夕張の長い闘いが始まった。353億円を18年間で返済していかなければならないのだ。市民生活は全国で最高の住民負担で、最低の行政サービスになるという。その上、約12800人の人口だが、高齢化率(65歳以上の割合)が、全国の市で最高の41%、年少人口(15歳未満)が全国の市で最低の約8%というのが現状だ。市民にとっては何とも前途多難な道だが、「ピンチはチャンス」という言葉もある。市民の間からは、色々な形で自立を目指そうとの機運が生まれているというから、ぜひ頑張ってもらいたい。
同時に、この最悪の事態に至った原因の究明と反省は、きっちりとしなければならない。テレビなどでは、市民が行政側に対して「どうしてくれるんだ!」と、涙ながらに訴える映像をずいぶん見せられた。その心情はよく分かる。しかし、現職市長は一期目だった。この財政状況に陥った時期は、その前の中田鉄治市長時代(1979年~2003年)の、6期24年間におけるものが中心だ。
炭鉱の衰退により、「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズを掲げ、石炭の歴史村をつくり、夕張国際映画祭を発案し、メロンブランデーを売り出すなど、その功績があったことも確かだ。中田氏が市長になる少し前、助役時代にお会いしたことがある。そのとき、これからのまちづくりについて大いに語ってくれたが、とくに映画の話題に関しては、それこそ映画熱中人と言っていいほど、多くの夢を描いていた。自ら演劇やイベントのシナリオを書いていると語っていたのを覚えている。
観光を中心に、まちづくりを進めた結果、多くの施設ができた。当然、議会の承認を得てきたわけだが、チェックをすべき議員たちの責任は誠に重いものがあると思う。予算の数字合わせが巧妙に行われていたとはいえ、市民の負託を受けた議員は何をしていたのか、これこそ大問題だ。市民への裏切りだ。
今年は選挙の年だが、私たちも夕張を自分たちの問題として、厳しい目で候補者を見極めなければならないし、その後の活動に目を光らせなければならない。