少し前にエドワード・サイードの「イスラム報道」を読んだ。メディアがイスラムについての偏見を助長するような報道を繰り返していること、メディアの姿勢がそうなので報道すればするほどイスラムについての誤解が広まっていくことなどが語られていた。他の宗教と異なり、イスラム教についてはろくな知識もない人間がもっともらしく記事を書いたり語ったりすることが許されていることなども。
サイードが書いているのは主にアメリカ(+ヨーロッパ)の事例だろうが、日本もそう変わらないな、と思った。多分アメリカの影響を強く受けているからだろう。イスラム教に限らず、例えば中国などに対しても反中感情を煽るような報道ばかりが見られる。
日本の報道に関して言えば、中国に関しては昔と比べてひどくなる一方のように感じるが、イスラムについては昔に比べれば多少は落ち着いてきたかな、とは思う。今がマシというよりは昔が本当にひどかっただけだが。
20年くらい前だったかな、なにかのニュース番組でコメンテーターがイスラム教徒全体をテロリスト予備軍扱いするような発言をしていて、それに誰も異論を唱えなかったのを見た。かなり前だけどそのときのことは酷すぎて忘れられない、そいつの名前を覚えておけばよかった。
さすがに今だったらあれは炎上すると思う。そうであってほしい。
最近はイスラム教徒=テロリストみたいな物言いは流石に差別だと認識する人が大半になったとは思うし、報道によってイスラム嫌悪が煽られる頻度も減ってはいる。でも依然としてイスラム教徒に対する強い偏見は存在している。
イスラム教徒は保守的で後進的で女性差別的で性的少数者を迫害する、というイメージを多くの人が共有しているようだ。そしてキリスト教徒はそうではないらしい。キリスト教徒の宗教右派なんてひどいもんなのに、イスラム教徒ばかり保守的な面が強調される。リベラル風の人でさえその種の偏見を躊躇なく披露する。
フェミニスト風の人も、女性差別のひどいところの代表として「イスラム国家」をすぐに持ち出してくる。具体的にどこの国かも曖昧なまま、雑に出してくる。治部れんげなんかはまさしくそういうタイプのフェミニストだ。あの人の実写版「アラジン」評を見てしまったことがあるが本当にキツかった。
イスラエルがどれだけ滅茶苦茶なことをやっても味方する人間が決して少なくない数でいるのは、こうしたイスラム教徒に対する強い偏見のせいも大いにあるだろう。そしてかれらはパレスチナ側の発表は疑う一方イスラエルの公式発表だけは鵜呑みにするということをなんの疑問もなく無意識にやっている。
まあパレスチナ人=イスラム教徒という見方も正しくないが。確かに割合としてはイスラム教徒が多いが、キリスト教徒もいて共存しているし。かつてはユダヤ教徒とも平和に共存していたのに、イスラエルのせいでそれがぶち壊されてしまった。
こうした反イスラムの観点からイスラエルを強力に擁護する代表格は、日本だと飯山陽になるのだろうか。イスラエルが大好きで、いつでも全面的にイスラエルの味方になっていて、「日本の報道はパレスチナ寄りすぎる」などと言っているらしい。こういうのがエドワード・サイードの言うところのオリエンタリストなのかもしれない。それにしたってレベルが低いが。
飯山はイスラム学者を自称しているが学会からは認められておらず、アラビア語の翻訳も間違いだらけで度々指摘を受けている。それでも日本人はイスラムについての知識も薄くアラビア語も全くわからない人が多いから(私もそうだが)、こんな輩に簡単に騙されてしまう。
決してネット右翼などではない、自民党に批判的な立場の人が「イスラム圏の女性差別はこんなにひどい」という内容の飯山のツイートをRTしているのを見てしまってがっかりさせられたは何度かある。流石に今はネット右翼以外には飯山の酷さが知れ渡って、そんな人はほぼいなくなったと信じているが。