場末の雑文置き場

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シオニスト左派について

2024年10月14日 | 政治・社会
イスラエルによるパレスチナ人の虐殺に反対している人は大勢いる。日本にも、充分とは言えないが少なくはない数で存在している。
ただ、そうした人たちの中にもグラデーションがあるな、とは感じる。中にはハマースのことを簡単にテロリストと呼んでしまう人たちや1948年のイスラエル国家の成立自体は問題視していない人たちもいたりして。
「イスラエル支持だがネタニヤフ不支持」みたいなことを書いている人を見てギョッとしたこともあった。

イスラエルは元々「リベラル」な国だったが最近急におかしくなった、というわけでは決してない。イスラエルがそもそもどういう国か、どうやって成立したかを考えれば、「今やっていることはおかしいが、イスラエルという国自体は支持」なんて言えないはずなのに。

イスラエルに「迫害された被害者のユダヤ人たちがやっとの思いで逃れて作った国」というイメージを持っている人は多いと思う。私も学校ではそんな感じでイスラエルのことを教えられた記憶があるから。そのイメージを持ち続けている人はイスラエルの成立自体を批判できないんだろう。

私はイスラエルの成立について学校で習った10代のときから、なにかおかしいなとは思っていた。その場所に元々住んでいた人たちがいたこと、国家成立の過程でかれらが追い出されたことは話の流れから察することはできたので。この授業をした先生はユダヤ人が迫害されたことには同情しているのに、パレスチナ人たちが故郷を追われたことは当然のこととして受け入れているようだった。なぜ先生がユダヤ人と違ってパレスチナ人には同情できないのか、とても疑問だった。
ユダヤ人は2000年前だか3000年前だかに元々住んでいたからあの土地を手に入れる権利がある、という説明も意味がわからなかった。そんな大昔のことを言われて突然よそ者に土地を奪われるなんて理不尽すぎる。(後から分かったことだが、1948年の建国の中心となった白人系のユダヤ人たちは昔パレスチナに住んでいたユダヤ人とは無関係で、元々別の地域に住んでいた人たちがユダヤ教に改宗しただけのようだった。)

その後の歴史については多分NHK?の番組を授業で見せられたのだが、その内容にも違和感があった。パレスチナ側の攻撃は常に「テロ」と呼ばれ、イスラエル側の攻撃は常に「報復」と呼ばれる。犠牲者の数は毎回パレスチナ人のほうが圧倒的に多いのに、まるでイスラエルのほうが被害者のように語られる。なぜイスラエル側の攻撃は決してテロとは呼ばないのか、むしろパレスチナ人のやっていることこと故郷を奪われたことへの報復ではないのか、「テロ」って一体なんなんだ、強いほうに都合のいい言葉だな、と怒りが湧いた。

そんなわけで、イスラエルのことは子供の頃からずっと大嫌いだった。おかしいことがおかしいこととして語られないから余計に。
普段人権問題に関心がありそうなことを言っているくせにパレスチナ人の犠牲には無頓着そうな左派・リベラルの存在(決して少なくない)もずっと不可解だった。ユダヤ人差別問題やナチス表象の使用問題が起こると、その批判のためにイスラエル大使館やサイモン・ヴィーゼンタール・センター(イスラエル絶対支持のシオニスト団体)のコメントを引用してくる「リベラル」。こういうのを見るたびに、どういう神経してるんだ、イスラエルがどんな国かわかってないのか、と思っていた。10/7以降に考えが変わった人は多いと思うが、もっと早くから気付いてほしかった。

10/7以降、ようやく日本でもイスラエル批判が高まってきつつあるが、イスラエルを批判する人の中には、イスラエルの今現在の暴力のみを問題にしていて、イスラエル国家が先住民を殺害・排除して作った国であることについては不問、という人も多い。「シオニストの中の右派が問題なのであって、シオニズム自体を否定するのは違う」と言う人までいる。
ジャーナリストの曽我太一は、現在のイスラエルの軍事行動については一応批判しながらも、「『イスラエル国家さえ建設されなければ』と言うのは、イスラエルという国家と、そこに暮らす人たちに対するヘイト以外の何ものでもない」とまで言った。つまり、シオニスト左派と同じ考えだということだ。

シオニストの中には確かに穏健派・左派もいる。今の暴力について「やりすぎだ」と声を上げている人もいる。そのことによって国内で迫害されているイスラエル人のシオニスト左派もいる。ただ、元々パレスチナ人が住んでいたあの地にユダヤ人のための国を作ることを正当化しているという点では右派も左派もみんな同じ。シオニスト左派は1967年以降の暴力については語っても、1948年に起こったことについては沈黙する。シオニズムとはそういうものだから。シオニスト穏健派の存在を理由にシオニズムへの批判を控えるのは違う。

「リベラル」から高く評価されがちなハンナ・アーレントもそんなシオニスト穏健派の一人だ。確かにアーレントはアラブ人も包摂した国家を目指すべき、といったようなことを言っていたし、イスラエルに移住することもなかった。が、結局排他的ユダヤ人国家となったイスラエルを支持しているし、イスラエルの戦争での勝利を喜んだりもしている。ついでに言えば、アーレントのアフリカに対する視線も大変に差別的だ。
それに対して、イラン・パペやサラ・ロイやヤコヴ・ラブキンなどはユダヤ人だが反シオニストだ。

シオニズム批判とユダヤ人差別を意図的に混同しようとする輩もいるが、この二つは全く別物だ。イスラエル国家はユダヤ人の代表ではない。私はこれからも積極的にシオニズム批判をしていこうと思っているし、イスラエル国家の成立を問題視「しない」ことのほうが元々そこに住んでいた人たち(つまりパレスチナ人)に対する差別である、ということは強調しておきたい。


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