NHK大河ドラマ「光る君へ」
まひろは、下級貴族の姫ですが、しょっちゅう、京の街中へ出歩いています。
当時は、いくら下級貴族でも、姫なので、実際には軽々しくは出歩かなかったであろうと思われますが、ドラマなので。
まひろが出歩くことで、庶民の暮らしぶりが少しはわかります。
この時代の庶民がどのようであったかは、詳しく記された文献がないのですね。
庶民の楽しみとして、街頭で、散楽一座による軽業や物まねと言った芸が披露されています。
一時の笑いをさそうことで、庶民の心の癒しとなっていた「散楽」でした。
ドラマのなかで、庶民の楽しみとして描かれた「散楽」でしたが、奈良時代に大陸から移入されたといわれます。
当初は宮中で行われた催しものでしたが、963年、村上天皇により、宮中での散楽の実演は全く行われなくなりました。
それにより、「散楽」は寺社や街頭などで、以前より自由に演じられ。庶民の目に触れるようになっていったとのこと。
以降、散楽という言葉に集約される雑芸群は、民間に広まった様様な職業芸能に引き継がれていく。
鎌倉時代になると散楽と言う言葉もほとんど使われなくなったとのことです。
散楽のうち、ものまね芸を起源とする猿楽は、のちに観阿弥、世阿弥らによって、能へと発展。
曲芸的な要素の一部は、のちに歌舞伎に引き継がれ、
滑稽芸は狂言や笑いを誘う演芸になり、
独自の芸能文化を築いていったとされます。
「散楽」のうち、人形を使った諸芸は傀儡となり、やがて人形浄瑠璃(文楽)へと引き継がれていったとされます。
ドラマのなかで、昼間は散楽一座をやりながら、夜は貴族の館に忍び込み、反物などの盗みを働き、貧しき人たちに分け与える義賊をやっていた直秀らは、
最後に捕まってしまい、無残に殺されてしまいますが、
だんだんと使われなくなってゆく「散楽」と言う言葉が滅びゆく姿と重ねあわさせてしまうものがあります。
直秀は、貴族中心にえがかれる「光る君へ」のなかで、庶民の代表のような
存在であっただけに、この死は無念ですね。
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