読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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最初の入り口は「図書館でした」…陰謀論を信じた主婦が振り返る、ハマってしまった「3つのきっかけ」 (msn.com)
非情に重要な、全ての問題の根源に関わる話だと思うので、もう一度同じニュース記事を載せます。
お金が無くて途方に暮れている負け組老人の僕が言っても説得力がないのですが(いや、だからこそ説得力あるかも知れんです)、それに他にやらなきゃならん作業が山ほどあるので、こんな記事に時間を割いているわけにはいかんのですが、とても大事な話です。
まず、僕自身のこと。例えば、昔スプーン曲げとか流行った時に、僕は一切(超能力とかも含み)信じていませんでした。基本的に、今でもそうです。この主婦の方とは、まったく逆というか、最初からそういった「正論の空気」とは別に存在する、もうひとつの「空気(いわゆる“カウンターカルチャー”的な、それ自体が別の正論となってしまっている)」の流れ(いわゆる「陰謀論」もその一つかも知れない)に乗ることには、全く興味がないのです。
といって、「正論の空気」を受け入れるわけでもありません。両方を「俯瞰的に」見渡したい。そのためには、便宜上というか、暫定的にというか、より普遍的・常識的な「正論」からは遠い、異端論に肩入れすることが多くなります。
「正論」と「陰謀論」のどちらを選ぶか。かつての(スプーン曲げに象徴される)超能力礼賛や、僕の嫌いなローリング・ストーンズ誌(毎度の注訳:ザ・ローリング・ストーンズは大好きです)的“カウンター・カルチャーこそ正しい的”価値観は、もはや(別の)「正論」になっている(いた)ので、それには組しません。けれども、「陰謀論」のもつ「力」が、胡散臭い「陰謀論」としてのレベルで存在している限り、そちらを支持します。
結局のところ、僕の場合、自分が立つ軸足が、行ったり来たりすることにもなるわけです。仮に自分の意見が全面的に受け入れられたりしたら、自らそれを否定する側に回る、といった「変節」です(笑)。常に動いている、と言う事自体が、確固たる不変の信念、みたいな(生物界に於いての「動き続ける極相」の概念と軌を一にします)。
さて、この方は、図書館が入口で、「陰謀論」という「間違った世界」に入って行ってしまった。そして、ご主人ら、(まともな人達の)尽力で、その世界から「正しい」世界に戻ってくることが出来た。
逆かも知れんですよ。
光と影を入れ替えれば、せっかく入った(=抜け出した)世界から、再び迷い込んでしまったのかも知れない。戻った「正しい」世界は、実はとんでもない世界なのかも知れない。究極のホラーです。
図書館でいろんな異端の意見を調べた。それで「陰謀論」に行きついたことの是非はさておき、自分の力で学ぼうとしたわけです。そして、「正しい」世界から見れば、危険な「洗脳」に導かれていくハメになった。
「正しい世界」からすれば、「学ぶ」とは、あくまで「正当な教育」によって為されるものであると。巨大な洗脳ですね。何度も繰り返して言うけれど、正義は悪の根源です。
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17歳の東大君。彼が将来万が一合格進学して医師とかになっていたら、取り返しのつかないことになっていたかも知れない。結果論として(大事件にはならなかった)今回の事件で、芽を摘むことが出来て良かった。もっとも、こんな奴が東大に合格して、立派な医者に成れるわけがない、、、というのが、ヤフコメ民(大衆)の総意みたいですね。
違いますよ。「進学して立派な医者に成っている」人たちの少なからずは、こいつと50歩100歩だと思います。「成功者」であるぶん、こいつより始末が悪いです。
コロナに於いて、医療逼迫を救え、とか云々、医学が正義の象徴に祭り上げられている。個人的に言わせて貰えれば(別に僻み妬みと受け取られても良いです)くそくらえ!です。「コロナと戦っている立派な医者」そんなのは、諸悪の根源なのかも知れんです。
追記:僕の主治医(福生の病院のF女医)とか、東青梅のK医院のK老先生(朝早くから夜遅くまで膨大な数の老人を一人で診察し続けている)とか、僕は知らない人だけれど、安倍さんの奥さんの主治医の「コロナを愛したらその瞬間に消え去る」と言った鎌倉の先生とか、本当に立派なお医者さんもいます。
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ジョコさんのこと。
問題の根源自体が“Comme si”なんですね。
“道徳的に”云々、で済ますことなんて出来やしない。
謂わば「確信犯」なわけで。。。“コロナ問題”の“問題の根源”に対して、否定している、と言う事です。
世論は「正論に応じて足並みを揃えるべき」という事なんでしょうけれど、その「正論」を「正論」とは思っていないのだとしたら、それに対抗するのは、自由なのじゃないでしょうか?
「自由にも限度がある」の意見もよく分かりますよ。でも、その意見を認めるとすれば、結局は(その人たちが忌み嫌う)中国共産党の姿勢と同じである、ということに気付かないんでしょうか。