝に食べるものなのですが、
うちは朝は家族が揃って食べれないので、
家族が揃う、毎年夕食に出すようにしています。
春の七草とは、皆さんご存じでしょうが、一応記しておきます。
名前 現在の名前 科名
芹(せり) 芹 セリ科
薺(なずな) 薺(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ) キク科
繁縷(はこべら) 繁縷(蘩蔞)(はこべ) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
菘(すずな) 蕪(かぶ) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん) アブラナ科
こちらに写真があります。ご覧下さい。
この七種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、
邪気を払い万病を除く占いとして食べるという呪術的な意味ばかりでなく、
御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあるそうです。
七種は、前日の夜に俎(まな板)に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、
当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、
これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられています。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがあります。
和歌山県に住む私の友人は、毎年歌いながら包丁で叩いているそうですが、
私はその歌を残念ながら知りません。
できあがった七草がゆの写真をウィキペディアから拝借しました。
うちもつくったのですが、写真とらずに食べてしまいましたので・・・。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれていました。
正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があったそうです。
もともとは、正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、
小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈ったそうです。
「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言われます。
松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事だそうです。平安時代の歌人、壬生忠岑の歌に
「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしに何をひかまし(子の日の遊びをする野辺に、小松がなかったならば、千代も生きる長寿の例として、何を引いたらよいのだろうか)」があります。
またこの日、若菜も共に摘んで食したそうです。
『源氏物語』「若菜」の巻にも、小松を引き、若菜を摘む様子が登場します。
子の日が、いつになるのか、調べてみましたがわかりませんでした。
わかり次第また書かせていただきます。ご存じの方がおられたら
教えてください。
若菜摘みのことですが、小倉百人一首にもありますね。十五番の歌です。
君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ 光孝天皇
歌の意味は、
「あなたに差し上げる若菜を摘むためにお正月(春)に私は
野原に出かけましたが、袖は雪でぬれてしまいました。
(こんなにもあなたのことを思っているのですよ。)」
七草をスーパーでしか買ったことのない私には耳の痛い歌でございます・・。
本来は1月7日の朝に食べるものなのですが、
うちは朝は家族が揃って食べれないので、
家族が揃う、毎年夕食に出すようにしています。
春の七草とは、皆さんご存じでしょうが、一応記しておきます。
名前 現在の名前 科名
芹(せり) 芹 セリ科
薺(なずな) 薺(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ) キク科
繁縷(はこべら) 繁縷(蘩蔞)(はこべ) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
菘(すずな) 蕪(かぶ) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん) アブラナ科
こちらに写真があります。ご覧下さい。
この七種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、
邪気を払い万病を除く占いとして食べるという呪術的な意味ばかりでなく、
御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあるそうです。
七種は、前日の夜に俎(まな板)に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、
当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、
これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられています。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがあります。
和歌山県に住む私の友人は、毎年歌いながら包丁で叩いているそうですが、
私はその歌を残念ながら知りません。
できあがった七草がゆの写真をウィキペディアから拝借しました。
うちもつくったのですが、写真とらずに食べてしまいましたので・・・。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれていました。
正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があったそうです。
もともとは、正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、
小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈ったそうです。
「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言われます。
松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事だそうです。平安時代の歌人、壬生忠岑の歌に
「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしに何をひかまし(子の日の遊びをする野辺に、小松がなかったならば、千代も生きる長寿の例として、何を引いたらよいのだろうか)」があります。
またこの日、若菜も共に摘んで食したそうです。
『源氏物語』「若菜」の巻にも、小松を引き、若菜を摘む様子が登場します。
子の日が、いつになるのか、調べてみましたがわかりませんでした。
わかり次第また書かせていただきます。ご存じの方がおられたら
教えてください。
若菜摘みのことですが、小倉百人一首にもありますね。十五番の歌です。
君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ 光孝天皇
歌の意味は、
「あなたに差し上げる若菜を摘むためにお正月(春)に私は
野原に出かけましたが、袖は雪でぬれてしまいました。
(こんなにもあなたのことを思っているのですよ。)」
七草をスーパーでしか買ったことのない私には耳の痛い歌でございます・・。
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