青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(38)

2011-11-12 11:19:20 | アメリカン・ポップスearly60’s



Bobby Vinton V.S. Johnny Tillotson (つづき)


その後、64年春に、ビートルズ以下のブリティッシュ旋風が押し寄せます。狭間の世代の歌手(“ティーン・アイドル”)たちは、軒並み第一線からの退陣を余儀なくされます。ジョニーは良く頑張った方だけれど、ボビーの活躍には遠く及ばない。ビートルズほか新世代アーティストとがっぷり四つでヒットを飛ばし続け、しかも他の多くの“元ティーン・アイドル”がチャート上から姿を消してからも、10年以上に亘り第一線で頑張り続けた。

それはともかく、62年後半からの2年間ほどは、似た路線、似たイメージ、似た実績、、、好むと好まざると、ライバル関係に置かれていたことでしょう。C&Wの通史(英文)を読んでいたら、こんな記述がありました。若手ナンバーワンC&W歌手、Bryan Whiteに関する紹介記事です。「若い頃のJohnny Tillotsonと初期のBobby Vintonをミックスした印象」(若い頃と初期がどう違うのか?何か意味があるのか単に語呂の問題なのか)。似た存在であると認識されているのは事実の様なのです。

ボビーとしては、(デビューは4年早くても、4つ年下で、アマチュアに毛の生えた程度の実力の)ジョニーみたいな奴と一緒くたにされてはたまらん、という思いが(意識的にしろ無意識的にしろ)あったのではないかと思われます。

Bobby Vintonには「ゼアー・アイブ・セッド・イット・アゲイン」をはじめとした、古いスタンダードナンバーのカバー大ヒット曲群があるわけですが、先にも述べたように、それらとはちょっと趣向の変わった、ほんの僅か前にヒットした、Bobbyと同傾向のイメージの年下でいわば格下歌手のカバー曲を、「これでもか!」とシングルA面でリリースし続けたわけです。個々の曲については以前に紹介済み(ほかにチャートインしなかった曲も多数)なので、ここでは省略します。

その最初が、64暮れから65年初頭にかけてのJohnnyのヒット曲「She Under Stands Me」。わずか一年半後の66年夏に、BobbyもシングルA面でリリースします。その後、堰を切ったように、似た傾向の格下歌手のヒットチェーンを、次々とカバーし続けるのです。

その時点では知らなかったのですが、この「She Under Stands Me」は、Johnnyがオリジネーターではありません。ジョニーより少し前に、テレサ・ブリューワーTeresa Brewer(1931~2007)がシングル盤をリリースしています。テレサは、ジョニーより8才、ボビーより4才年長。ドリス・デイDoris Day(1924-)、パティ・ペイジPatti Page(1927-)、ローズマリー・クルーニーRosemary Clooney(1928-2002)、マーガレット・ホワイティングMargaret Whiting(1924-)らと並ぶ、BobbyやJohnnyより一時代前の1950年代を代表する女性シンガーです。

60年代に入り、女性Pop歌手と言えば、コニー・フランシスConnie Francis(1938-)とブレンダ・リーBrenda Lee(1944-)に2極分化してしまった形ですが、50年代には、ConnieやBrendaに匹敵する大物女性シンガーが群雄割拠だったのです。その一人がTeresa Brewer。

1950年の初ヒット「Music! Music! Music!」が、Billboard No.1。その後1963年まで、2曲のNo.1ヒットを始め、 Billboardチャートヒット40曲(flip1曲とUnder-Bubbling 3曲を含む、他に73年にデビュー曲のリメイクがBubbling-underに)。

彼女の場合は、50年代を代表する歌手であるとともに、微妙に60年代にも繋がっているのですね。本来はジャズ系のシンガーなのでしょうが、60年代初頭には、多数の“ポップス黄金期”のヒット曲をカバーしています。例えば、ナンシー・シナトラNancy Sinatra(1940-)の日本限定大ヒット曲「Like I Do(レモンのキッス)」等々。

ある意味、コニーと並ぶ、60年代初頭の女性アイドルシンガーの側面も持っていたのではないかと。その辺りの視点から、もっと評価されても良いと思います。

その彼女の、最後のチャートヒットが、1963年暮にBillboard Bubbling-under第 130位にランクされた「He Understands Me」(作詞作曲は、C&WシンガーのMargie SingletonとMerle Kilgore)。

これがまた、いいんですよねー! Andy Williamsの「Can’t Get Used To Losing You」に良く似た、印象的なイントロから始まり(ジョニーも後にソックリなイントロの曲をリリースしている)、テレサの張りのある健康的で色っぽい声が、なんとも言えない魅力を醸し出しています。最後にYou-tubeを張り付けておいたので、ぜひお聴き下さい。

一年後に、Johnnyがリメイクしました。スローバラードと、アップテンポのカントリーナンバーが多い彼としては、ちょっと変わったスタイルの、抑えた感じのミディアムポップスです。

リアルタイムでの想い出が2つ。中学生の頃、ベンチャーズファンの同級生と教室で賭けをしました。Johnnyの「She Understands Me」と、同時に発売されたThe Venturesの「10番街の殺人Slaughter On Tenth Avenue」のどちらが、チャートの上位に行くかという。ベンチャーズは当時人気絶大で、アメリカでは「Walk Don’t Run(急がば回れ)’64」(Billboard Hot100第8位)、日本では「ダイアモンドヘッドDiamond Head」といった大ヒットを放ち、乗りに乗っていた時です。

当時、“狭間の歌手24 人衆”は、軒並みブリティッシュ旋風に吹き飛ばされてしまっていて、64年後半~65年前半の1年間にBillboard Top10に顔を出したのは、英国勢の影響をあまり受けなかった純バラード系のBobby Vinton(「My Heart Belongs Only You」「Mr. Lonely」)とVic Dana(「Red Roses For A Blue lady」)、英国勢との結びつきがあったRoy Orbison(「It’s Over」「Oh, Pretty Woman」)、Gene Pitney(「It’s Hurts To Be In Love」「I’m Gonna Be Strong」)、Del Shannon(「Keep Searching」)それが全てなのです。他の大半の“狭間の歌手”たちは、Top10どころか、Hot100にも届くか届かないか、軒並み全滅状態。

そのような状況の中でJohnnyは、Top40やAdultチャート上位に曲を送り込むなど、まだ健闘していたことから「シー・アンダースタンズ・ミー」31位、「10番街の殺人」35位と、かろうじて面目を保ったのです。

もう一つは、この曲のリリース時、ちょうど日本のレコード会社(キング←ケイデンス/コロンビア←MGM)が、相次いで米レーベルとの契約が切れ、Johnnyの曲が日本で発売出来なくなってしまった時期に当たったこと。当時「ミュージックライフ誌」に、湯川れい子さんが“新曲の番付け”というのを連載していたのですが、(そのうちの発売を見越して)「She Understands Me」を、なんと4カ月連続で横綱を含む番付け上位に据え置いたのです。新曲ですから普通は一回きりしか登場しないので、異例中の異例の処置だったわけです。

しかし、その甲斐なく「She Understands Me」は、日本では全くヒットしませんでした。やがて日本グラムフォンがMGMの発売権を得、当然「She Understands Me」が最初にリリースされると思っていたら、2曲遡って、すでに一年近く前にコロンビアから「君に心を奪われて」の邦題で発売されていた「I Rise, I Fall」(その時は全くヒットしなかった)が最初のリリース。しかし「恋のウルトラC」と邦題を変えて再発売されたこの曲が、ヒットに結びついたのです。「シー・アンダースタンズ・ミー」は、順繰りに2か月後のリリースとなり、「恋のウルトラC」と、夏になって発売された「涙くんさよなら」の2つのヒット曲の谷間に挟まって、全くヒットしないまま終わってしまったのです。

この「She Understands Me」をフィーチャーしたアルバムは、一曲一曲はともかく、全体のバランスがとてもよく、僕はJohnnyのベストアルバムだと思っています。このアルバムと、次の「That’s My Style」、およびその前後に発売された数枚のシングル盤のジャケットには、同じ時に写したと思われる、コマ違いの写真が使われています。樹木の幹に登ったカジュアルな服装のJohnnyの姿で、そのイメージに、彼の歌の志向が代弁されているように思うのです。その中でも、このシングル盤「She Understands Me」は、全シングル盤中、僕が最も好きなジャケットです。

さて、Johnny Tillotson「She Understands Me」の、1年半後の66年初夏、Bobby Vintonが、何故かタイトルを「Dam-De-Da」
と変えてこの曲を再カバー、シングル盤A面として対抗してきました。

66年には、完全に新時代に切り替わっていて、前年まで何とか持ちこたえてきたJonnyにも、全くヒットが出なくなっていました。Bobbyは、“狭間の歌手24人衆”中ただ一人、この後も60年代末から70代にかけて、「Coming Home Soldier」「Pleas Love Me Forever」「I Love How You Love Me」「My Melody Of Love」と、Hot100Top10クラスやACチャート上位に途切れることなく曲を送り続けます。

そのBobby Vintonでさえ、66年は中弛み、この曲の一つ前の「Tears」がHot 100第59位、AC27位、一つ後の「Petticoat white」がHot 100第81位と、彼としては物足りないランク(「Dam-De-Da」は、かろうじてTop40に食い込みましたが)。

最初にも記したように、こののち延々と「格下年少歌手ヒット曲のリメイク」が続くわけです(数字上は大半が負けてる)。そしてリメイクであるにも関わらず、原曲よりシンプルな構成。この「Dam-De-Da~She Under Stands Me」も、Johnnyが、彼の曲としては珍しくミディアムテンポの凝った曲づくりをしているのに対し、全くシンプルなスローバラード、最初に聞いたときは、正直、ちょっと驚きました。Johnnyもこんな風に唄っていれば良かったのにと、羨ましく思ったものです。

Teresa Brewer「He Understands Me」 (Billboard Bubbling-under第130位/63.11.9)


Johnny Tillotson 「She Understands Me」 (Billboard Hot100第31位、AC第4位/64.10-65.1)


Bobby Vinton 「Dam Di Da(She Understands Me)」 (Billboard Hot100第40位、AC第24位/66.4-66.6)



追記

以前のブログで、Brian Hyland「He Don’t Understands You」が、「She Understand Me」のアンサーソングではないだろうか?
と記したことがあります。その後に判明した答えを言えば、(歌詞もメロディーも全く異なる)無関係な曲であるらしい(ちなみに、Glen Campbellにも「She Understand Me」という曲がありますが、こちらも全く無関係です)。

もっとも、Brian Hylandの「He Don’t Understands You」に関しては、単純にそうも言い切れないのでは? という気もしているのです。彼が「He Don’t Understands You」をリリースしたのは1965年2月(シングルA面、ただしノンヒット)、Johnny Tillotson「She Understand Me」ヒットの直後です。BrianとJohnnyは、当時から仲が良いことで知られていますし、数年後にはJohnnyの作品「Dreamy Eyes」をカバー(シングルA面、やはりノンヒット)したりしていることから考えて、全く意識をしていなかった、ということもなさそう。曲の中身はともかく、タイトルに関しては、一種の“アンサー”とみることが出来るのではないでしょうか?



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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(37)

2011-11-11 14:10:21 | アメリカン・ポップスearly60’s



Bobby Vinton V.S. Johnny Tillotson

前回紹介した「そっくりさんコンテスト(?)」で示されたように、ボビー・ヴィントンは、結局のところ「元ティーン・アイドル」ということらしいのですね。まあ、間違いではないのでしょうが、、、、モロに“いかにもメンバー”の中に埋没しちゃっているとなれば、やはり違和感は禁じ得ません。Jack Jonesジャック・ジョーンズとか、Johnny Mathisジョニー・マティスとかとも、かなりの共通点(同世代の“ティーン・アイドル的大人の歌手”)がありそうなのですが、彼らは完璧に大人の歌手とみなされているわけで、ボビー・ヴィントンにおける現在の一般の人々の認識とは、相当にかけ離れているわけです。

といって、本当に「元ティーン・アイドル」の一員として扱われているのかと言えば、そうでもない。なんだかすごく中途半端な立場にいるみたいなのです。例えばボビー・ダーリンならば、(リアルタイムに於いてはともかく)今ははっきりと“大人の歌手”と見做されているようですし、ロイ・オービソンやデル・シャノンやジーン・ピットニーやディオン、それにエヴァリー兄弟らは、エルヴィス以下創成期のロックアーチスト、あるいはビートルズやストーンズ以下のイギリス勢との繋がりをもって、後の評価を得ている、という側面があるように思います。でも、ヴィントンには、そのように括り得る受け皿のような場が見当たりません。言い換えれば、自分一人で、“ジャンル”を成すことの出来るだけの、実力と実績があるわけです。

“ポップス黄金期”の前半ではリッキー・ネルソン、後半ではボビー・ヴィントン。この2人の実績・実力は、飛び抜けていると思うのだけれど、あまりにも評価が低い(一般大衆の中で語られることが少ない)のではないかと。それも、彼らの存在が大きすぎて、かつ曖昧でもあり、評価の物差しを当て難い、、、(で結局は、“ティーン・アイドル”の一人として括られてしまう)。

後年の(一般大衆の)評価というものは、自分の実力や実績だけでは成しえないもののように思えます。上記したごとく、「エルヴィス周辺に位置づけられるロック創成期の一員である」か、「ビートルズやディランなど後年の著名アーティストとの繋がりを持っている」か、「ジャズなりR&BなりC&Wなり明確なジャンルの内側に存在している」か、でなければ「典型的な“ティーン・アイドル”としての履歴を持っている」か、、、、、(ジョニーの場合も、“ティーン・アイドル”としての顔以外に様々な顔を持ってはいるのですが、それらは典型的なものではない、よって、最も分かりやすい“ティーン・アイドル”としての側面のみに集約・評価されてしまうのでしょう)。

おおむね現存する“元アイドル”達は、(程度の差はあれ)それぞれに仲良し関係にあるようで、ジョイント・コンサートを行ったり、互いのH.P.のリンク欄に載せあったりと、何らかの形でエールを交わし続けているわけです。ところが、Bobby Vintonだけは、そのどこにも顔を出すことがありません。他の“元アイドルたち”に比べて、メジャーすぎるということもあるのでしょうが、よく言えば“わが道を行く”、言い方を変えれば(“オレ流”の落合みたく)“偏屈”という部分があるのかも知れない(笑)。

“わが道を行く”なのか“偏屈”なのか、微妙な現れ方をしているのが、以前にも記した、“偏執的”とも言える、同世代歌手のごく最近のヒット曲を、シングルA面にカバーしまくっていること。同世代といっても、おおむね年下で、いわば“格下”の歌手が多いのです。不思議なのは、ふつうカバーする場合は、オリジナルにない趣向を凝らすもの。ところが、逆に限りなく単調に焼き直しているのです。そして、そこそこのヒットは記録しますが、大抵はオリジナルより下位のチャートに留まっている。ごく古いスタンダードナンバーのカバーや、自作の曲の場合は大ヒットに結びついているのと対照的です。

何のために執拗に「格下歌手の直近ヒット曲」のカバー(シングルA面)を繰り返し続けるのか? 単にそのような曲が好きなだけで、良い曲だから自分も歌いたい、自分の歌として表現するのに自信があるから、という素直な受け取り方も出来るでしょう。でも角度を変えれば、「こいつらよりおれの方が上手」という穿った見方も出来そうです(笑)。

ジョニーに対しては、どのような想いがあるのでしょうか? おそらくは“無視”に近いものと思われますが、少なくとも、62年のデビューヒットから暫くの間は、よく似た“ティスト”のヒット曲を互いに連発していたことから、無視できる存在ではなかったものと思われます。

Johnnyの「涙ながらに」がヒットしだした直後(チャートインは4週間後)に、よく似た曲調の「涙の紅バラ」をぶつけてきて以来、その後丸一年余に亘って、非常に良く似たティストのヒット曲が続きます。成果(チャート上の数字)も拮抗しています(Bobbyの方が僅かずつ上ですが、最初の1年間はほぼ互角と言っても良いでしょう)。

もっとも、63年後半からの、Bobbyの「Blue On Blue」「Blue Velvet」「There I’ve Said It Again」は、Pops史上に残る圧倒的 な成績、Jonnyも健闘はしているのですが、適うわけがありません。

■It Keeps Right On A-Hurting(涙ながらに) 62.05-62.09 H第3位、C第4位、R第6位 
●Roses Are Red My Love(涙の紅バラ) 62.06-62.09 H第1位、A第1位、R第5位

■Send Me The Pillow You Dream On(夢の枕を) 62.09-62.11 H第17位、C第11位、A第5位
●Rain, Rain Go Away (涙の太陽) 62.08-62.10 H第12位、A第4位

■I Can’t Help It If I’m Still In Love With You(どうにも出来ない) 62.10-62.12 H第24位、A第8位
●Trouble Is My Middle Mane(僕はトラブルメーカー) 62.12-63.01  H第33位、A第7位

■Out Of My Mind(涙でいっぱい) 63.03-63.05 H第24位、A第11位
●Over The Mountain(オーバーザマウンテン) 63.03-63.5 H第21位、A第8位

■You Can Never Stop Me Loving You(恋に弱い子) 63.08-63.10 H第18位、A第4位
●Blue On Blue(ブルーオンブルー) 63.05-63.08 H第3位、A第2位

■Funny How Time Slips Away(時のたつのは早いもの) 63.10-63.11  H第50位、A第16位
●Blue Velvet(ブルーベルベット) 63.08-63.11 H.第1位、A第1位

■Talk Back Trembling Lips(トレンブリンキッス) 63.11-64.02 H第7位、A第6位      
●There I’ve Said It Again (ブルーファイアー) 63.11-64.02 H第1位、A第1位

注:ほかに、B面ヒット曲として、Bobbyに「Let’s Kiss And Make Up」(62.12-63.1 /H第38位、A第10位)、Johnnyに
「What’ll I Do」(62.9/U第106位)、「I’m So Lonesome I Could Cry」(62.12 /H第89位)。旧レーベルからのリリースとして、Bobbyに「I Love You The Way You Are」(62.8-62.10 /H第38位)。

Bobby Vinton「I Can’t Help It」 (Album「Roses Are Red My Love」1962)


Johnny Tillotson「I Can’t Help It」 (Album「It Keeps Right On A-Hurting」1962)


Johnny Tillotson「Blue Velvet」 (Album「Take Back Trembling Lips」1963)


Bobby Vinton「Blue Velvet」 (Album「Blue On Blue」1963)


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(36)

2011-11-09 14:12:43 | アメリカン・ポップスearly60’s



Bobby Rydell V.S. Johnny Tillotson(つづき)

さて、重なる曲もないし、外観上のキャラクターが正反対であるにも関わらず、ボビー・ライデルとジョニー・ティロットソンは、“Super similarity”と認識されているようです。

ネットをサーフしていると、「Similar artist/ティストの似たアーティスト」というコーナーが出てきます。「誰と誰が似ているか」。メジャーなシンガーでは数100組が比較されていて、最初の10人前後は「00にソックリ」。以下「00にすごく似ている」「00に結構似ている」「00にまあまあ似ている」「00に少しだけ似ている」、、、と、ジョニーの場合は、計250組のアーティストとの比較が成されています。むろん真面目に見る必要はありません。でも、一般認識の一端は窺い知ることが出来るのではないかと。

まず、Johnny Tillotsonに似ているアーティストから紹介して行きます。

1位 Jimmy Clanton
2位 Bobby Rydell
3位 Rey Peterson
4位 Freddy Cannon
5位 Bobby Vee
6位 Brian Hyland
7位 Jimmy Jones
8位 Frankie Avalon
9位 Baddy Knox
10位 Tommy Roe
以下、“24人衆”を中心に主なところをピックアップしておきます。
16位 Rick Nelson
18位 Ricky Nelson
19位Pat Boone
20位Gene Pitney
32位Neil Sedaka
36位Bobby Vinton
44位Lou Christy
50位Dion & The Belmonts
82位Del Shannon
95位Dion
112位Chubby Checker
126位Dickey Lee
130位Brenda Lee
131位Bobby Goldsboro
136位Connie Francis
140位Cliff Richard
156位The Everly Brothers
172位Hank Locklin
220位Lesley Goa
221位Adam Wade
224位Johnny Cymbal

なんと1位は、“大穴”ジミー・クラントン!(驚くなかれ、この後も軒並み上位に名を連ねます)

まあ、分かるような気もしますが。。。。もしジョニーが、「涙ながらに」以前の曲で打ち止めになっていたら、ジミー・クラントンと、実績も曲のティストも似ていた、と思います。ジョニーの“一般の人たちに与えている印象”というのは、「涙ながらに」以降のC&W系のヒット曲ではなく、「ポエトリー」をはじめとした、ティーン・ポップスだということなのでしょう。

それを裏付けるように、Bobby Rydell、Freddy Cannon、Bobby Vee、Brian Hyland、Frankie Avalonと、、、いかにもと言ったメンツが上位に連なります。さらに、24人衆以外の、レイ・ピーターソン、ジミー・ジョーンズも、同じ“いかにも”路線。この2人は、ジミー・クラントン同様に、ジョニー以外にも“似ている”上位に名を連ねています。ことにジミー・ジョーンズは、“いかにも”メンバーの中では、唯一と言っていい(ほかにチャビー・チェッカーぐらい)黒人であり、ほかの各歌手に比べて、ダントツにヒット曲が少ないのです(「ハンディ・マン」と「素敵なタイミング」の2大ヒットのみ、あとは90位台の2曲)。しかし、その2大ヒット曲が、圧倒的な印象を持って“ポップス黄金期”を代表している、ということでしょう。

9位にバディ・ノックスが入ったのは意外ですね。10位のトミー・ローを含め、ベストテン各歌手は、(日本でも)一応大抵の人に知られた名前だと思います。しかし(少なくても日本においては)彼の名を知っている人はほとんどいないのでは? なのに彼もまた、ジョニーだけでなく多くの同世代歌手の“似ている”上位に名を連ねているのです。

20位あたりまで、“2人のリッキー”を含め、“なるほど”といったメンツが続きますが、ボビー・ヴィントン36位、エバリー・ブラザース156位、、、などは、下位すぎるのでは?という気がする。

24人衆のうちでは、ボビー・ダーリン、ロイ・オービソン、サム・クック、ニール・セダカ、ポール・アンカ、ヴィック・ダナと言ったところが、250位以内にランクさえされていません。

ジョニー・シンバル224位というのは、アメリカでの集計なら妥当なところでしょうが、もし日本での集計ならば、有り得ない位置づけ(間違いなく上位に来そう)なのではないでしょうか?

僕の私見では、「涙ながらに」以降のカントリー調の曲も含めて見渡せば、この250人のうちでジョニーと“ティスト”の似ている同年代歌手というのは、ディッキー・リー、ボビー・ゴールスボロー、あたりではないかと思うのですが、、、。それと黒人シンガーですが、ジョニーと選曲傾向がダブる、アダム・ウエイド。「ジミー・ジョーンズ7位/アダム・ウエイド221位」というのが、如実にジョニーの一般的認識のされ方を表している、と感じます。

あと、大先輩のハンク・ロックリン。“ティスト”という点では、一番近いように思うのですが。

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次いで、Bobby Rydellに似ているアーティストBest10+1

1位Jimmy Clanton
2位Freddy Cannon
3位Jimmy Jones
4位Johnny Tillotson
5位Rey Peterson
6位Baddy Knox
7位Bobby Vee
8位Brian Hyland
9位Jay & The Americans
10位Frankie Avalon
15位 Rick Nelson

まあ、ジョニーの“そっくりサン”メンツとそっくりです(笑)。ジミー・クラントン2連覇! ここでも、ジミー・ジョーンズ、バディー・ノックスの健闘が光ります。

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Bobby Veeの“そっくりサン”たち

1位Bobby Rydell
2位Johnny Tillotson
3位Jimmy Clanton
4位Brian Hyland
5位Baddy Knox
6位Freddy Cannon
7位Jimmy Jones
8位Frankie Avalon
9位Craig Douglas
10位Billy Fury
11位Ricky Nelson
16位Rick Nelson

ライデルとジョニーが1・2位、そしてジミー・クラントンが続きます。やはり、バディ・ノックス、ジミー・ジョーンズが健闘。ライデル、ヴィー、ティロットソンの3者で、差異はほとんどありません。ただ、9位の歌手は僕は知らない。10位のビリー・ヒューリーは、クリフと並ぶ、イギリスの“ポップス黄金期”を代表する歌手(イギリスにおける彼ら3人のような位置づけ)。

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ついでに、Brian Hylandのそっくりサン

1位Jimmy Clanton
2位Freddy Cannon
3位Johnny Tillotson
4位Bobby Rydell
5位Rey Peterson
6位Jimmy Jones
7位Tommy Roe
8位Bobby Vee
9位Jay & The Americans
10位Shelley Fabares
12位Buddy Knox
15位Rick Nelson

彼の場合も3人とほぼ同じです。ジミー・クラントン3連覇。ジョーンズ、ノックス両人も、しっかり上位に食い込んでいます。10位に女性シンガーが食い込んでいるのが、いかにもハイランドらしいと言えます。

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さて、Ricky Nelsonで行きましょう!

1位Johnny Burnette
2位Bobby Vee
3位Buddy Knox
4位Johnny Tillotson
5位Gene Vincent
6位Jack Scott
7位Carl Perkins
8位Bill Haley Comets
9位Bobby Rydell
10位Rick Nelson!(笑)

1位、5位、6位、7位、8位を、“ポップス黄金期”直前の“ロカビリー歌手”が占め、そのほかが、ヴィー、ティロットソン、ライデル。両方に足をかけているわけで、一般認識として妥当なところなのでしょう。そして、ここでも、バディ・ノックスが3位と大健闘。それにしても、“リック・ネルソン10位”は、笑ってしまうほかありません。

じゃあ、Rick Nelsonでは、どのようになっているか?
1位Bobby Rydell
2位Freddy Cannon
3位Jimmy Clanton
4位Pat Boone
5位Jay & Americans
6位Rey Peterson
7位Frankie Avalon
8位Neal Sedaka
9位Bobby Vee
10位Jimmy Jones
11位Johnny Tillotson
12位Bill Anderson
13位Brian Hyland

リッキー・ネルソンと、組み合わせが相当異なりますね。“ロカビリー歌手”が軒並み姿を消しています。ジミー・クラントンやジミー・ジョーンズも、ここで登場します。

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Neal Sedakaは?

1位Rick Nelson
2位Bobby Vee
3位Pat Boone
4位Bobby Rydell
5位Johnny Tillotson
6位Brian Hyland
7位Jimmy Clanton
8位Gene Pitney
9位Jimmy Jones
11位Freddy Cannon
12位Ricky Nelson
79位Paul Anka

これはちょっと意外でした。ニールの全盛期は、“ポップス黄金期”の60年代初頭と、ビートルズ以降の70年代中期にまたがっているわけですが、この結果は、モロに(これまで述べてきた各歌手同様の)ポップス黄金期のメンツです。そしてなんといっても意外なのは、“ニール・セダカ”と言えば“ポール・アンカ”と呼応するはずの(日本だけかな?)ポール・アンカ79位。

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そのPaul Anka

1位Neil Sedaka
2位Pat Boone
3位The Platters
4位Connie Francis
5位Brenda Lee
6位Bobby Vee
7位The Everly Brothers
8位Bobby Vinton
9位Johnny Tillotson
10位Ricky Nelson
12位Gene Pitney
13位Bobby Darin

一体どういうこと? こっちはニール・セダカが1位。ニールと言えば、必ずしもポールではないけれど、ポールと言えばニール、ということなのでしょうか? しかしそれ以外では、ニールの場合同様に、代わり映えしない“ポップス黄金期”のメンツが並びます。特徴としては、ここまで健闘してきた、ジミー・クラントン、レイ・ピーターソン、ジミー・ジョーンズ、バディ・ノックスといった、(やや)マイナーな4人組が姿を消し、同じ“ポップス黄金世代”でも、コニーとブレンダ、パット・ブーン、プラターズ、エヴァリー兄弟、ジーン・ピットニーと言った、より大物の歌手たちが上位に食い込んでいる、ということでしょう。そして、ここで初めて、ボビー・ダーリンが上位に顔を出します。

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そしてBobby Darin

1位Kevin Spacey
2位Mel Tome
3位Sammy Davis Jr.
4位Tony Benett
5位Dean Matin
6位Frank Sinatra
7位Jack Jones
8位Vic Damone
9位Steve Tyrell
10位Steve Lawrence

うーん! 予想外というか、予想通りというか、、、、、。見ての通りです。ボビー・ダーリンは、上記した全員と、全く異なる世界の歌手、とみなされているわけです。1位はご愛嬌(笑)。あと9人、何とかスレスレ、“ポップス黄金期”と関わりがありそうな7位と10位を除いては、皆はるか上の世代の歌手ですね(9位は知らない、8位はVic Danaではなく、一世代上のアダルトシンガー)。ボビー・ダーリンの、一般的な捉えられ方というのが、如実に表れていると見ることが出来ます。

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この後で述べる予定の“4人目”のボビー、Bobby Vinton

1位Bobby Vee
2位Johnny Tillotson
3位Bobby Rydell
4位Brian Hyland
5位Frankie Avalon
6位Gene Pitney
7位Neil Sedaka
8位Ricky Nelson
9位Jimmy Clanton
10位Rick Nelson

こちらもまた予想外と言えそうです(なるほど、とも言えますが)。僕の漠然とした捉え方では、4人のボビーのうち、大きく捉えれば、ダーリン/ヴィー/ライデルが一括り、彼らと対置する位置づけにヴィントン、あるいは、別の視点から見れば、ヴィー&ライデル対ダーリン&ヴィントンの組み合わせ、と思っていたのですが、、、。どちらとも異なりました。ダーリンとは正反対に(一人も重ならない!)、まるっきり、“ポップス黄金世代”の主要メンバーが、見事にズラリと並びました。そうですか、ボビー・ヴィントンは、やっぱりティーン・アイドルなんですね。うーん、と唸らざるを得ません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Pat Booneで抄出してみます。

1位Rick Nelson
3位Bobby Rydell
4位Johnny Tillotson
6位Bobby Vee
7位Jimmy Clanton
10位Neil Sedaka
13位Ricky Nelson

なんだか、彼も似たようなものですね。いつものメンバーが揃ってしまいましたよ。

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Connie Francis

1位Brenda Lee
2位Neil Sedaka
3位Ricky Nelson
4位Pat Boone
5位Bobby Vee
6位Helen Shapiro
7位Bobby Rydell
8位Patti Page
9位Johnny Tillotson
10位Lesley Gore

当然、一位はブレンダ・リーです。2位以下は、女性3人を除いて、いつものメンバー。ただ、コニーが他の歌手と異なるのは、(しばしば10人全員が、少なくとも7~8位辺りまでは「そっくり」と評価される他の各歌手の場合と異なり)唯一1位のブレンダだけが「そっくり」、あとは2番目以下のランクに位置付られている、ということです。どんな意味があるのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Brenda Lee

1位Connie Francis
2位Johnny Mathis
3位Burl Ives
4位Gene Autry
5位Perry Como
6位Bing Crosby
7位Bobby Rydell
8位Bobby Vee
9位Helen Shapiro
10位Pat Boone
11位Ricky Nelson
12位Billy Fury
13位Neil Sedaka
14位Bobby Vinton
15位Patti Page
16位Lesley Gore
17位Brian Hyland
18位Johnny Tillotson
19位Timi Yuro
20位Brook Benton

もちろん、1位はコニー・フランシス。しかし、2位以下に特徴がみられます。おなじみのティーン・アイドルと、別世界の住人の大人の歌手が、半々の割合(正確には6対4ぐらい、上位は“大人”、7位からアイドル)で入り混じっています。ボビー・ダーリンとボビー・ヴィントンをミックスしたような結果です。19位ティミー・ユーロー、20位ブルック・ベントンというところは、なるほど、と唸ってしまいます。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(35)

2011-11-08 18:04:18 | アメリカン・ポップスearly60’s


★ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(34)と(35)を更新しました。


Bobby Rydell V.S. Johnny Tillotson 

さて、「3ボビーの残り1人」ボビー・ライデルということになるのですが、、、、。(それぞれ100曲近くが投稿されている)You-tube上に、両者共通の曲は、とうとう見つけることが出来ませんでした。

以前にも紹介した、64年に「ネイビー・ブルー」(AC第1位、Hot100第6位)の一発大ヒット(Hot100チャートインは通算2曲)を持つ、カワイ子ちゃん女性シンガー、ダイアン・リネイのブログ(楽しい!)から。



Snapshotsの項を見てください。1964年の、ボビー・ライデル/ジョニー・ティロットソンとの、それぞれ2ショットが張り付けられています。これを見れば2人のキャラクターの違いが一目瞭然(どっちが良い悪いではない、笑)。

10分近くに及ぶ、ダイアンおばちゃんのビデオ(唄と踊り?)も収録されていますので、ついでに見てやって下さいね(「メニー、メニー、メニー・イヤーズ・ゴー、マイ・ソング“ネイビー・ブルー”」の紹介が正直で好感度大)。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(34)

2011-11-08 17:50:31 | アメリカン・ポップスearly60’s



Bobby Vee V.S. Johnny Tillotson(つづき)

素敵なカムバック

次は、ボビーのヒット曲から。偶然ではあるのでしょうけれど、ボビー自身のカムバックともなった1967年の大ヒット(Billboard Hot100第3位)。こちらもジョニーが、ほとんど時を置かず、同じ67年のアルバムでカバーしています。

以前にも書いた“賞味期限の話”です。次に紹介するボビー・ライデルとボビー・ヴィー、それにジョニー・ティロットソンの3人は、デビュー時期や全盛期がほぼ重なります。しかし、全盛期以降の動向が微妙に異なる。

一番早く、ヒットチャート界から遠ざかったのが、ヴィーで、最大のヒット「さよならベイビー/Take Good Care Of My Baby」(Hot100第1位)など4曲のTop10ヒットを放った60年~61年を全盛期とし、63年初頭に「燃ゆる瞳/The Night Has A1000 Eyes」(AC第2位、Hot100第3位、R&B第8位)の大ヒットを放った後、63年後半からビートルズ時代に入った64年~66年にかけては目星しいヒット曲がなく(Hot100の90位前後多し)、しかし67年から69年にかけ復活、この「素敵なカンバック」を始め、7曲のHot100チャートヒット(うち3曲がTop40)を放ちます。

一方、ライデルは、最大のヒット「ワイルド・ワン/Wild One」(Hot100第2位、R&B第10位)を放った60年以降、Top10クラスの(しかも両面が上位にチャートインする)大ヒット曲を量産、62年~63年に入ってもTop40ヒットを連発し、この時点においては、3人の中で、最も実績を残しています。ビートルズ襲来直前の63年末~64年初頭には、「Forget Him」(Hot100第4位、AC第3位)で大ブレイクを見せます。しかし、ヴィーよりも1年余り粘った分、その後はすぐにポシャッてしまって、64年中期以降は、チャート上位から遠ざかり、再び浮上することはありませんでした。

ティロットソンは、いわばその中間ですね。全盛期は、同様に60年~63年ですが、63年末~64年初頭に、最後のTop10ヒット「Take Back Trembling Lips」(AC第6位、Hot100第7位)を放った後も、ビートルズ時代只中の丸2年間、そこそこのヒット(Hot100が7曲、うちTop40以内4曲、ACのBest5を3曲)を放ち続けます。しかし、ヴィーよりも2年余り粘った分、彼のように後年の“一時復活”の「オマケ」は有りませんでした(C&Wの小ヒットのみ)。

ということで、最終的な“支収勘定”は、3者とも似たような結果に(他の同世代歌手にもおおむね当て嵌まる)、というお話。

Johnny Tillotson 「Come Back When You Grow Up, Girl」


Bobby Vee 「Come Back When You Grow Up, Girl」



プレディング・マイ・ラブ

ボビー・ヴィーとジョニー・ティロットソンの大きな違いが2つ。ヴィーは60年代始め、シングル・アルバムとも、量産と言っていいほど次々とリリースが成されました。対してティロットソンは、この(全盛期期間中の)リリースが、極めて少ない(「リバティー」と「ケイデンス」という所属レーベルのポリシーの違いも大きいと思う)。

もう一つは、“ティーン・ポップス”に徹したヴィーに対し、(周知のごとく)62年以降のティロットソンはC&Wに傾いて行ったということ。したがって両者のイメージが重なるのは、60年を挟んだ“一両年”というわけです。

ティロットソンは、ポエトリーの一つ前の60年夏に、R&Bの名曲「アース・エンジェル」と「プレディング・マイ・ラブ」を両面ミドルヒットさせています(Hot100第57位/63位)。同じ頃、ヴィーもこの両曲をアルバムに収録している。さらに両者とも、リッチー・ヴァレンスの「ドンナ」や、リトル・アンソニーの「ティアーズ・オン・マイ・ピロウ」を取り上げるなど、(C&W以外の)選曲は似ている傾向があります。

Bobby Vee 「Pledging My Love」


Johnny Tillotson 「Pledging My Love」


もう一曲、両者が取り上げた曲で「Where Is She?」。一聴した限りでは、スタンダードナンバーのようですが、当時の若手ソングライターコンビ、キャロル・キングとジェリー・ゴーフィン作の新しい曲です。Tillotsonバージョンは63年のケイデンス・ラストアルバム「You Can Never Stop Me Loving You」収録、Veeバージョンは、翌64年にシングルA面で発売され、Billboard Bubbling Under第120位の小ヒットを記録しています。先行リリースされたTillotsonバージョンは、僕の大好きな曲の一つなのですが、残念なことにYou-tubeに投稿されていません。とりあえずVeeバージョンのみを紹介しておきます。

Bobby Vee 「Where Is She?」







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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(33)

2011-11-07 20:42:57 | アメリカン・ポップスearly60’s



Bobby Vee V.S. Johnny Tillotson

ポエトリー・イン・モーション

「涙ながらに」が、一気に50超の“トンデモYou-tube”が出てきたものだから、「ポエトリー」はもっと、と期待していたのですが、これが全く出てこない。「涙ながらに」の原題「It Keeps Right On A-Hurting」は、(要は“いつまでもふらふらと悲しみが続く”と単純極まりないことを言っているだけなのでしょうが)相当に回りくどい言い回しなのだと思います。だから、この言葉で検索すると、ジョニーの曲だけが出てきます。それに対して「Poetry In Motion」は、いわば普遍的語彙、“動きの中の詩”ですから、ジョニーの曲とは全く関係のない様々な映像が出現(インドの踊りとかetc.)するのです。

でも、それを差し引いても、カバーは、とても少ないように思われます。「涙ながらに」が、ジョニーが自身で作り自身でヒットさせた曲であるのにも関わらず、本人ヴァージョンよりもカバーの方がずっと多い(C&W限定のクラシック)のとは対照的に、プロのソングライターチームの作品である「ポエトリー」の方が、“Johnny Tillotsonの歌”としての一般への認知度が、はるかに高いようです。 素人のカバーだけでなく、プロ歌手のカバーも少ない。僕の知るところでは、Pat Booneの、凄くヘタッピな唄(ごめん!Pat)、チップマンクスの“早回し録音?”のノベルティーバージョン(これはなかなか良い)、C&Wの大御所の一人ファーリン・ハスキー(だったと思う)の、タイトルと歌詞を変えた、これも一種の“冗談ソング”、、、、。

この曲は、真面目に唄うのが相当に難しい曲なのだと思う。でも、ひとつ乗れば、最高にカッコよく仕上がるのです(ジョニーのシングル発売盤がその典型、別テイクにはもう一つ乗り切れていないのが多い)。素人(?)のでは、以前その存在を紹介したことのある女性歌手のバージョン、それとマリリン・モンローの画像を配したハードロック版など、なかなか素敵です(そのうち紹介予定)。カラオケバージョンもいくつかあって、それらも非常に出来がいい。プロのソングライターチームの手になるだけあって、素地は最高に良いのです。

ということで、ジョニーの年下の兄貴分(笑)、ボビー・ヴィー盤を。ジョニーのヒットバージョンと踵を接して、ほとんどリアルタイムでリリースされています。日本ではシングル盤で発売され(タイトルは「君に首ったけ」)、当時契約の関係で発売されなかった(4年後に発売)ジョニー盤の、“代用品”の役割を成していました。しかし、雰囲気は大きく異なりますね。カバーというよりも、“Bobby Veeの「ポエトリー・イン・モーション」”として、独自の魅力が伝わってきます。

ジョニー盤(60年Billboard Hot100第2位、R&B第27位)は、あえて説明パス。全く同じのを2つ張り付けましたが、ひとつは画像が懐かしい日本発売ジャケット(オールデイズジャケットの中でも屈指の出来です)、もう一つは、僕の知らないジャケット(音質がとても良い)、どちらを選ぼうか迷ったのですが、この際両方張り付けておきます。

Bobby Vee 「Poetry In Motion」

Johnny Tillotson 「Poetry In Motion」

Johnny Tillotson 「Poetry In Motion」




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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(32)

2011-11-03 09:01:08 | アメリカン・ポップスearly60’s



この一週間、いろんな辛いことがあったのです。まあ、今更、ということではないのだけれど、どん底の谷間状態。いわゆる“天中殺”(古い!)というやつでしょう。

具体的な説明は遠慮させて下さい。最後の一押しが、「パソコンソフト使用期限終了」(写真の整理が出来ないので、こんなアホなブログ記事を書いている)。それから、この後に記述する、今日遭遇した“この上もなく嫌な想い”。

でも、並行して、嬉しいことも少なからずありました。昔の友達に43年ぶりに会って、いろいろと励まして貰ったり、以前ベトナムで会った知人から、「パソコンソフト」の解決方法の教示がメールで来たり(ネイチャークラブに入会して頂き「あやこ版」をずっと見て下さっているわけで、有り難いことです)、、、、もちろん、今後の仕事の見通しが付きそう、ということが、一番の収穫であるわけです。まだまだ油断は出来ないのですが。

確か、前回の“天中殺”期間の後には、千明さん「(あやこさん、伏字にしないで!)」との出会いという、大逆転劇がありました(そのあと谷底に突き落とされてしまったのですけれど)。今回も、なにか良いことがあるのではないかと(でも“谷底に突き落とされる”のは困る)。

で、「今日遭遇した嫌な思い」について。

僕の自慢は、どんなに長い距離でも歩くのはへっちゃら!ということ。僕のアパートから都心までは、約40㎞、歩き通しで7~8時間かかります。でも中国とか、屋久島とかでは、その程度の距離はいつも歩いている。数日前から一文無しの状態が続いていました。でも、営業に出向かないわけにはいきません(そのために日本に帰ってきているのですから)。ということで、半日かけて歩きます。

頑張った(なんか、凄く無駄な頑張りのようにも思いますが)甲斐あって、一つ仕事が決まりかけました。先日、偶然に知り合う機会があった、某編集プロダクションの仕事。日当3万円、月に数日編集部員と共に撮影に出向く、という仕事です。とんとん拍子に話が進み、ほぼ契約が完了して、今月中にもスタートする手筈になりかけていたのです。しかし、、、、。

僕はカメラを持っていません(一台は池袋の質屋、一台は香港で修理中)。まず、質屋から出さねばなりません(それも壊れているので、修理が必要)。それはともかく、レンズが一本しかなく、広角や望遠が必要とならば、新たに買い揃えねばならない。

黙っていれば良かったのですが、(一回分程度の前払いを要求しようと目論み)その事実を説明しました。そこでアウトです(前払い要求までに到達しない前に)。そんな頼りない状況では仕事は依頼出来ないと。いくら“弘法筆を選ばず”を強調し、どんなカメラでも良い写真を写して見せます、と訴えたところで、商業写真では、そうも行かないのでしょう。

似たような経験は度々しています。鎌倉に住んでいた10年ほど前、高名な作家のN氏の手引きで、「朝日カルチャーセンター横浜」の、写真教室の仕事の依頼がありました。鎌倉郊外の自然を案内し、撮影の指導をするというやつです。むろんお引き受けして条件の摺合せ。で、「カメラはボロいのが一台、レンズは一本」と自分のカメラをお見せしたところで、「お引き取り下さい」。

みんな、いいカメラを持っているのですね。レンズだって何本も持っている。そのほか、僕など生涯使う機会が訪れないような、様々なアクセサリー、、、。なんせ、日本人は金持ちですから。(自分の作品に取り組むときは別だけれど)“弘法筆を選ばず”といっても、負け犬の遠吠えとなってしまうのです。

あと、もう一つ“嫌な思い”。毎日新宿まで歩くわけに行かない。週一日でもバイトをすれば、電車賃ぐらいは捻出できるでしょう。背水の陣で、マクドナルドとセブンイレブン(行きつけの所とは別の)を訪ねました。セブンイレブンは、「募集していません」と門前払い。マクドナルドは、店長さんが丁寧に対応してくれました。

しかし、60才を越すと、条件が厳しくなります。何よりも、募集人員より、希望人員のほうが多い。順番待ちです。時給1000円(これはまあ妥当)。清掃要員で夜中の12時から早朝4時まで、日当4000円(まあ仕方がない)。週3日前後。

その辺りは容認出来るのですが、「60才を超えると健康診断書提出」「携帯電話必須所持」などの条件は、僕には難しくなってくる。何よりも、「給与支払いは、〆の翌月15日」。ということは、来年1月にならねば、現金は手に出来ないわけです。しかも、順番待ちの可能性、、、、。今すぐに資金がほしいのですから、これではどうしようもありません。

幸い、そのあと、別のメディアでの仕事が決まりそうになり、とりあえず幾ばくかの前払い金が頂けました(これで、当面は電車にも乗れるし、牛丼も食べられます)。そこを含め、明日・明後日、今後の仕事の交渉に当たります。また、某大手出版社から、以前の(共著)本の新装改版の刊行が決まり、年内には(少額ですが)その印税が入ってくる、加えて、新たな仕事も貰えそう、と、もしかすると、運が向いて来だしたのかも知れません。今度こそ、しっかりと捕まえなくては、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とはいっても、当分(実際に収入があるまで)は、パソコンのソフトは(たとえ廉価であろうとも)購入出来ないでしょう(無料でダウンロードできるソフトもあるようなので、近日中にヨドバシカメラに行ってトライ)。それまでは、写真に関わる作業は中断して、文章書きに没頭します。ということで、当分プレゼン制作にのみ集中して、「あやこ版」作成は控えよう、と思っていたのですが、息抜きにしばし再開することにしたのです。

帰国後の一日の行動は次の通り。午後2時起床、すぐにマクドナルドに出向き、午後4時まで「あやこ版」、そのあと14時間ぶっ通しでマクドナルド店内に居続け、写真の整理とネットでの調べもの(必要な本や資料があれば、その都度徒歩3分の自室に取りに戻る)、夜が明けた午前6時から再び「あやこ版」、午前8時、部屋に戻ってバタンキューと就眠。出費は、レモンティー100円(お湯のお代わり自由)、マックバーガー100円またはシャカシャカチキン120円(3個)。店員さんはこの上もなく親切で、僕を応援してくれています(有り難いことです)。

まあそんなわけで、一昨日もバカバカしい記事をアップしたのですが、今日もその続きを。

Johnny Tillotson(東南アジア&中南米限定?)“World-Wide2大 ヒット曲”「こんなに愛して」と「ジュディー、ジュディー」の、“とんでもカバー集”でした。次回はもう少しまともなのを、と告げましたが、それは後に回し、今回は“American 2大ヒット曲”「ポエトリー・イン・モーション」と「涙ながらに」のカバーを紹介して行こうと思います(日本での2大ヒット曲「キューティー・パイ」と「涙くんさよなら」はまたの機会に)。

前回、「こんなに愛して」と「ジュディー、ジュディー」は、「ポエトリー」や「涙ながらに」以上にカバーが多い、と記しました。まあ、半分は事実なのですが、カバーの大半は、(日本を除く)アジア各国と中南米の“トンデモ歌手”バージョン。それに対し「涙ながらに」は、ほとんどがアメリカ(およびヨーロッパ?)の人たちによるカバーのようです。

あっという間に、50を超すバージョンが集まり、一応「お気に入り」に収録しておきました。大きく3タイプに分けることが出来るようです。

●①一流歌手による歌唱(上記50組にはカウントしていません)。ジョニーが自ら?数えたという、“110アーティスト”の一部です。
●②Elvis関係。アメリカでは今でも彼の人気は絶大、あちこちで、懐古ショーが行われ、幾多の“そっくりサン”が登場します。「涙ながらに」は、Elvis69年復活時の名アルバム「The Memphis Sessions」の一曲で、彼の愛唱歌の一つとして知られているわけですが、それ以上に、歌詞が“逝ってしまったElvisを悲しみ続ける”という心情にピッタリなため、後の“そっくりサン”たちが挙って取り上げる、ということなのでしょう。
●③前回紹介した「こんなに愛して」や「ジュデイ、ジュデイ」の“とんでもカバー”に負けない、いやそれ以上にハチャメチャな、素人音痴シンガーの群れ(前回2曲と異なるのは、歌い手が全て欧米人であるということ)。中には、なかなかの人もいるので、すべてを一緒くたにするのは可哀そうかも知れませんが、、、。

前回に次いで、③の“とんでもカバー”の数々を紹介しようとも考えたのですが、いくらなんでも悪趣味に尽きると思い、今回は「口直し」に、まともな①から選んでアップすることにしました。

ボビー・ダーリン/Bobby Darinの「涙ながらに」といきましょう。ついでに、同じ62年のBobbyの大ヒット曲「初恋の並木道」のJohnnyバージョン。両曲ともそれぞれの自作曲で、エールを送りあったという形になっています(+両者共通のカバー曲2曲)。

ジョニーは、3才上のボビー・ダーリンを、ある意味ライバルとして強く意識していた節があります。ライバルというより、“お手本”として、彼のように歌いたい、という切望があったのではないでしょうか。MGM時代のいくつかの選曲には、その意識が読み取れるように思うのです。でも、資質的には余りに隔たりがありすぎて到底無理、勝負にならないことは目に見えています。

初恋の並木道
ダーリン自作の62年の大ヒット曲。初期のティーン・ポップス「ドリーム・ラバー」(59年Billboard Hot100第2位/R&B第4位)、続くジャズ・スタイルの「マック・ザ・ナイフ」(60年Hot100第1位/R&B第6位)、軽快なC&Wナンバー「初恋の並木道」(62年Hot100第3位)、同じC&Wでもバラード調の「君のための僕」(63年Hot100第3位)、フォーク調の「イフ・アイ・ウァー・ア・カーペンター」(66年Hot100第8位)等々、大ヒット曲は、どれもスタイルが異なります。この曲は、ダーリンの持つ泥臭さを(良い意味で)抑えた、さわやかな歌唱スタイルをとっていて、彼のキャパシティの幅広さの一環が伺い知れます。Bobbyバージョンは62年同名のアルバム「Thing」/Johnnyバージョンは65年の「That’s My Style」から。似た曲調ですが、“シーング”と長く伸ばすBobbyバージョンに対し、Johnnyバージョンは“シング”と短く唄います。

Bobby Darin 「Things」

Johnny Tillotson 「Things」


涙ながらに
ジョニー自作の62年の大ヒット曲。ジョニーの場合も、ティーン・ポップス「ポエトリー」(60年Billboard Hot100第2位/R&B第27位)、ドラマチックな絶唱「ウイズアウト・ユー」(61年Hot100第7位)、カントリーバラード「涙ながらに」(62年Hot100第3位/C&W第4位/R&B第6位)、軽快なカントリーポップス「トーク・バック・トレンブリング・リップス」(64年AC第6位/Hot100第7位)、、、と、全くスタイルの異なる大ヒット曲の組み合わせ、ということでは、ダーリンと共通しています。Johnnyバージョンは62年同名のアルバム「It Keeps Right On A-Hurtin’」/Bobbyバージョンは全曲C&W調で纏めた63年のアルバム「You’re The Reason I’m Living」から。Bobby DarinがC&Wを歌っても似合わない、という批評が当時あったように記憶していますが、僕はそうは思わない。すべてのジャンルの要素がミックスされたうえで、なおかつカントリーの薫りが、見事に漂っています。オーソドックス歌唱のJohnnyと、個性豊かなBobby、甲乙付け難いのです。

Johnny Tillotson 「It Keeps Right On A-Hurting」

Bobby Darin 「It Keeps Right On A-Hurting」


悲しき雨音
いうまでもなく、カスケーズThe Cascades1963年の大ヒット曲(Billboard Hot100第3位/AC第1位)のカバー。ともに、オリジナルのすぐ後に踵を接してリリースされています。カスケーズのリード・ボーカル、ジョン・グモーの作品。Bobbyバージョンは63年秋のアルバム「18 Yellow Rose」から。思いっきり個性的に歌い上げる彼の歌唱は(人それぞれ好き嫌いもあることでしょうが)、聴くにつけ やみ付きになってしまいます。Johnnyバージョンは63年末のアルバム「Talk Back Trembling Lips」から。ソフトな中にも歯切れの良さがあり、この名曲のベスト・カバーの一つだと思います。曲の後半に挿入される、ボビー盤の何語なのか分からぬ不思議な言葉、ジョニー盤の“ラリリリリリリリ”が、それぞれ効果的に生かされています。

Bobby Darin 「Rhythm Of The Rain」

Johnny Tillotson 「Rhythm Of The Rain」


オー・ロンサム・ミー
ドン・ギブソンの、C&W、Popsのクロスオーバー大ヒット曲(59年Billboard C&W第1位/Hot100第7位)。Johnnyには、このような歌がピッタリ、実に気持ち良く唄っています(アルバム「That’s My Style」から)。一方、Bobbyバージョン(アルバム「You’re The Reason I’m Living」)は、まあ聞いて下さい。一見C&Wとは対極にあるようでいて、見事なC&Wナンバーに仕上がっている。ボビー・ダーリンの魅力のすべてが凝縮されています。

Johnny Tillotson 「Oh. Lonesome Me」

Bobby Darin 「Oh. Lonesome Me」


「ポエトリー・イン・モーション」のカバー紹介は、次回に回します。
加えて、Bobbyついでに、「3ボビーの残り2人」+1で、
Bobby Vee V.S. Johnny Tillotson
Bobby Rydell V.S. Johnny Tillotson
Bobby Vinton V.S. Johnny Tillotson
を予定しています。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(31)

2011-11-01 15:00:31 | アメリカン・ポップスearly60’s


参った! パソコンのソフトが期限切れだとかで、10月31日午前6時をもって、写真画像の整理が出来なくなってしまいました。新しいソフトを購入して、インストールし直さねばならぬらしいのですが、数万円がかかってしまうとのこと、今の僕には、どうしようもない大金です。せっかく必死で、来年度の仕事の受注を目指して写真を整理し、プレゼン作成に励んでいたのですが、全てパー(まあ、データ自体が無くなったわけではないので、そう悲観することもないのだけれど)。当面の収入も覚束なくなってきました。一体どうすりゃいいんでしょう?

で、やけくそで、しばらくぶりにYou-tubeのアメリカン・ポップスの梯子をしている次第。Johnnyやアメリカン・ポップス(オールデイズ)関係の記事は、10数回分書き溜めているので、順次紹介して行きたいところなのですが、それらを飛び越して、今日はちょっと変テコな話題を。

Johnny Tillotsonの2大ヒット曲と言えば、「ポエトリー・イン・モーション」と「涙ながらに」で、異論はないでしょう。ただし、“英米に於いては”ということであり、日本では「キューティー・パイ」と「涙くんさよなら」ということになるのかも知れません。

しかし、“世界的”ヒット曲となると、違いますね。You-tube上で(本人の歌唱も、カバーも)圧倒的に多いのが「ジュディー、ジュディー/Judy, Judy, Judy」と「こんなに愛して/Why Do I Love You So」。以前にも紹介しましたが、この2曲は、中国に向かう客船の、カラオケ曲目にも入っているのです。中国や東南アジアの街角を歩いていると、この両曲が突然流れてきた、という経験も、何度かしています。

「Why Do I Love You So」は、「Poetry In Motion」で大ブレークする一年近く前(60年初頭)のヒット曲で、米チャートでの最高位は42位、日本では、発売(シングル盤)もされませんでした。「Judy, Judy, Judy(ジョニー本人を含む3人での作詞作曲)」は、英米ではB面曲、むろん、ヒットするには至っていません。日本でも、ヒットした、という形跡は、ないようです。しかし、なぜか現在では、(「ポエトリー」や「涙ながら」に並ぶ)最も有名なジョニーの曲となってしまっています。

この2曲が、どこそこの国で、いつ頃ヒットしたのか、、、、それを知りたいのですが、なかなか手がかりがないのです。ユーチュブに投稿されている両曲は、第三国からの投稿、と思われるものが少なくありません。おそらく東南アジアと中南米だと思うのだけれど、、言葉や文字が全然わかりません。近く、それらの映像を纏めてアップし、どこの国の言葉なのか、ということを、ご存じの方に教えて頂きたい、と目論んでいます。

「予告編」として、両曲、数パターンづつを、アップしておきます。ただし、聞き終えてから気分が優れなくなっても、責任は持てません。充分注意(覚悟)した上で聴いてもらわねばなりません(笑)。


●「Hohny Tillosson~Why Do I Love You So」

“ホニー・ティロッソン”だそうです。

■「Big D Judy, Judy,Judy~OS,Johnny Tillotson)」

よくぞここまで音痴に、、、(覚悟して聴いて下さい)。


●「Mom singing Johnny Tillotson-Why Do I Love You So」

MomとUncleのディエットだそうです。


■「Judy, Judy, Judy」

おじいちゃん、真剣に歌っています。


▲「Teenage Idol」

ついでに、、、おじいちゃん、リッキーも歌っています。


●「Why Do I Love You So. Johnny Tillotson . ukulele cover」

この(コメントにある)文字を使う国で大ヒットしたみたい、幾種類もカバーが成されています。


■「Judy, Judy, Judy –Johnny Tillotson Cover」

唄っている人の名は「Edwin Kho」、、、どこの国の名前?

それぞれ、どこの国の人か分かる方がいらしたら、教えて下さいね!

今回はちょっと悪趣味過ぎましたね。次回は、もう少しまともな「こんなに愛して」と「ジュディ、ジュディ」の各国カバーを予定しています。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(30)

2011-10-24 22:04:45 | アメリカン・ポップスearly60’s


You-tubeは、どこに何が収められているのか、さっぱりわからない。さっきあったはずのが、一度見失ってしまうと、どこに行ったのか分からなくなってしまいます。まるで手品みたいにどこかに紛れ込んでしまう。それを延々と探しているうちに、今度は別の、レア映像が突如出てきたりします。

Johnny Tillotson(前々回話題に挙げた)最後から2番目のC&Wチャート・ヒット「Toy Hearts」(1977年Billboard Hot Country Singles第99位)。が突然出てきました。初めて聴くことが出来た曲です(まさかこの曲が聴けるとは思ってもいなかった)。You-tube上から消されてしまわないうちに、紹介しておきます。

Johnny Tillotson「Toy Hearts」



Johnny Tillotsonの米チャートヒットは、BillboardHot100に、Bubbling Under、C&W、CashBoxTop100を加えて、計36曲有りますが、その35曲目がこの曲。これで、僕がまだ聴いたことのないチャートヒットは、1968年Billboard C&W第63位の「I Can Spot A Cheater」1曲を残すだけとなりました。







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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(29)

2011-10-23 12:43:49 | アメリカン・ポップスearly60’s


You-tubeというのは、一体どこまで増殖するのでしょうか?Johnnyの曲だけでも、今月に入って7つか8つは増えているようです。毎週ひとつぐらいの割合で増えているみたいですね。

Johnnyの曲で、数多く張り付けられているのは、もちろん「ポエトリー」と「涙ながらに」ですが、その2曲よりも、さらに多く張り付けられているのが、「Why Do I Love You So(こんなに愛して)」と「Judy, Judy, Judy」。(日本を除く)アジア各国で大ヒットしたらしいこの2曲が、いつ頃どこの国でヒットしたのかを調べたいのですが、なかなか具体的な情報が得られません。ご存じの方がいらっしゃったらご教示いただきたいです。

これはだいぶ前で去年の年末にアップされたものですが、僕の好きな“ジョニーズ・ガール(「Judy, Judy, Judy」ラインダンス版)”も、しばらくチェックしていなかった間に、新しいのが加わっていました。全部で10パターン近くあるので、聞き(見)比べると面白いです。フィリッピンなのか、タイなのか、マレーシアなのか、、、、(「こんなに愛して」のほうは、どうやらミャンマーでもヒットしていたみたいです)。

前回アップしたのにも、僕の好みのタイプの女の子が映っていたけれど、今回も、好みのタイプが映っていました!真ん中で踊っている娘です。

Johnny’s girl


「こんなに愛して」のほうも、一つ紹介しておきます。今度の「Out Take」にも収録されていない不思議なヴァージョンです。この“不思議”ヴァージョンは2種類張り付けられていて、紹介するのは「Porque te amo tanto」のタイトルで4年前から張り付けられているもの。

Johnny Tillotson 「Why Do I Love You So(Porque te amo tanto)」

同じバージョンは、最近、もう一種類投稿されています。これに付随した動画レスポンスに、「Tears On My Pillow」(1969、AMOSに移籍後最初にリリースされ、スモール・ヒットを記録)が紹介されています。どうも市販されているものと、違うような気がする(もっとも長い間聴いていなかったので実際は同じなのかも知れませんが)。登校日の2011年10月13日といえば、10日しかたっていない。なのに再生回数870、コメント71というのは、johnnyの曲としては異常に多い(早い)ように思います。

Johnny Tillotson 「Tears On My Pillow」

追記:今気づいたのだけれど、どうやら3種類づつの「Why Do I Love You So」がYou-tube上にアップされているようです。


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(29追加)


今朝8時に寝て、お昼すぎに起きてネットを開いたら、一眠りしていたうちに、10数個増えていましたよ!(ほかに偽物も幾つかあり、笑)。

消されてしまわないうちに、いくつかを紹介しておきましょう。

Johnny Tillotson 「The Outtake(“Judy, Judy, Judy”ほかメドレィ)」
ベアー・レコードの宣伝ですね(高価なので僕はまだ買っていない)。

Johnny Tillotson 「Song Of Hank Williams(例の「John Edward Beland」との共作?品、1973年)」
最初にラジオからJohnnyの「Lovesick Blues」が流れてくるという、、、。


Johnny Tilottoson (with Genevieve)「I’m Never Gonna Kiss You」
「Outtake」にも収録されている幻の1958年リリース盤(第2ボーカルです)。


Johnny Tilottoson 「Cabaret」
ラディオショーのテーマ曲?。

ほかに、satintearsさんの投稿には「Sandy Kind Of Woman」とか「If I Were A Rich Man」とか、CD化されていない後期の曲が
沢山アップされています(音が著しく悪い)。たぶん、すぐに消されてしまうのではないでしょうか?

Paul Evans 「Rose Are Red(エヴァンスが自分で唄っている?)」
なんてのもありました。

あと、1987年オーランドでのライブ(DVDで市販)も、25分間が丸々張り付けられているので、そのうち紹介しましょう。



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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(28)

2011-10-22 11:30:04 | アメリカン・ポップスearly60’s



まず、前回の続きで、Kris Jensenの曲を紹介します。

Kris Jensen 「Please Let Me Love You Tonight」 


Kris Jensen 「Poor Unlucky Me」

なぜ、2曲目以降のヒット曲が出なかったのか?

Ricky Nelsonと、Everly Brothersと、Roy Orbisonと、Johnny Tillotsonと、Brian Hylandをブレンドしたような、とても“質のいい”声だと思います。あるいは、そこにブレイクが続かなかった秘密があるのかも。あまりに平均的で、いわば個性に欠ける。そういうことなのかも知れません。

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特集 RICKNELSON 69

Ricky Nelsonファンのかた、申し訳ない、リッキーとは全く無関係の話です。でも「Ricky Nelsonに恋して」のmarierenさんは先刻承知ですよね。

Malielenさんが尊敬しているという、米国「ricknelson69」氏(たぶん男性?)がYou-tubeに張り付けた、Johnny Tillotsonの曲の特集です。

You-tubeのJohnnyファンと言えば、ダントツに「ILoveJenny47」さん(たぶん女性)が有名ですが、「ricknelson69」氏も、負けずにJohnnyの曲を張り付けています。なんといっても、選曲のセンスが素晴らしい!

以前、marierenさんのところでやっていた“Ricky vs. Johnny”が終わった時に、まだほかにもあったら教えて、という問いかけに、断然「Hello Walls」が素敵です!と答えようと思ったのだけれど、Johnnyの「Hello Walls」はYou-tubeになかったので、リクエストをあきらめたのです。その曲が「ricknelson69」氏の手で張り付けられていました。

それを紹介するとともに、「ricknelson69」氏によってYou-tubeに張り付けられたJohnnyの曲を、いくつか選んで紹介しておきます。

Johnny Tillotson 「Hello Walls」

ジョニーが敬愛するという、C&Wシンガー、Faron Young(ファロン・ヤング)1961年の大ヒット曲(Pop12位、C&W 1位)。Johnnyは62年夏にリリースされた、2枚目のアルバム「涙ながらに/It Keeps Right On A Hurting」の締めくくり(B面6曲目)に、この曲を置いています。Johnnyお得意(?)の“明るい失恋歌”の面目躍如といったところでしょう。

Johnny Tillotson 「Your Memory Comes Along」


僕のNo.1Fauborete-songは、「恋はつらいね/Heartaches By The Number」なのですが、それと並ぶJohnnyのBest-songが、この「君の面影/Your Memory Comes Along」です。Johnnyの自作品(Paul Tannenとのゴールデンコンビ)の中でもNo.1の出来ではないかと。1965年 「Heartaches By The Number」のB面、最強のカプリングなのです(2曲とも65年夏リリースの6枚目のアルバム「That’s My Style」に収録)。

Johnny Tillotson 「One Red Rose」

Johnny Tillotson 「Just As Long」

1965年末にリリース(Johnnyはこの年3枚のアルバムをリリースしています)された「Johnny Tillotson Sings」から2曲。通算8枚目のアルバムで、それ以前の7枚に比べてファンの間の知名度は劣ると思うのですが、今聞き返してみると、これがなかなか素晴らしいのです。殊にA面の6曲。その流れがとてもいい。

本来トップに来るべき「Our World」が6曲目で、トップは以前に発売されたシングル盤のB面曲「One’s Yours One’s Mine」(Johnny自身の作品では、全述の「Your Memory Comes Along」、このあと紹介する「Just As Long」と並ぶ出来)。

2曲目が、この「One Red Rose」。作者の一人Paul Evans(1938年生まれ)は、Bobby Vinton「涙の紅バラ」の作者として有名なソングライター、60年代初頭に、自らの歌唱で数曲の大ヒットを放っているテーンアイドル歌手の一人でもあります。彼のH.P.のリンク欄には、いの一番に「僕の相棒」として、JohnnyのH.P.が紹介されています(JohnnyのH.P.にも、真っ先に彼のH.P.がリンクされている)。

3曲目が、Johnny自身、Johnnyの最初の奥さんのLucille(来日コンサートの時、僕とルシルは「キューティー・パイ」に合わせて、舞台裏で一緒にダンスをしたのです)、それにPaul Evansが共作した「Just As Long」。Paul EvansがJohnnyと共作した曲は余りないので、貴重な一曲です.

4曲目の「I Never Loved You Anyway」のイントロは、そのうちに紹介しようと思っている、Johnnyたち“狭間の世代の歌手”の先輩格にあたる50年代トップ女性シンガーの一人、Teresa Brewer/テレサ・ブリューワーの「He Understands Me/ヒー・アンダスタンズ・ミー」(JohnnyのShe Understands Me、Bobby VintonのDam De Daと同じ曲)の出だし部分にそっくり(Andy Williams/アンディ・ウイリアムスの大ヒット曲「Can’t Get Used To Losing Of You」のイントロにも似ている)。「One Red Rose」同様、Paul EvansとPaul Parnesの共作。

5曲目は、Johnnyのもう一人の相棒の、Paul Tannen(1曲目の「One’s Yours One’s Mine」ほか多数の曲をJohnnyと共作しています、1966年に来日した時に、僕はTannenに「日本人形」をプレゼントしたのです)が単独で書いた「Strange Things happen/不思議なことが起こった」。日本語タイトルの謂れについては以前「青山潤三ネーチャークラブ」に記したので、そちらを参照してください。Paul Tannenは、Johnnyとの共作時より、単独作品の方に、より素晴らしい曲(「どうしようかな?」など)があると思うのですが。

そして6曲目が「Our World/アワーワールド」(Paul EvansとPaul Panesの作)。ちなみにアルバムのB面一曲目が、シングル「Our World」のB面曲でもある「My Gidget」で、当時毎週放映されていたT.V.ドラマ「ギジットは15歳」の、タイトルバックに使われていた曲です(たぶん次回の「あやこ版」で紹介するはず)。

Johnny Tillotson 「Island Of Dreams」

Johnny Tillotson 「Willow Tree」

1965年初頭にリリースされた、6枚目のアルバム「She Understands Me」からも2曲。僕は、このアルバムが、Johnnyの最高傑作だと思っています。そのうちに詳しく紹介する予定です。

Johnny Tillotson 「This Ole House」



1964年夏にリリースされた、5枚目のアルバム「Johnny Tillotson Touch」から。このアルバムは、Johnnyとしてはかなり実験的な作品で、従来のC&Wタッチの曲と、それとは別編曲者の手になるジャジーなスタンダードナンバーに、2分されています。Jonnyのスタンダードポップスも、それなりに聴きごたえはあるのですが、C&Wタイプの曲が出てくると、ほっとした気分になります。やはり彼には、こちらのスタイルの方が合っているようです。Stuart Hamblen/スチワート・ハンブレン作のカントリー・ロック、50年代初頭に、作者自身のほか、当時の人気女性歌手Rosemary Clooney/ローズマリー・クルーニの唄で大ヒットした曲のリメイクです。

Johnny Tillotson 「Come Softly To Me」

1963年秋発売の3枚目のアルバムから。62年の初頭と夏にリリースされた、1枚目の「Johnny Tillotson’s Best」、2枚目の「涙ながらに」が、ともにアルバムとしても一つの作品たるべく、考え抜かれた曲の配置が成されているのとは対照的に、ケイデンス倒産(およびJohnnyのMGMへの移籍)が決まってからリリースされたこのアルバムは、これまでのアルバムに未収録の曲の“寄せ集め”の感が否めません。その中で、唯一光っているのがこの曲。日本では、アメリカでのヒットから4年遅れでリリースされた「Poetry In Motion/ポエトリー」に次いで、64年初夏に発売、人気絶頂時ゆえ、単調な曲調ながら、それなりにヒットしたようです。

むろん、The Fleetwoods/ザ・フリートウッズ1959年の大ヒット曲のリメイク。フリートウッズの曲は、リアルタイムでは日本で全く知られていなかったといっても良いのですが、2大ヒット(ともに59 年Billboard Hot100第1位)の「Come Softly To Me 」と「Mr.Blue」が、5年後の64年になって、それぞれJohnny TillotsonとBobby Vintonのアルバムから日本独自でシングルカットされ、ヒットしたというのも、何かの縁かも知れません。

Johnny Tillotson 「Oh. Eine Tolle Frau」



1964年春の、MGM移籍後2曲目(通算19曲目)のヒット、「ナイスガイ・ジョニー/I’m A Worried Gay」(Paul Evans & Paul Hart作)の、超レア・ドイツ語録音盤。実は、この曲は日本語でも録音されていて、日本コロンビアから、64年夏に発売予定だったのです。ところが、その直前に、米MGMが日本コロンビアと契約解消、すぐ前に旧レーベルのCadenceも、日本キングレコードと契約を解消していたため、人気絶頂時にあって、再び日本では一曲もリリース出来なくなる、という事態に陥ってしまいました。




当時、「日本Johnny Tillotson Fan Club関西支部長」(笑)をしていた僕は、この日本語のテスト盤を、今も何枚か所持しています(紹介した写真がそれ)。これこそ“超”が3つほど付くレア盤だと思います。B面の「Please Don’t Go Away/ドント・ゴー・アウエイ」(ジョニーとルシルの作)も、Under Bubbling 112位と小ヒット。こちらも日本語で歌われています(こちらをA面に予定していたようです)。さらに、次のシングル「君に心を奪われて/I Rise, I Fall」b/w「恋のいらだち/I’m Watching My Watch」も、漣健児さんの訳で日本語録音が成されていたはず。しかし、いずれも発売されることなく、お蔵入りになってしまいました。

Johnnyの次の日本でのリリースは、(米MGMの販売権を獲得した日本グラムホンから)翌65年春の、日本語表題を変えての「恋のウルトラC/I Rise, I fall」、正式な日本語初歌唱は、65年秋の「涙くんさよなら/Good-by Mr, Tears」 を待たねばならなかったのです。幸い、この2つの曲は大ヒットに結びつき、日本でのJohnnyの代表曲の一つになったのです。もし、日本コロンビアから、順当に“最初の日本語盤”「ナイスガイ・ジョニー」と、“最初の日本語タイトルのままのI Rise, I Fall”「君に心を奪われて」が発売されていたなら、果たして「恋のウルトラC」や「涙くんさよなら」のようなヒットに結びついていたかどうか、、、。

Johnny Tillotson 「Blowin’ In The Wind」

最後の一曲は、あやこさんへのプレゼント(笑)。あやこさんが大好きだという「風に吹かれて」です。64年初頭MGMからの初アルバム(通算4枚目)の、B面最後の曲。PPMの唄で63年に大ヒットした、いわばディランの出世作です。JohnnyとBob Dylanは、どう考えてもミスマッチだと思うのですが、、、、。まあ、こんなDylanナンバーもあっても良いでしょう。

ジョニーとディランは、“年齢”はさほど違わない(ディランが2歳下)のですが、“年代”は(イメージ上)大きく異なります。まあいわば、Johnnyは旧世代の代表、Dylanは新世代の代表ですね。そのことについては、また別の機会に(C&W音楽評論家・高山宏之氏の当時の評論記事などとともに)紹介したいと思っています。

以前にも何度も触れたように、「ロック音楽」や「アメリカン・ポップス」の歴史を述べた本は、どれもボブ・ディランに多大な分量を割いています。そして数百ページに亘ってDylanについてに述べられている、それらの本のなかには、“狭間の世代”の歌手については、ほとんど述べられていません。Johnnyに至っては、一言も触れられていない、というのが通常です。両者の実績は、月とスッポン(むろんJohnnyが“いつものごとく”後者)ですから、仕方はないでしょう。

でも、ちょっと待ってください!そう言い切ってしまって良いのでしょうか? Billboardの1999年版「Top-pop singles」をチェックすると、Johnnyは148位、Dylanは176位。Hot100登場曲数は、Johnny26曲、Dylan23曲。トップ40に限れば、14曲と12曲。ベスト10は、ともに4曲(ともに最高位は2位)。Adult contemporaryで、ジョニー9曲(全てトップ20以内、ベスト5に5曲)、ディラン4曲(4曲ともトップ20以内、ベスト5に1曲)。C&Wは、ジョニー6曲(ベスト5に1曲)、ディランはゼロ。

時代が10年前後ずれるとはいえ、実に拮抗しているのです(しかも大半はJohnnyが上回っている)。

むろん、あくまで(シングル盤のチャートにおける)数字の上の結果ですし、これをもって“月とスッポン”の立場が変わるわけではないことは、言うまでもありません。アルバムでの実績や後年の評価などは比べものになりません。でも、「数百頁の記述」対「記述ゼロ」ということはないと思うのです。
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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(27)

2011-10-20 11:27:09 | アメリカン・ポップスearly60’s






今日は、昨日の話の中に登場した、“栄光の一発屋”Kris Jensen(クリス・ジャンセン)を紹介しましょう。

Kris Jensen 1942年4月4日 コネティカット州生まれ。

1959年6月Colpixレコードから「Staying Up Late/Bonnie Baby」でデビュー。Leader→Kappとレーベルを移り(偶然かどうか、同時期のBryan Hylandと全く同じ航跡です)、さらにHickoryに移って、1962年5月リリース(Johnnyの「涙ながらに」と同じ月です)の通算6枚目のシングル「Torture」でブレイクします(Billboard Hot100第20位、11週間ランク)。その後、1964 年末までに計12枚のシングルをリリースします(アルバムも発売されています)が、2曲目のHot100チャートはなりませんでした(63年初頭に「Don't Take Her From Me」がUnder Bubbling 112位を記録)。

今日紹介するのは、唯一のヒット曲「Torture」と、64年6月にリリースされた11枚目のノン・ヒット・シングル「Come Back To Me (My Love)」です。

お分かりの通り、Roy Orbisonの“日本限定”(初)ヒット曲で、Orbison自身の作。「Torture」の作者John D. Loudermilkだけでなく、Evarly Brothersに数多くの曲を提供しているBoudleaux & Felice Bryant夫妻、Roy Orbison &Joe Melsonのコンビといった、最高の布陣で彼を支えていたわけです。今更ながら“一発のみのヒット”が不思議でなりません。

You-tubeには、数多くの曲がアップされています。不思議なことに、肝心の「Torture」が見当たらない(ひどく音声再生の悪いのが一つ有りますが)。下に張り付けたのは、“音楽”のコーナーでないところから引っ張り出してきたものです。なぜか、かつての映画スター「ゲイリー・クーパー」のスライド・ショーの、バック・ミュージックとして、アップされているのです。Kris Jensen「Torture」と、ゲイリー・クーパーが、どのように結びつくのかは、全く不明です。

面白いのは、Kris Jensenの曲には、ほかにも結びつきがよく分からないのがあります。当時の大統領ジョン・F・ケネディの奥方“ジャクリーヌ・ケネディ”のことを歌ったノベルティ・ソング「The Jackie Look」。これはまた大変に楽しい曲です。You-tubeで見つけ出して、ぜひ聴いてみてください。

Gary Cooper「Torture」【=Kris Jensen「Torture」】 

Kris Jensen「Come Back To Me (My Love)」 

クリス・ジャンセンの「カンバック・トゥ・ミー」。どうしてこの曲がヒットしなかったのか、不思議でならないほど、素敵な曲だとは思いませんか!




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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(26)

2011-10-19 12:59:50 | アメリカン・ポップスearly60’s



You-tubeを“はしご”していると、時々“不思議な”というか、“とんでもない”というか、、、意外としか言いようのない曲に出くわします。いつの間にやら消えてしまったりするので、早めに報告しておかねばなりません。

Johnny Tillotsonの、未リリースの曲がアップされていました。

「Tell Laura I Love Her」
言うまでもなく、Ray Peterson 1960年の大ヒット曲(Billboard Hot100第7位、、、もう一つの彼の大ヒット曲は、フィル・スペクター作品「Corrina, Corrina」同年Billboard Hot100第9位)で、Mark Dinningの「Teen Angel」(同年Billboard Hot100第1位)と並ぶ、Tragedy-song(交通事故で恋人を亡くした歌)の定番です 。

ジョニーがこの曲をカバーしても不思議ではないのですが、彼のディスコグラフィーには、全く示されていません。

聞いてみることにしました。声は、、、ジョニーの声、と言われれば、そう聞こえなくもない、でも違うような気もします。一年365日四六時中ジョニーの曲を聴いている僕ですから、彼の声かどうかを判別出来ないわけがありません。ところが、いざ“不明曲”を目の前に示されると、断言する自信が無くなってしまうのですね。

以前(2年ほど前)you-tube上に、Johnny Tillotson「Only Love Can Brake A Heart」がアップされていました。むろんGene Pitney最大のヒット曲(1962年Billboard Hot100第2位、AC第1位)。こちらもジョニーがカヴァーしていても不思議はないのですが、やはり彼のディスコグラフィーには見当たりません。

コメントの欄を見ると、「これはJohnny Tillotsonではなくて、Bobby Vintonではないのか?」「いや、Bobbyのサウンドではない、Johnnyの唄だろう」と、結構盛り上がっていたのです(むろん英語で)。

Johnny Tillotson とBobby Vintonの声の区別がつかないわけがありません。世間では“似ている”と言われることもあるようですが、それはBobbyに失礼千万!月とスッポンです(もちろんJohnnyが後者)。

僕は両者の声の区別など、100発100中で当てる自信があります。ところが、、、、自信が無くなってしまった。ほぼ間違いなくBobbyだとは思うのですが、Johnnyだと言われれば、そうも聞こえなくもない。いずれにしろ、70年代~80年代の録音でしょうから、両者とも60年代の声の特徴はだいぶ失せてしまっているのです。

Bobbyは間違いなくこの歌を歌っています。それどころか、シングル盤でもリリースしていて、しかも彼のほとんど最後のポップチャートヒット(正確には最後から2番目、1977年Billboard Hot100第99位)ともいえる重要な位置づけの曲。しかしまあ、“99位”というランクポジションですから、一般に流布しているとは言い難いでしょう(ちなみに、Johnnyの最後から2番目のC&Wチャートヒットも、同じ1977年Top Country Singles第99位の「Toy Hearts」で、いまだ聞くことが叶いません)。

Johnnyのほうは、前記のごとく公式には録音していないことになっています。でも、70年代中期には、60年代初期のポップヒットを積極的にカヴァーしていたことですし、どこかで披露されていても不思議ではありません。ネットをサーフして調べていくと、確かに何かのT.V.番組かライブだかで、演奏したことにはなっています。

といっても、ジョニー盤を聞くことはまず不可能でしょうから、とりあえずボビー盤をチェックしてみましょう。99位とはいえ、立派なHot100チャート曲です、根気よく探せば見つかるでしょう。

と思っていた矢先、肝心の「Johnny Tillotson/Only Love Can Brake A Heart」が、ネット上から消えてしまっているではないですか? おそらくはアップした当人が、間違いであることを悟って、削除したのでしょう。それとも、やはり“本物”で、また別の問題が生じて削除した、と類推することが出来るかもしれません。そのしばらく後にyou-tubeでアップされていた、1983年のシングル「Crying」のB面曲「You're A Beautiful Place To Be」も、突然削除されてしまったことですし。

「Johnny Tillotson/Only Love Can Brake A Heart」の真偽は、永遠に“謎”のままになってしまったのです。

ちなみに同じ頃、Tommy Roe「Let’s Dance」というのがYou-tubeにアップされていて、これは100%間違いなく、Chris Montez「Let’s Dance」の間違い。Tommy RoeとChris Montezは同時期に初ヒット(Tommyは「Sheila」、Chrisは「Let’s Dance」、同じ日にHot100に登場、前者はNo.1に、後者も第4位に上り詰めたあと、同じ日にHot100から姿を消しています、イギリスでは、「Sheila」3位、「Let’s Dance」2位、2人揃って英ツアーを行い、その時の前座が、まだアメリカでは芽の出ていなかったビートルズ)、取り違えるのもむべなるかな、という気がします。こちらは、その後も削除されることなく、長い間(もしかしたら今も?)そのままYou-tubeに貼り付けられていました。ともに有名大ヒット曲ゆえ、“99位”の曲のように、紛らわしい問題とはならなかったのです。

ということで、今回の「Johnny Tillotson/Tell Laura I Love Her」も、充分に疑う必要があります。

しかし、はっきりと、“Johnny Tillotson” の「Tell Laura I Love Her」と示されていることですし、しかも、You-tubeのみならず、複数のサイトに登場します(Mp3での販売までが成されている)。簡単に否定するわけにもいかない。

で、You-tubeに登場する「Tell Laura I Love Her」を検索していたら、「Ricky Nelson /Tell Laura I Love Her」というのが出てきました。Rickyがこの曲をカヴァーしているとは知らなかった。もちろんカヴァーしていたとしても不思議はないのですが。「Ricky Nelson Sings Rare Tracks」というアルバムに収録されているそうで、ご丁寧にもアルバムの写真も示されています(実際は、このアルバムには収録されていない?)。

聞いてみると、どうもRickyの声とは違う? Rickyも後年はだいぶ声の質が変化したので、Rickyだと言われれば、そうかも、という気もしないではないのですが、やっぱり絶対に違う。でも、ジョニーの場合同様(それ以上に)、“Ricky Nelson” の「Tell Laura I Love Her」として、多くのサイトで紹介されています(やはり堂々とRicky Nelsonの曲として販売され、購入した人も疑っていないみたい、そしてなんと、Wikipediaにも「Ricky Nelsonがカヴァーした」と記されています)。

答えは次の通り。

「Johnny Tillotson/Tell Laura I Love Her」は、
「Johnny T. Angel /Tell Laura I Love Her」 の間違い。

「Ricky Nelson /Tell Laura I Love Her」は、
「Ricky Valance /Tell Laura I Love Her」の間違い。


「Tell Laura I Love Her」 Johnny Tillotson MUdotcom www.youtube.com/watch
「Tell Laura I Love Her」 Ricky Nelson kingrhyslewis www.youtube.com/watch

「Tell Laura I Love Her」 Johnny T. Angel 57memorylaned www.youtube.com/watch
正「Tell Laura I Love Her」 Ricky Valance snapshotofharlech www.youtube.com/watch

まず、後者から説明していきましょう。
RickyやJohnnyと同世代のポップ・シンガーとしては、なんと言っても「Ritchie Valens(リッチー・ヴァレンス)1941年生まれ、1959年、Buddy Hollyらとともに、飛行機事故で死去)」です。「Ricky Valance(リッキー・ヴァランス)」とは微妙に違う。でも、「Ricky Valance(リッキー・ヴァランス)」のほうも、同世代のポップ・シンガーです。ただしアメリカではなくイギリス。1960年に「Tell Laura I Love Her」を英チャートのNo.1に送り込んでいる、(イギリスでは)超有名シンガーの一人なのです。

アメリカでの「Tell Laura I Love Her」ヒットホルダーRay Petersonとは、同じ1939年4月生まれ(Ricky=4月10日、Ray=4月23日、ちなみにJohnnyは同年4月20日、アメリカのRickyは翌年5月8日、Ritchieは翌々年5月13日と、皆完全に同世代人)。

Ricky Valanceの、英チャート3曲目のヒット曲が、アメリカにおけるJohnny Tillotsonのヒット曲「Jimmy’s Girl」のカバー、というのも、何かの縁だと思います。

さて、「Johnny T. Angel」のほうです。こちらは難敵。結論から言うと、「正体不明」です。

いわゆる“栄光の一発屋”、いや ちょっと違いますね。「一発屋」の定義は「初ヒットが、Billboard Hot100の40位以内で、2曲目以降、一曲もHot100にランクされず」ということになっています。真の“一発屋”は、オールデイズファンには、ある意味尊敬の念でもって迎えられているのです。

その典型が、Kris Jensen(1942年生まれ)。1962年、Billboard Hot100の第20位まで上った「Torture」(John・D・Loudermilk作)で幸先よくデビューします。しかしその後、Hot100にも、他チャート(C&W、R&B、AC)にも、一度として登場することはありませんでした(Under Bubblingの112位に1曲)。ルックス良し、声良し、曲良し(なにしろ全面的にJohn・D・Loudermilkが援護)、スタートも良し、やる気もあり(その後、何枚ものシングル盤をリリース)、、、、なのに、なぜ一発で終わったのか? 謎としか言いようがありません。そして月日が流れ、今や「一発屋界」の大スターとして君臨しているわけです。「栄光の一発屋」とは、このクリス・ジャンセンのような歌手を指して言うべきでしょう。

いわゆる一発屋とみなされている歌手でも、実際は2~3曲はHot100にランクインしていることが普通です(よって「三発屋」と呼ぶのが正しい?)。キュウ・サカモトでさえ、「スキヤキ」のあとに、もう一曲「支那の夜」58位を、チャートインさせています。真の「栄光の一発屋」になるのは、至難の業なのです。ちなみに、日本人では、ただ一組、真の一発屋が存在します。ピンク・レディー「Kiss In The Dark」1979年Hot100第37位。むろん一曲のみで後続なし。真偽の程はともかく、聞くところによると、バルブ真っ最中の日本のこと、湯水のように金を使って、放送局に売り込んで曲をかけさせ、レコード屋でレコードを買い占めて、それなりの(数字上の)ヒットに結びつけた、ということらしいのです。金にあかせてプッシュすれば、このランクまでは可能ということでしょうか?

話がだいぶ逸れてしまいました。
ジョニー・T・エンジェル、1974年、「Tell Laura I Love Her」Billboard Hot100第94位。
一発ヒットとは言っても、94位とは、しょぼくれたポジションです。しかし、Hot100チャートインには違いありません。ネットで検索をかけると、「ジョニー・T・エンジェル1974年“Tell Laura I Love Her”Billboard Hot100第94位」で、いくらでも出てきます。全部「Tell Laura I Love Her」がらみで、ほかの説明は一切なし。それだけHot100登場の威光は凄いのです。最初に紹介した、同じ70年代、ボビー・ヴィントン最後から2つ目のHot100チャートイン曲の99位、ジョニー・ティロットソン最後から2つ目のC&Wチャートイン曲99位、と比べれば、94位でも大したもの、と言えなくもないかも知れません。

ということで、改めてこの曲を聞いてみると、オリジナルのレイ・ピーターソン盤と何ら変わるところなし、実にオーソドックスな歌いぶりです。(事故のクラッシュ音やパトカーのサイレンを入れて臨場感を出しているのは新鮮?と言えるとはしても)こんな古めかしい曲が、70年代末の新時代に、94位というポジションを、よくまあ獲得し得たものと、驚いてしまいます。

気になるのは、“そう言われれば”ジョニーの声に似ていること。ジョニーの曲を日がな聞いているとは言っても、(後年のライブ映像は別として)せいぜい67年録音の曲まで(飛んで2010年の「ノット・イナフ」)。70年代の彼の曲は、ほとんど知らないのです。60年代末には、まともな声が出なくなってしまっているように思えたのですが、(僅かな情報を基にすれば)70年代中期以降は、それなりに張りのある声を取り戻しているようにも感じます。

もしかするとJohnny本人ではないだろうか? ちらっと、そんなことも頭をよぎります。でも当人としては「キャリアに一曲でも多くチャートヒットを付け加えたい」と思っていることでしょうから、まずそんなこと(自分のヒット曲の存在を否定すること)はしないでしょう。交通事故をテーマとした、いわば不吉な曲、ということが、何らかの意味を持つ? そういえば、リッキーは、本人が飛行機事故で亡くなっていますし、ジョニーは、娘さんを交通事故で亡くされています。74年よりずっと後の話ですから、時間軸が噛み合わないのですけれど、なにか因縁のようなものは感じます。

リッキーの場合は、もう一人のリッキー「リッキー・ヴァランス」という人気歌手の存在が原因ですので、間違いである事実は、くつがえしようがありません(それにしても気になるのは、いろいろなサイトで「リッキー・ネルソン」がこの曲を歌っている、と明記していること、、、、もしかすると、どこかで歌っている?)。

ジョニーの場合は、もう一人のジョニー「ジョニー・T. エンジェル」が正体不明ゆえ、もしや、ということも考えられなくはありません(「Billboard Top Pop Singles」で検索すると、ただ一言“Canadian Singer”と記されているだけ、もっとも、カナダの歌手というからには、ジョニーとは別人には違いないでしょう)。

70年代初頭の録音盤のうち、「All I Have To Do Is Dream~夢を見るだけ」などは、声の雰囲気がかなり似ているように思う。残念ながらジョニーのこの曲はYou-tubeに見当たらないので、70年初頭録音と思われる他の2曲を紹介しておきます。
「ジョニー・T.エンジェル」の「Tell Laura I Love Her」と聴き比べてみてください。

「Can’t Help Falling Love With You」 Johnny Tillotson goeling www.youtube.com/watch
「Susan」 Johnny Tillotson ILoveJenni47 www.youtube.com/watch
*「Can’t Help Falling Love With You」の画像は60歳代のJohnny。


別人には間違いないと思います。でも、“サウンド”は非常によく似ている。T.AngelはTillotsonのファンなのかも知れませんね。T.Angelは本名でしょうか? Tillotsonには、“Angel”の名がつくヒット曲が2つあります。「Earth Angel(1960年Billboard Hot100第57位)」と、「Angel(1965年Billboard Hot100第51位)」。気のせいか、よりサウンドが似ているような、、、。

「Earth A ngel」 Johnny Tillotson cesare1972 www.youtube.com/watch

「Angel」 Johnny Tillotson mezskr4 www.youtube.com/watch
*ジョニーの「Earth Angel」は、You-tubeで何パターンもアップされていますが、ちょっと捻って、変わった画像のものを張り付けておきます。


付記
こんなのもYou-tubeにアップされていました。

「Tell Laura I Love Her」Johnny T. Agent tataxa86 www.youtube.com/watch
Johnny Tillotsonならぬ、Johnny T. Angelならぬ、Johnny T. Agentの「Tell Laura I Love Her」。
当然誤植だと思ったのですが、曲を聞いたら全く別人です(歌い方はやはりオーソドックスでRayのオリジナルに近い)。
一体、これは何なのでしょうか? たまたま偶然が重なっているだけなのか? ジョークなのか?

そのJohnny T. Agent盤You-tubeの画像が、これまた謎。東洋(?)の女性5人が露天風呂(?)に浸かっているところ。
あれれれ!この髪形は、、、、。僕が先々週までいた、広西荘族自治区の少数民族の女性ではないですか???
偶然だらけで、なんだか、変な気持ちです。




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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(25)

2011-10-17 17:37:05 | アメリカン・ポップスearly60’s



今年になって、45年ぶりに再会(まだメールのやり取りだけですが)した、元・日本ジョニー・ティロットソン・ファンクラブ会長の、O氏より、ついこの間(今年9月28日)のジョニーのライブ映像がYou-tubeにアップされているとの情報を得ました。

さっそく、あやこ版でも紹介させていただきます。


Johnny Tillotson at The Villages - Poetry In Motion


Johnny Tillotson - Dreamy Eyes/Earth Angel


Johnny Tillotson at Norman's Rare Guitars


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以前にもお伝えしたように、この10月18日から6日連続で、アメリカの6都市においてJohnny TillotsonとFreddy Cannonのジョイント・コンサートが開催されます。

それでもって、Johnny Tillotson・Freddy Cannonでyou-tubeを検索したところ、なぜか出てくるのは、Johnny Tillotson、Freddy Cannon、Brian Hylandの3人セットのライブ(?)の案内ばかり。たぶん最近はこの3人でライブをやる機会が多いのだろうけれど、今回はブライアンは加わっていないはずです。

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日本の音楽界の話題を。

柳ジョージさんが亡くなりました。1948年1月生まれというから、僕と同じ年(3か月兄貴)。日本のポップ/ロック歌手は全く評価していない僕なのですが、柳ジョージと忌野清志郎だけは認めていたのです。2人とも、早世してしまったのは、残念としか言いようがありません。日本の音楽シーンにとって、大きな損失。

でも、最近の若者たちの音楽には、彼らに劣らぬ、素晴らしい才能と魅力を感じることがあります。身近なところでは、ジン君たちのトリオ「集団パラリラ」(ジン君のボーカルは無論、ベースの男の子と、ドラムの女の子が素晴らしい)や、石垣島のガンケ・オンムさんの息子さんたちのグループ(チャック・ベリーを演ります)。今後に期待しましょう。


柳ジョージの冥福を祈って、この曲も聴いてください。(あやこ)

"青い瞳のステラ, 1962年夏・・・" 柳ジョージ&レイニーウッド - YouTube


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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(24)

2011-09-07 13:07:28 | アメリカン・ポップスearly60’s


Johnny Tillotson「Out Take」についての(収録58曲を短縮メドレーで聴いた)感想を。CD本体を購入し、曲全体を聴き、ブックレットの解説を読んでからでないと、詳しい話は出来ないでしょうが、いつになるか解りません。そこでとりあえずということで、思いついたことを述べて行きましょう。

インターネット上の解説文に記された“第一の収穫”として、「ポエトリー/Poetry In Motion」の初期テイクに関するコメントが成されています。「ジュディ、ジュディ/Judy、Judy、Judy」「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー/You Can Never Stop Me Loving You」「くべられない素晴らしさ/You’re Much Beyond Compare」「ポエトリー」の4曲については、(1)(2)として、録音日や録音スタジオの異なるバージョンが収録されているのです。

「ポエトリー」に関しては、ブーツ・ランドルフBoots Randolph(サックス)やフロイド・クレーマーFloyd Cramer(ピアノ)が参加してナッシュビルで行われたヒットシングル&アルバム収録バージョンに先駆け、ニューヨークのスタジオで録音された別バージョンが存在します。サックスは、ランドルフではなく、King Curtis、フロイド・クレーマーのピアノ伴奏は入っていません。ジョニーの唄声共々、全体としての溌剌さに欠けます。

一方、ナッシュビル録音テイクも、ヒット盤以外は、ランドルフのサックスが噛み合っていなかったりして、もう一つ物足りないのですが、最終的に発売された「ヒット・シングル盤」は、これまで何度も記したように、ほとんど奇跡とも言える完璧の出来。もし、ニューヨーク録音盤が、そのまま発売されていたなら、ここまでの大ヒットには結びつかなかったことでしょう。

大ヒットに結びつかなかったかも知れない、という事では、初期2大ヒットのもう1つの曲「ウイズアウト・ユー/Without You」についても(これは、DVDで発売された、最近のジョニー自身の“昔の想い出話の一人語り”の中でも触れられていますが)最初は、語り(Recitation)の部分が入っていなかったのです。録音の途中で(たぶん即興で)“メイビー・トゥモロー、、、、”以下の部分を追加したようです(ニール・セダカNeil Sedaka「悲しき慕情/Breaking Up Is Hard To Do」のハミング“ダンドゥヴィ・ドゥダン~”挿入に纏わる逸話と同じ)。こちらも、もし“レシテーション”なしのテイクのまま発売されていれば、大ヒットとは成らなかったと思う。もしかしたら、“2大ヒット曲”が、2つとも生まれていなかった可能性があるのです。

さらに、もう一つの大ヒット曲「涙ながらに/It Keeps Right On A-Hurting」も、ある意味、偶然の産物だったようなのです。

以前に発売されたCDのクレジットを見ると、(まるっきり異なる曲調の)「涙ながらに」と「素敵なガールハント/A Very Good Year For Girls」が、同一日の録音だった可能性があります(ベストセラーアルバムに収録された「涙ながらに」以外のC&Wナンバーは、後日の録音です)。以下は僕の推測ですが、、、、。

この日(1962年の1月某日)は、本来「素敵なガールハント」の録音が目的だったのではないでしょうか? 兵役の合間を縫ってのスタジオ録音の際、病床にある父親の事を思って作ったと言われる歌詞の原曲を、失恋歌に置き換えたC&Wナンバー「涙ながらに」を、“ついでに”披露、アーチ・ブレイアーArchie Bleyerがそれを絶賛した。そして急遽(「ティーン・ポップス」から「本格C&W」へと)路線変更の決定がなされた、という事なのかも知れません。(最初の路線に沿って)そのまま「素敵なガールハント」がリリースされていても、当時の勢いからすれば、それなりのヒットはしたと思います(その結果も知りたかったです)。でも、だとしたら、ただの「ティーン・ポップ・シンガー」のまま終わっていたことでしょう。

そうして、もう一つの偶然。

こと日本においては、ジョニーについて語られるとき、「本国と日本とで、最もヒット曲の組み合わせが違う歌手」というのが定説となっています。このように語られる大きなポイントは、“日本でのヒット曲も多数ある”という事実です。

もし、日本におけるヒット曲が無ければ、「本国と日本とで、最もヒット曲の組み合わせが違う歌手」とされる以前に、「日本では全くヒット曲が出なかった、伝説のポップシンガー」となってしまっていたはずです。

周知の通り、「ポエトリー」や「ウイズアウト・ユー」が本国でヒットしていた61年頃までは、ケイデンスの曲は契約の関係で日本では発売されなかったのです。そのため、“伝説の歌手”となりかけていたところだったのですが、62年になって、「日本キングレコード」が発売権を得ました。本国では、ちょうど最もブレイクしていた最中でもあります。本来なら“目出度し目出度し”と言うところなのでしょうが、間が悪いというか、その後1年間に放たれたリアルタイムでの“大ヒットナンバー” (「涙ながらに」「夢の枕を/Send Me The Pillow You Dream On」「どうにも出来ない/I Can’t Help It」「涙でいっぱい/Out Of My Mind」)が、全て日本では受入られることの難しい、地味なカントリーバラード。

それまでのジョニーのヒット曲は、発売さえすれば日本でもヒット確実、と言われていたのに、発売が叶わなかった。やっと待望の発売権利獲得、となった瞬間に、路線変更です。間が悪いとしか言いようがありません。といって、(路線変更後の曲も)せっかく本国でヒットしているのですから、日本でもリリースしないわけには行きません。そしてその結果は、予測されるごとく“惨敗”です。

地味なC&Wバラードが4曲続いたあと、63年夏にリリースされた5曲目も、似たような曲調の(幾らかはポップス風味が感じられますが、日本では受けいれられそうもない)「ユー・キャン・ネバー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー」(だいたい「イット・キープス・ライト・オン・ア・ハーテイング」とか、「センド・ミー・ザ・ピロウ・ザット・ユー・ドリーム・オン」とか、「アイ・キャント・ヘルプ・イット・イフ・アイム・スティル・イン・ラブ・ウィズ・ユー」とか言った、長ったらしいタイトルの曲が、こと日本に於いては「キューティー・パイ/Cutie Pie」「プリンセス・プリンセス/Princess、 Princess」の分りやすいタイトルの曲に適うわけがありません)。

しかし本国では、これも大ヒットします。そのまま発売したいところですが、どうせ日本ではヒットしないことは目に見えています。せっかく次の新譜も本国でヒットしているのだから、もう一曲様子を見てこれもリリースしておこうと、(半ば日本でのヒットは諦めて)そのままだらだらと本国でのヒット曲をリアルタイムでリリースし続けるか、出すと日本でのヒットも確実な、「ポエトリー」以下の旧譜の発売に切り替えるか、2者択一、さぞかし迷ったことでしょうが、ここで後者の選択を決断したのです。

打って出た旧譜は、「ポエトリー」でも「ウイズアウト・ユー」でも「こんなに愛して/Why Do I Love You So」でもなく、日本人好みの曲調の“B面曲”「キューティー・パイ」。この上もない的確な決断だったと思われます。もし、あと一曲様子を見てから、と言う事で、そのまま「ユー・キャン~」を先にリリースしていれば、永久に日本でのブレイクのチャンスは巡って来なかったことでしょう。と言うのは、本国での「ユー・キャン~」リリース直後、「MGM」へ移籍が決定したからです。「移籍」が決まった後となれば、あえて“勝負を賭ける”ことも思いつかなかったでしょう。ただ一度きりの“最後のチャンス”を、ものにしたわけです。

半年後の「ビートルズ旋風」。その後に仕掛けたならば、いくら「日本人好みのケイデンスCadence旧譜」といったところで、リスナー自体の“好み”が変わってしまっていたことでしょうから、時代遅れになってしまっているはずです。移籍先のMGMからも本国ではしばらくの間はヒット曲が続いていたのですが、どれも日本では受けいれられることが難しい曲ばかり(「恋のウルトラC」のヒットも、「涙くんさよなら」の企画も、「キューティ・パイ」ヒット以降の日本でのブレイクがあってこそ成されたもので、“日本ではヒット曲の無い伝説のポップ歌手”のままでいたなら、それらも日の目を見なかったことと思われます)。

ということで、本国でのブレイクも、日本でのブレイクも、紙一重の差で掴んだチャンス、と言う事が出来そうなのです。

でも、こうも考えるのですね。もし、62年に「涙ながらに」の路線変更&ブレイクがなく、その後もずーっとティーンアイドルのままでいたなら、今以上に「ティーンアイドル・ナンバーワン歌手」として評価の対象になっていたかも知れませんし、あるいは、何らかの理由で、初期のヒット曲群のみで(「涙ながらに」以下のC&Wスタイルのヒット曲群無くして)キャリアを終えていたなら、それこそ“伝説の初期ロックシンガー”の一人として、後年、バディ・ホリーBuddy Hollyやエディ・コクランEdward Cochranらと並び称される存在になっていた可能性もあります。

逆に、初期ヒット曲群が無く、いきなり「涙ながらに」からスタートしていたなら、「若手ナンバーワンC&Wシンガー」としての地位を(それまでの“ティーンアイドル”というレッテルに邪魔されることなく)確立し、その後の方向性や評価も大きく異なっていたかも知れません。

そして、「キューテイ・パイ」発売の決断時期を逃し、日本での評価が「伝説のポップ歌手」となっていたなら、、、、。

まあ、それぞれに興味があるので、そうなっていてもそれはそれなりに面白そう、という思いもあるのですが。

断片的感想を続けます。「ユー・キャン~」も、別種テイク(ポップチェーンとしては、こちらのほうが上出来と僕は思うのですが)が収録されています。このテイクは、以前からユーチュブ上にも(「ジュディ、ジュディ」の別種テイクと共に)紹介されてきて、今日に至るまで削除されずにいるのですが、なんらかの理由があるものと思われます。

逆に「プリーズ・ヘルプ・ミー・アイム・フォーリング/Please Help Me I’m Fooling」は、公式?には初CD化。しかし日本発売盤の「涙ながらに」復刻盤などには、以前からボーナストラックとして収録されていて、やはり契約上の何らかの理由があるものと思われます。

「こんなに愛して」も、ユーチュブ上には別種テイクが紹介されていますが、なぜか今回の「アウトテイク集」には含まれていません。どうなっているのでしょうか?

僕個人的に、最も大きな収穫は、「涙でいっぱい」の別テイク2つの収録です。「涙でいっぱい」は、ある意味、謎の曲です。この曲がリリースされた63年春というのは、人気の絶頂に会った頃、それにしては、リリース数が著しく少ない。もちろんこの時期に前後しての兵役があったことも関わっているのでしょうが、63年春と言えば、すでに除隊後のはず。「涙でいっぱい」に関しては、親友ブライアン・ハイランドBrian Hylandのために書き下ろしたという記述もあり(真否のほどは不明、彼が録音している形跡はありません)、また、ジョニー・シンバルJohnny Cymbalのリアルタイムでのカヴァーもあります。

自身での作詞作曲、編曲もシンプルで、伴奏もシンプル(この当時の一連のC&Wバラードで生かされている、アニタ・カー・シンガースThe Anita Kerr SingersやジョーダネアースThe Jordanairesによるハーモニーもなし)、そしてモノラル録音、、、、いわば、予算をかけずに製作した1枚、と言う事が出来ます。

それにしては、かなりのヒットを記録している。ビートルズ襲来直前の、新しい波が押し寄せつつある時代に、こんな単調な曲が、ポップ24位/アダルト11位の位置に付けているのは、大健闘といって良いでしょう(言いかえれば人気の絶頂にあったからこそなのでしょうが)。

一連のヒット曲のうち、この曲だけが、後年に至るまで、どのアルバムにも収録されていなかった、と言うのも謎です。

その別テイクが2つ、納められています。ストリングス付きの「テイク3」と、軽快なベースの音がフィチャーされた「テイク2」。おそらく「テイク1」がヒットシングルバージョンで、こちらはピアノ伴奏付きです。低予算製作ゆえ、どれか一つを、ということで、ピアノ伴奏を選択となったのかも知れません。シンプルなピアノ伴奏は、この曲(ジョニーのヒット曲の中では、僕の最も好きな曲のひとつなのです)の素朴な魅力に、よくマッチしている、と思うのですが、軽快で澄んだベース音が強調された「テイク2」も最高! こちらをヒットシングルバージョンに選んでもよかったのに、という思いもあります。僕にとっては、このバージョンを聴くことが出来たのが、最大の収穫です。

ブレイクの最中のシングル盤(A面)録音が、他の人気ティーンアイドルに比べて際立って少ない(ケイデンス時代の6年間にA面新曲は10曲=58年1曲、59年2曲、60年2曲、61年2曲、62年1曲、63年2曲)のは、兵役、ケイデンスのポリシー、といった理由も考えられますが、もうひとつ関連が考えられるのは、この時期に大学を卒業し、のみならず博士号Bachelor's Degree(Journalism and Communications)を取得していることです。“ティーンアイドル”でいる、そのさ中(1959年?)にですから、これは相当に大変なことだったのではないかと思うのです。



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