場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

鄒凱選手のこと その1

2015年02月25日 | スポーツ

私が一番好きな体操選手は、中国の鄒凱選手。他にも好きな選手は何人もいるけど、鄒凱選手は特別に好き。
その鄒凱選手について、気持ち悪い語りを始めてみる。

まずは基本情報から。
生年月日は1988年2月25日。四川省出身。身長は158cmくらい。
得意種目は床と鉄棒。苦手種目は吊り輪。ニックネームは小眯(シャオミー?)。

名前の呼び方はメディアによって異なっているので、人によっては混乱するかもしれない。
日本語読みなら、すうがい。NHKはこの日本語読み方式を採用しているようだ。ネットでもスーガイという表記をよく見る。
アルファベット表記ならZou Kai。
フジさんはズーカイと呼んでいた。これは英語風の読み方なのかな? 中国語読みとも全然違っていて、かなり違和感がある。
私は中国語読みに近いゾウカイと呼んでいる。ツォウカイのほうがより本来の読みに近いのかもしれないけど、なんだか言いにくいので。
内村選手もゾウカイ呼びみたいね。インタビュー映像でそう呼んでるのを見たことがある。

オリンピックは北京、ロンドンと連続出場。
北京では団体・床・鉄棒、ロンドンでは団体・床と計5個のオリンピック金メダルを持っている。ついでに銅メダル(鉄棒)も1個。この数字は現役の男子選手の中では多分ダントツ。あの内村選手ですら金メダルは1個(ロンドンオリンピックの個人総合)だから。

私が鄒凱選手の存在を初めて知ったのは2008年、北京オリンピックのとき。
それより前の世界選手権にも出ていたはずだけど、なぜか鄒凱選手のことは記憶にない。あまり活躍していなかったから存在に気づかなかった?
鄒凱選手を好きになる前、私が一番好きだったのは水鳥選手。北京オリンピックの日本代表が決まったとき、水鳥選手が落選したことが大ショックで、テンションだだ下がりだった。
そんなオリンピックで、どう見ても子供にしか見えない、20歳の体操選手を見た。それが鄒凱選手。そのありえないくらいの童顔ぶりと、体操選手とは思えない線の細さにときめいてしまって、すぐに好きになった。演技が気に入ったからとかじゃなくて、不純な理由でアレなんだけど。

そのとき、なんでこの子は外国人なんだろうと思った。もし日本人なら、テレビで見られる機会ももっと多かったのにって。
オリンピックが終わって、物足りなくてYoutubeでいろいろ検索してみた。そこで鄒凱の動画をたくさん見つけた。演技だけじゃなくて、バラエティ番組に出て喋っていたりするのもいろいろ。何言ってるのかはさっぱりだったけど、嬉しかった。
最初はちょっといいなと思う程度だったんだけど、いろいろ動画を見たり情報を集めているうちに、ズブズブとはまっていってしまった。

私が鄒凱にとても惹かれている理由は、見た目以外にもうひとつある。それは得意不得意がはっきりしていること。私はオールラウンダーより断然スペシャリストが好きだ。あとは、パワー系があまり好きでないので、吊り輪は得意でない方が好ましい。だからなんでもこなせる内村より、腕力なくて吊り輪がダメダメな鄒凱派。「吊り輪がダメダメ」って部分は少し想像も入ってるけど、多分事実。だって予選ですら吊り輪の演技を実施しないし、他の選手より腕細いし。

鄒凱を好きになってから変わったことは、海外のアスリートを日本選手以上に応援することになんの抵抗もなくなったこと。それまでは、日本人を応援するのが当然、という気持ちが多少なりともあったし、そもそも日本選手以上に好きな海外選手なんて一人もいなかった。スポーツを見るときは、日本人が勝つかっていうのが一番大事だと思っていた気がする。
でも、それとは違う見方もあるんだってことに気がついた。

(書き上げてから気づいたんだけど、今日は鄒凱の27歳の誕生日だったのね。すごい偶然だ。)


親日という言葉

2015年02月15日 | 政治・社会

最近、「親日」という言葉がものすごく気持ち悪く感じられるようになった。

少し前に本屋の店頭で見た本のタイトル。
「中韓以外、みーんな親日」「イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか」「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」。

中身を見るまでもなく、タイトルだけで目眩がしてくる。
日本は世界で一番人気あったんだへ~え。ちっとも存じ上げませんでした。

あと、日本を異常に持ち上げるテレビ番組が最近顕著に増えた。自画自賛みたいで痛々しさしか感じない。
日本人だからといって日本=自分じゃないんだからさあ。日本の技術がすごかろうが、立派な日本人がたくさんいようが、その人自身が立派になるわけじゃないんだから。

日本人が思うほど、外国人は日本のことなんか気にしちゃいないよ。
どこかの国のアンケートでは、「日本人」と聞いて一番先に思い浮かぶ人物として一番多く挙げられていたのがジャッキー・チェンだった。また別の国では、小学生に日本について知っていることを訊いて「中国人がたくさんいる国」と答えられたりしていた。
その程度だよ、日本に対する外国人の認識なんて。日本と地理的に近い国はそんなことないけどね。よく「反日」と言われている中国や韓国だけど、日本のことをよく知っていて本気で好きな人の割合は、西洋やアラブ諸国やアフリカ諸国よりずっと多いと思うよ。

「親日国」としてよく挙げられる、台湾とトルコ。
台湾は、実は日本のことを嫌っている人も意外に多いみたい。日本がかつて植民地にしていた国だし、そりゃそうだよね。
トルコは、そもそも日本に関心のある人なんてそう多くはなさそうな気がするんだけど、どうなんだろう。日本人が親トルコかって言ったらそうでもない、よく知らない国でしょ。向こうも同じなんじゃないかな。
私は外国の文化を紹介するテレビ番組が好きなんだけど、この手の番組がトルコを扱っているときは、結構な確率で地雷にぶち当たる。エルトゥールル号の話とか、トルコ人は親日だという話が必ず出てきて本当にうんざりする。トルコの文化について知りたいのに、日本がトルコになにをしてあげたか、トルコ人がいかに日本を好きかの話に終始して、肝心のトルコの生活や文化についての情報が皆無だったこともあったな。

あと、東南アジアの国々も親日扱いされることがとても多い気がする。
私は一部日本人の東南アジアに対するなめくさった態度が大嫌い。中国・韓国に対する態度よりも。日本を無条件に崇めてくれる下僕みたいに思っていたりするじゃない。中国・韓国に対しては、表面上バカにしつつも実は割と対等に見ている気がしないこともないんだよね。本気で格下だと思う相手に強い対抗意識なんか持たないと思うし。

白人の支配から解放してやった? ふざけんな。彼らは必死に戦って血を流して、自分の力で独立を勝ち取ったんだよ。
日本だって東南アジアを植民地支配したじゃない。欧米諸国と全く変わらないよ。日本の支配は欧米諸国と違って寛大で、東南アジアの人たちは喜んで受け入れてた、みたいに思ってるのかもしれないけどさ。シンガポールの血債の塔の話を知らないのかな?
シンガポールやマレーシアでの華人虐殺については、彼らは中国人だから悪い奴で、殺されても当然みたいな意見を何回か見て仰天したことがあったな。この手の人たちは、なにがなんでも日本軍は常に正義、間違ったことなんて何一つしていないってことにしないと気がすまないのね。そう信じこむためなら、平気で被害者を悪者に仕立て上げる。閔妃なんかもそうだよね。

「○○は親日国だから好き」なんて言っている人をみると、いつもモヤモヤする。親日じゃなかったら好きじゃないわけだよね。ある国が好きかどうかは、その国が親日かどうかで決まるんだよね。
例えば私はマレーシアが好きだけど、マレーシアの人たちが親日かどうかなんて死ぬほどどうでもいい。たとえ日本嫌いな人が多かったとしても、そんなの関係なく私はマレーシアが好きだ。

「○○の人たちは親日なので日本人に親切にしてくれます」っていう言葉もよく耳にする。でも、それっていいことなんだろうか。「親日」だから親切にしてくれるより、自分に好意を持ってくれたから、とかその人が親切な人だからってほうが嬉しいけどな。相手の国籍によって態度を変えるような人なんてろくなもんじゃないと思うけど。

「親日の人」は大概の国にいると思う。数が多いかどうかは別として。でも「親日の国」なんて存在しないよ。国家間は利害関係で成り立っているんだから。いついかなるときも味方なんてことは基本的にない。日本政府のアメリカに対する態度はちょっとそんな感じがしないでもないけど。
敵か味方か、善か悪かの二元論に分けられるほど世界は単純じゃない。


少女を恋愛対象にするおっさんは、やっぱりどうかと思う

2015年02月08日 | ジェンダー・家族等

三船美佳と高橋ジョージに関する報道を見たとき、二人の年齢差以上に、結婚したとき三船美佳がまだ16歳だったという事実が私にはおぞましく感じられた。
驚いたのは、私の両親の反応。中年男が16歳の少女と結婚するということに何の問題も感じていないらしく、年齢なんて関係ない、偏見を持っている私のほうがおかしいんだと諭されてしまった。

いや、年齢は関係大ありだろうよ。

どうしてわからないんだろう。16歳はまだ子供だよ。そういう少女を恋愛や性の対象にしようとする成人男性はまともじゃないよ。
高校生は大人びて見えても、やっぱり中身は幼い。対等なパートナーを求めている人はまず選ばない相手だ。敢えて高校生を選ぶような大人は、見た目が美しければ中身はどうでもよくて、女性をお飾りみたいに考えているか、相手を支配したい、自分の思い通りに動かしたいという欲望を抱いているかのどちらかである可能性が高いと思う。

大人と子供だと、どうしても歪な上下関係ができる。たとえ精神年齢が低くても大人の方が経験豊富だから、うまいこと言いくるめて自分に従わせることができる。報道が正しいとするならこの二人の関係もそうだったみたいで、洗脳して無力感を植え付けていたようだ。

父は「10代半ばの女性が成人男性と結婚することなんて、昔は普通だった」とも言っていた。この発言には心底ガッカリさせられた。ロリコンが自分を正当化しようとするときの典型的な言葉が、よりによって自分の親から出てくるなんて。
10代で結婚する女性が多かった頃は、男性だって若くして結婚していたんだけどね。おじさんが少女と結婚するケースなんて、一部の権力者だけ。

娘を持つ親なら少女をターゲットにするおじさんのおぞましさがわかる、結婚しようとしたら反対してくれる、とよく言われている。でもどうやら、私の両親は違うみたいだ。
もし私が子供の頃、そんなおじさんに引っかかったとしても、守ってはくれなかっただろう。一見善良そうな感じの人だったら、大歓迎されただろうな。

両親がここまでロリコンに寛容なのは、自分たちが年の差夫婦だから、ということも関係がありそう。父は母よりも15歳も年上で、それでもうまくやっている。
それは結構なことだけど、私にまで年の差婚させたくて仕方がないようなのがとても困る。

母は30歳近い私と同年代の人を子供と呼び、私には「大人の人」のほうが合っていると勝手に断定する。一回りも年上の人との見合いを「ちょうどいい年齢だから」と勧められたこともあった。私の結婚相手は「70歳未満ならOK」なんだとか。69歳? 嫌だよそんなじいさん。
私はもともと年上嫌いで、5歳でも上だともう「生理的に無理」と感じてしまう。そのうえ両親のこういう押しつけがあるから、よけいに年の差婚を良く思えなくなってしまった。


「美少女戦士セーラームーン」(漫画版)への違和感

2015年02月02日 | 漫画・アニメ

「美少女戦士セーラームーン」という漫画について。子供の頃、この漫画を結構楽しんで見てはいた。でも言いようのないモヤモヤをずっと感じていた。アニメ版に対しては、登場人物に妙にロリコンが多い点以外には特に文句はない。違和感があったのは主に漫画版。
完結してからもう大分経っているけど、昔自分が違和感を抱いていたポイントについて書いてみる。

一つ目。度が過ぎた主人公至上主義。

主人公至上主義という現象自体は、フィクションではよくあることだと思う。だけどこの漫画のはちょっと耐えられないレベル。主人公さえ良ければそれでいいっていう考えが作品全体に貫かれている感じがして。他の人間がうさぎの幸せのために犠牲になっているように見えるんだ。特にうさぎを守護する四戦士。

四人には自分の人生がない。うさぎのためだけに生きて、うさぎに全てを捧げていて、恋人ができるのもうさぎだけ。
もちろん恋人がいる=幸せでもないし、恋愛至上主義には反対だけど、特に美奈子やまことの場合、本当はそういう願望があるのにうさぎのために諦めてるような感じがして切なくなる。
そして、四人ともそういう状態を自分で肯定している。ほとんど反発はしていない。でもそれが刷り込みのように思えて、なんだか気持ち悪くて。

お姫様とその家来たちだったのは前世のことで、今はうさぎだって一般人のはず。なのに前世に存在していた身分制をずっと引きずっている。そもそも私は子供の頃から王子様とか王女様とかに全く憧れないどころか「ケッ!」と思ってたから、余計にこういうものに反発を感じるのかもしれない。
人は生まれながらに平等なんだ、実際そうじゃなくてもそうあるのが理想なんだと思ってるから、身分制を全肯定されるようなストーリーは好きになれない。しかも共和制のはずの現代日本にまでそういうものを持ち込まれるのがね。

作者が思い入れを込めて特別扱いすればするほど、読んでいる自分の心は主人公から離れていった。
最後には不老不死になって、地球くらいなら軽く破壊できるくらいのすごい力を持って。感情移入できないよそんな主人公。

二つ目。ディストピアにしか見えない未来世界。木も生えない殺風景な都市がまず薄ら寒くて怖い。

うさぎは22歳で女王に即位したらしいんだけど、この共和制の国でどうして突然そんなことが出来たんだろう。これってつまり世界征服だよね。地球を乗っ取って支配したわけだよね。悪役と何が違うんだ?

ブラック・ムーン編は主人公側よりも敵側の方が真っ当に思える。
たしか、不自然な不老長寿の世界と月の一族の支配に反発したために地球から遠い、暗い星に追放された人たちがいて、彼らはその子孫なんだよね。
自分の意見に反対する者を追放って、それ完全に悪役だよ。独裁者だよ。恨まれて当然だ。でもその自覚は全くなくて、自分は正義の側だと思っているのが怖い。

「ネオ・クイーン・セレニティはクリスタルパレスの外に出たことがほとんどない」って言及されているところもどこかにあって、嫌な女王様だなという印象が尚更強まった。自分だけの世界に閉じこもって、国民のことなんか見ようともしない利己的な女王様。
そしてうさぎの家族はどうなったんだろう。夫と子供のことはわかったけど、両親と弟は? それまでいた友達は? 温かい家庭に育って家族との仲も良好だったのに、未来世界では影も形もない。一緒に暮らしているようには見えないし。

納得いかなさすぎていろいろ妄想してしまう。第2部の敵がネオ・クイーン・セレニティとキングだったら、とか。
敵は力を持ちすぎて支配欲の塊になってしまった未来の自分で、ブラック・ムーンと力を合わせてそれを倒す、なんて展開も結構面白そうだと思う。


被害者を追い詰める日本の空気

2015年02月01日 | 政治・社会

後藤さんが、どうやら殺害されてしまったらしい。
とても残念だ。せめてムアーズ・カサースベ中尉は無事でいてほしい。それも難しいかもしれないけど。

そして湯川さん、後藤さんのご家族を中傷したり非難したりするのはやめてほしいな。そっとしておいてほしい。この間も湯川さんのお父さんが謝罪してたけど、被害者が謝罪しなきゃならない社会なんておかしいよ。

こういうとき、被害者を「迷惑」だと言って追い詰めるような空気は確実に日本に存在する。私の職場にも、そういう人たちはいる。

昼休みに、私の近くの席にいる二人がこの話をしていた。無駄に声が大きいので、聞きたくなくても耳に入ってきた。
笑いながら後藤さんのことを「バカだね~」と言っていて、それだけで十分不快だったんだけど「覚悟して言ったくせにまだ生きようとするなんて図々しい、さっさと死ねばいいのに」とか「迷惑だ」などと言っていた。
ネットじゃなくて現実世界で堂々とこんなことを言う人がいるんだ、と驚いた。危険だとわかって行ったんだから自分が悪い、仕方ないくらいのことを言う人ならよくいるけど、そこまで言うのはいくらこの国でも普通じゃない。
大体、なにが迷惑なのか。なにも影響されずにぬくぬくと生きてるくせに。
もともと好感を持っていなかった人たちだけど、今後もこの二人には関わらないようにしようと固く決意した。

デヴィ夫人が後藤さんに「自決してほしい」とブログに書いていたのも見た。後藤さんは日本や、 ヨルダン、 関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていて、母親は謝罪するべきだとも。そして昔の自分がいかに勇敢だったか、という自慢めいたことも書いていて、本当に下品だと思った。

だったらあなたはなんでまだ生きてるの? インドネシアの人たちに迷惑をかけたという自覚はないの? インドネシア国民から搾取したお金でさんざん贅沢をして。インドネシアを捨てて逃げ帰って。
もしかして、後藤さんは庶民で自分は大統領の妻だから命の価値が違うとでも思ってるの?

そしてデヴィ夫人ブログの内容自体よりももっと残念なのは、こんな意見を「正論だ」と言って褒め称える人が少なくなかったこと。基本実名のFBでも、「いいね」した人が1万人以上いたとか。

安倍総理を批判することに対する、一部の人たちの拒否反応の強さも気になる。
今は非常事態だからそんなことを言うべきでない? 第二次世界大戦中みたいな翼賛体制がお望みなのかな?
安倍は人質救出のために全力を尽くしたと言っていたけど、私はそれは相当怪しいと思っている。無駄に相手を刺激するようなこともしていたし、安倍の責任は大きい。
権力に対する批判は必要だよ。黙認すると暴走するから。


(追記)
ムアーズ・カサースベ中尉も殺害されていたみたいね。それも随分前に。
殺害方法を聞いて、とてもショックだった。動画は結構出回ってるらしいけど絶対に見ない。
こんなふうに人の命を弄んで、酷い奴らだと思うよ。
でも、一番悪いのは彼らだという理屈で日本政府への批判を封じ込めるのは、やっぱり間違ってる。