冬らしくなってきましたね。
風邪をひくと長引くので、うつされないように注意しなくてはなりません(鬼門は病院と銭湯でしょうか)。
寒さ自体には平気なんですよ。
メディアや人々は、気温が1度上がり下がりするたびに、服装をこうしなさい、ああしなさい、と言います。
僕には滑稽としか思えないのですが、僕のほうがおかしいんでしょうかね。
未だに夏と同じ黒いTシャツ1枚で過ごしています。
100円ショップで売っていたのですが、去年から販売を停止しているので、手元に残った1枚を、ブリーフともども毎晩洗って(右手が使えないため結構苦労する)、朝に乾かして着ています。
清潔にしているつもりだし、とやかく言われる覚えはありません。
本人は別に寒いとは思っていません。僕の衣替えは年に2回、初冬と晩春。厳冬期には7~8年前にスーリンに買ってもらったジャケットを着ています。
それで僕としては何ら問題はないのですけれど、世間はおかしいと言います。おかしいのは世間のほうだと思うんですけれどね。
だって昔は、こまめに着かえたりはしていなかったし、僕の知る限り国外の人は日本人みたくデリケートに服装かえたりしていません。
今の日本人は精神的に贅沢になりすぎで、なおかつそれを正当付ける無意識同調空気が拍車をかけていく。
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兵庫県の一連の斎藤さん問題は、香港デモのデジャブです。
僕は元はと言えば、中国大嫌い、香港大好き人間だったのです。
民度の高低は比較にならない(むろん中国が下)。
しかしデモの実態を知るにつれ、想いが変わってきました。
正義(民主主義)の名のもとに他(権力者の既得権)を徹底排除する、なに、自分たちこそ既得権にしがみつく、わがままな集団洗脳に他ならないのです。
理念は正しくても、現象は間違っている。
今回の兵庫知事選については、既存メディアの姿勢に批判的な立場をとってきました。でもって、まさかの斎藤さん復活劇に対しては、もろ手を挙げて喜んでいます。既存メディアに問題を突きつけた、非常に大きな意義があると思います。
しかし、自分たちこそが真実に則った正義であり、対する側を全面否定する、となれば、話は違ってくる。同じ穴のムジナですね。
SNSで為された、特定の意見をただ信じて、集団で作り上げた“空気”を肯定する、、、、ひたすら気持ちが悪いし、恐ろしい。
>既存のメディアに騙されず、SNSをチェックして真実を知ることが大事。
↑少数派を気取る、その実「金太郎飴的」な見解がネットに溢れている。
>一番重要なのは何が正しいかを判断する力を養うことだと思います。
↑違いますね。
“判断する力を養う(教育)”は、洗脳にほかなりません。
大事なのは、正しいか否かに基づくことではなく、何をどのように取り組むかであり、そこに 正否の答えを持ち込む余地はないのです。
そう思いながらTVを眺めていたら、ベイスターズの南場オーナーのインタビューをしていました。レギュラーシーズン3位からポストシーズンを勝ち上がって(それに対する批判は前に記しました)日本一に。本命の高市氏に勝った石破氏。ハリス氏に予想外の圧勝のトランプ氏、稲村氏にまさかの逆転勝利の斎藤氏。どれも予期をしていなかった意外な結果で、それ自体は胸のすく思いです(その後の展開は別問題として)。ちなみに、偶然どれも女性対男性(南場さんだけ勝者、ほか3人は敗者)。
その南場オーナーの談話。
>2つの戦略のどちらを選ぼうか迷っているとき、どちらを選ぶかは重要な問題ではない、迷うぐらいだから、どちらも良い戦略なのだ。どちらを選んでもよい。選んだあと、どう取り組むか。
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そのほかのニュースから。
>正義の実現より、戦争終結を優先する:トランプ談。
>“力による平和”こそ、正義に基づく平和を現実的に近づける:ゼレンスキー談。
専門家、とやらの談。
>公正で恒久的な正義を目指すゼレンスキー。
>一方的な侵略を続けるプーチン。
一方的と一方的に決めつけることこそ一方的だと思うんですけれどね。
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靖国神社に落書きした中国人少年を指名手配。
まあ、とんでもないやつです。さすがの僕も、これに関しては弁護の余地もありません。でっかいお灸を添えて当然。
で、思うのですが、
同じ落書きでも、バンクシーはこぞって賞賛され、莫大な金額で取引される。誰か、その正当性について教えてくれる人はいないでしょうか。僕はバカだから、さっぱりわからんのです。