読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*毎回(リンドウの項目奇数回)のブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けることにします。
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コロナの問題は、
『それによって人類に齎される脅威が、(他の脅威から飛び抜けて)特別なものであるのか』
『他の様々な脅威もまた「脅威」には違いなく、コロナもそれらの一つである、と見做すのか』
という点に尽きるのだと思います。
仮に、前者の立場を採るとしましょう。
マスクで防御する(実態は顔を隠す)。それも一つの手段ですね。まだ三密回避のほうがずっと意味があると思うのですが、正義の民は皆「マスク命」なので、何を言っても仕方がない、従うしかないのです。
でも、他にも「脅威」の侵入経路が数多く(ある意味無数に)あることは、皆知っているはずです。「マスクで飛沫を防御する」絶対的な必要性があるならば、例えば、触れるもの全てに、脅威のウイルスが付着しているかも知れないわけで、それに対しての防御にも、絶対的な必要性を持って対せねばならないはずです。
そんなことはしてないですね。森鴎外が饅頭に熱湯をかけて食べた(泉鏡花とかも似たようなことやっていた)という話になってきます(少なくとも鴎外はルーチンとしてのパフォーマンス、そんなことで全ての菌やウイルスが防げるとは考えていなかったと思う)。
マスク必着と同レベルで注意を払わねばならぬのだったら、たぶん、何処にも出かけられないし、どんな作業も出来なくなってしまうでしょう(そのうち、食品とかにも、いろんな「脅威の源」が判明して、何も食べられなくなってしまいます)。
それでも一応の体裁上、公共スペースではアルコール消毒必須とか、検温義務とか、やっていますね。
滑稽なのは、トイレの紙。どこのカフェやレストランやそのほかの施設でも同様です。ほぼ必ずと言ってもいいぐらい、丁寧に「先端三角折」にしている。これ、本気で「脅威からの防御」を考えるのならば、一番危ないことでしょうが。
日本人の「おもいやり」「おもてなし」「正義の味方」「付和雷同」「ルール厳守」「リスク回避」「潔癖」「善意」「親切心」等々の「美徳」によって介在される、「無意識強要同調空気」の実態が、如実に表れている、と思います。