教育の再生は「美しい国づくり」を目指す安倍内閣の最重要課題だ。だが、マスコミを通じて伝わってくる教育再生会議の様子は、最初から会議の進め方や議論の纏め方について、有力な民間委員たちが口々に不満を述べるという有様だ。これはどういうことなのかと疑問に感じていたが、文藝春秋3月号の「暗闘 教育再生会議の内幕」を読んで、「あー、やっぱり」という思いを強くした。
私自身、15年ほど前、当時の文部官僚の特性に驚いた経験があるからである。北海道在住の芥川賞作家・高橋揆一郎氏(1月31日死去)らが熱心に取り組んでいた「南極犬タロ・ジロを一緒にさせる会」の事務局として、ボランティアでお手伝いしていたことがある。当時の文部大臣に陳情するため、高橋氏や稚内の関係者らに2回同行した。
この運動は、札幌の北大博物館に置かれている兄・タロの剥製と、東京の上野国立科学博物館に置かれている弟・ジロの剥製を、教育的見地から、あの無人の極地で助け合って生き延びたであろう兄弟犬を、故郷の稚内で一緒にさせてやりたいというものであった。
大臣は理解を示して「何とか努力してみましょう」と、前向きな発言をされたのだが、事務方や上野科学博物館サイドは、自分たちの既得権益を守ろうとするのか、「上野では年間100万人の見学者がある。稚内では、見たい人も見られない」と言い、大臣が「北大なら文部省の管轄だから、北大の植物園ではどうか」と提案すれば、「博物館は一般会計で、大学は特別会計だから」と反論するといった具合だ。
いかにしたら実現できるかを考えるのではなく、出来ない理由をいくつも並べるという、官僚特有の柔軟性のなさを痛いほど感じさせられた。結局、この運動が実を結ぶことはなかった。ただ、平成10年9月、稚内市開基120年、市制施行50年、開港50年記念事業のメインゲストとしてタロ・ジロが招待され、1か月あまりを故郷で一緒に過ごすことができ、ほんとに良かった。
今、教育再生会議の事務局は自民党文教族と表裏一体と言われる文科省のお役人が中心だという。この、極めて厚い壁を突破しなければ、教育再生会議としての実効をあげることは不可能だ。「国家百年の大計」のために、安倍総理の強力なリーダーシップの発揮と民間委員の奮闘を願いたい。