少々大袈裟な表現で言えば、日本の、人類の今後を占う、エポット・メイキング的な選挙になると思います(トランプさんの時とも共通)。
“空気”と“カオス”の戦いです。
この一年間、斎藤氏めぐる案件は、勧善懲悪の(実質的バラエティに等しいニュース番組を始めとした)メディアの下で、異常なほど取り挙げられ続けてきました。正義が悪をやっつける。しかし、善と悪の立ち位置が曖昧になりだしたとたん、メディアは一斉に沈黙。
姫路や尼崎の駅前に3000人を超す聴衆が集まり、ネットでの異様な盛り上がり、、、という現実に一切触れるのをやめて、全てを「陰謀論」で封じ込めてしまおうとする。それがどれだけ恐ろしい事なのか、考えてみたことがありますか?
僕は、この問題が発生してからの一年近く、ずっと注目し続けてきました。誰よりも関心を持っていた一人だと思っています。しかし余りにもデリケートな問題ですし、いろんな理由もあって、触れるのを控えてきたのです。いよいよ明日結果が出ます。
僕は斎藤氏を支持していません。ポリシーが全く異なるし、そのほか幾つも理由があります。僕の理念とか政策なら、共産党とほぼ一致するのですが、共産党を支持する気持ちは全くない(うまく説明できないのですけれど、そのことにすべて集約されていると思います)。
ちなみに、斎藤氏は須磨の出身なので、幼少期10年近くを須磨の幼稚園・小学校で過ごした僕としては親近感を感じざるを得ません。
繰り返し言うと、僕は選挙制度そのものに対して反対です。その僕が、今回の選挙を最大限の関心をもって見ている。僕の人生の中で、唯一絶後と言って良い。そして今回に関しては、斎藤氏に勝ってほしいと心から願っているのです(幸い兵庫に住民票がないので外野が許される、笑)。
もし斎藤氏が当選したならば、天地異変、メディアがどのような態度を示すのか興味深々なのですが、あれほど大騒ぎしたコロナを無かったことにしてしまっているメディア・国民ですから、何事もなかったようにスルーしてしまうのかも知れません。
既得権と民意の戦い。空気とカオスの戦い。もっとも、既得権と民意は本来一体をなしています。空気とカオスも同根です。動いているか安定かの違い(僕が常に問題提起し続けている植物生態学に於ける「動き続ける極相」の概念とも共通)。現在の流れの断面が対極に示されているだけで、いつでも、いとも簡単に入れ替わる可能性があります。
トランプ大統領再選が生み出したカオス、斎藤知事再選が生み出すカオス。“もしトラ”ならぬ、“まさサイ”となれば、マスメディアや大衆の御旗は崩壊してしまいます。今はそれ(カタルシス、あるいは鉄槌)こそが必要なのだと思います。その後のことは改めて考えればよいのです。
この問題が勃発して以来の一連のメディアの報道が、どれだけ醜かったか。何が正しくて、何が間違っているか、という話ではありません。正義が悪を弾圧するオンパレード。それをショーとして展開してきた。極悪人斎藤に対して、(可哀そうな)兵庫県民はなぜリコール運動を行わないのか、と。僕も斎藤氏は悪人だと今でも思っていますよ(笑)。でも、そんな単純な話ではないのです。メディアや大衆は、自分たちが裸で踊っていることに気が付いていない(そして他者の裸を嘲笑する)。
中国に行きだした1980年代のこと。死刑囚を車に乗せ晒しものにし、傍らでふんぞり返る役人、そのような光景に街中で何度も出会いました。なんて野蛮な民族なんだ、と大方の日本人は思っているわけですが、自分たちも全く同じことをしていることに気づいていない。正義は悪に対して何をしても許されると(香港デモのシチュエーションが正にそれ)。
100かゼロか。善か悪か。真実か虚偽か。そうではない俯瞰的な立脚点に、人々はなぜ立てないのでしょうか?
今ネットでは、“まさサイ”になりつつある現状に、それを受け入れる声が大多数を占めています。既存メディアの許にある穏健派(既得権必守側)は、それを「陰謀論」として無視を決め込んでいる。どちらに対しても眉を顰める思いはあるのですが、今現在に対しては、“まさサイ”に期待をかけています。空気をカオスに。
ネットニュースのコメントについて幾つかピックアップしておきます。現状を極めて冷静に捉えている方もいます。この方のコメントは秀逸だったのでコピーしておこうと思ったのですが、一度閉じてしまったら次に見つけ出せないでいるので、要旨だけを記しておきます。
>自分は斎藤氏支持ではない。したがって自分に近い考えの別の候補者に投票する。斎藤氏を支持する人を否定するつもりはない。自信をもって投票すればよい。その当たり前のことを当たり前でなくしてしまっているメディアの罪は大きい。それを白日の下に示している現在の状況(斎藤フィーバー)は今後の転換点たりうる非常に大きな意味を持つと思う。
↓tanteremさん。
>私の周りは、家族も含めこの話題タブーになってます。この話は振ってきて欲しくない。 誰を支持するか口にするのを憚られるくらい意見が割れているし、斎藤さんを支持する側も毛嫌いする側も過激な人は本当に過激。普段は良い付き合いをしている方でも(良い付き合いをしているからこそ?)、この話題はちょっとって感じすらしている。SNSでも罵り合いが流れてくるし、どうやら街では喧嘩や警察沙汰も起きているとか… 静かにうんざりしている人、多いんじゃないかな。粛々と自分が思う方に投票しようと思いますが、どっちが勝ってもしばらく引きずりそうだしな…いやだな。
↑多くの人々の素直な気持ちではないかと思われます。その気持ちはとてもよくわかるのですが、、、僕はこの方の立ち位置には組することができません。
↓npvさん。
>斎藤さんを擁護する人たちは、告発を行った元県民局長を悪者にしようとしています。 仮に元県民局長が非難に値する行為をしていたとしても、だからといって、斎藤さんが「正義の側に立つ者」になるわけではありません。「裁かれるべき種類の異なる悪」がそれぞれに存在しているだけです。「対立する二者のうちの一者を悪(あく)にすれば自動的にもう一方が正義になる」というとても単純な構図にしてしまっている人の多さに驚きます。最初に告発がなされた段階で斎藤さんが「ごめんなさい」と言えばよかったのに、告発者探しという重大な違法行為をしてしまったことこそが、この数か月に及ぶ騒動の核心部分です。
↑ネット上では総スカンを食っています。でも、問題がここから始まっている、ということも(ひとつの)確かな事なのです。
全ての物事について言えることでしょうけれど、県政、ことに兵庫の場合、背後には理念や善悪の所在とは別の次元で、簡単に答えを下すことが出来ぬ、いかに複雑な状況が絡み合っていることか、想像にしくはありません(そのさらに背後には大衆がいる)。ある意味、斎藤氏も故・渡瀬氏も、(善悪とは別次元で)その流れの中に巻き込まれた被害者なのかも知れません。
斎藤氏は亡くなった渡瀬氏らに対して一言でも哀悼の意を表し、そのうえで自分の意思・持論を貫いていくべきだったと僕は思うのですが、現実問題として両立は困難なのかも知れません。それが為された瞬間、先に進む道は閉ざされる。敢えて一方を選択し突破するしかないのでしょう。大谷君・一平氏と同じ構図です(白鵬は敢えてもう一方、いわば泣き寝入りを選んだ、そのことについてはまたの機会に)。
↓倉田真由美氏。結局、僕の心情に近いのは、このあたりなのかも知れません。
>兵庫県知事選、あまりにも真逆の情報が飛び交っていて、これがどう実際の選挙に影響するのか固唾を飲んで見守っている。
>天動説と地動説くらい違う。
>さまざまな情報が流れる選挙戦の行方に注目している。
何度でも言います。
『事実は一つではない』
蝶の系統分類から導かれた、僕の結論です。
いかに素晴らしく優れた業績であっても、一つと決めつけたとたんに、屑同然となってしまう。たとえ、斎藤氏よりもメディアの考えが正しいとしても、それを決めつけた時点で、“正しさ”は霧散してしまう。
斎藤氏、あるいは故・渡瀬氏らのどちらが正しいか間違っているかということではない、別次元の問題なのです。なのに、メディアや大衆は、異論を空気同調の下、恥ずかしげもなく「陰謀論」として抹殺し続ける。
↓是非はともかく、これが現状。
sakuragotixさん
>テレビではサンテレビ以外全く報道しませんが、連日齋藤さんの演説は三宮、西宮、加古川などだけでなく、加東市や丹波市でもものすごい聴衆の数でした。これを報道しない他のテレビ局と新聞は明らかにおかしい。これがこの騒動の根本も物語っています。
Mldさん
>投開票まであと4日なのに、マスコミが一切報道してないのは不自然すぎる。あれだけ叩いて騒いでいたのに、斉藤氏当選ならどのように報じるつもりのだろうか。
予測できたこと(もとより県民はリコールなどする気はなかった)なのですが、メディアや「専門家」には、そのことが分からず、いつまでも悪善二極論にのっとって、答えを押し付けようとしてきた。
香港、コロナ、ウクライナ、、、。同じ構図の繰り返し。
人類は、空気とカオスの戦いに突入します。