例の病院への爆撃は、やはりイスラエルの仕業だった。イスラエル寄りのニューヨーク・タイムズですらそう結論付けざるを得なかったようだ。
まあ最初からわかっていたことではあるが。イスラエルはこんなことをずっとやってきたから。それまではそこまで批判もされてこなかった。だからいつもの調子で同じことをやったら、今回予想外に非難されたのでパレスチナ側に罪を擦り付けようとしただけ。シリーン・アブ・アクレ記者がイスラエル軍に殺されたときも、イスラエルは同じようにパレスチナ側の仕業にしようとし、すぐにその嘘がばれた。この件でイスラエルの主張に寄り添ってきたキャスターは大いに反省してほしい。
この問題の発端はイスラエルによるパレスチナの占領であることは、まず皆が共有すべきことだと思う。イスラエルの「報復」はやりすぎだがそれはそれとして諸悪の根源はハマースである、という理解をしている人は多いように感じるが、それは間違っている。あとは、イスラエルもハマースもどっちもどっち、みたいな自称中立論者。普段「リベラル」的な主張をしている人の中にすらそんな人が少なからずいる。
諸悪の根源は間違いなくイスラエルである。ハマースによる今回の攻撃は正しいとは言えないが、間違っていると声高に非難することも私にはできない。これはずっとパレスチナ人がイスラエルにやられてきたことに対する報復であり、植民地支配に対する抵抗だから。これをイスラエルの暴力と全く同じトーンで非難するのは違和感しかない。なぜかイスラエルの攻撃ばかりが「報復」と呼ばれるが、ハマースの攻撃こそ長年の抑圧に対する報復だ。
そしてパレスチナ側の暴力ばかりがメディアに「テロ」と呼ばれ、イスラエルによる虐殺が「テロ」呼ばれないのも非対称すぎる。少なくともイスラエルが「テロ国家」と呼ばるようにならなければ、「テロとの戦い」「テロ撲滅」のスローガンも虚しいだけだ。
パレスチナの苦境は日本人である私も決して無関係なことではない。なぜならこの状況に日本もずっと加担してきたから。日本はたしかにパレスチナの「支援」らしきこともしてきたかもしれない。だけどパレスチナの占領やガザの封鎖はむしろ支持する側だった。そんな日本の「支援」は、写真家の高橋美香さんの言葉を借りるなら穴の空いたバケツに水を注ぐようなもの。穴を塞ぐことはむしろ邪魔してきたのだから、日本は加害者側だ。
イスラエルによるガザへの空爆は終わらせなければならないし、地上侵攻は阻止しなければならない。でもそれだけで終わってはいけない。その先に進まなければ何も解決しない。根本的な解決がなされなければ、一度に殺される人数が減るだけで、パレスチナ人が日常的に殺されている地獄のような状況は変わらずずっと続いていくことになる。ガザの封鎖とパレスチナ占領は終わらせなければならない。
そして、その次の段階として、できればネタニヤフが逮捕され戦争犯罪人として裁かれること。「ユダヤ人国家イスラエル」が終わりをむかえること。これは、今住んでいるイスラエル人が全員去れという意味ではもちろんなく、イスラエルがユダヤ人以外も同じ権利を持った国民として扱う、自称ではなく本当の意味で民主的な国に変わってほしいということ。
パレスチナ人の国家をどうするか問題について。二国家解決しかありえないという意見の専門家もいるが、エドワード・サイードやイラン・パペは一国家解決論を唱えていた。私は部外者なのでこの件についてはこうするべき、ということは言えないが一国家解決ができればそれが一番いいのではないか、とは思っている。二国家にした場合は領土をどうするか、結局イスラエル有利な国境線が引かれてしまうのではないか、イスラエル側になってしまった土地に元いたパレスチナ人たちの子孫は結局帰還できないのではないか、という懸念もあるし。
もちろん、差別や憎しみや恨みもあるから一国家にするのは大変な困難を伴うとは思うけど。これも難しいことだが、イスラエル人は被害者意識を捨て去って自分たちが加害者側であることをきちんと認識してほしいと思う。もちろんそうしているイスラエル人もいるがまだ少数派だと思うので。
加害者側なのに被害者意識ばかりが先行している、という意味では日本人とイスラエル人って似ているな、と思う。日本の平和教育だって日本が他国を植民地支配していた事実よりも当時の日本人の苦境を伝えることが中心だったしな。