場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

女性天皇というまやかし

2019年08月12日 | 政治・社会

女性天皇・女系天皇を認めるかどうかというのは「リベラル」か保守主義者かを分ける指標のひとつにされているように思う。選挙期間中の党首討論や「えらぼーと」なんかでもそれ系の質問があった記憶がある。
問題なのは、女性天皇・女系天皇に賛成か反対かは問うのに天皇制自体に賛成か反対かの項目はないこと。これは天皇制に反対する人間がいることを想定されてもいないからだろう。

女性天皇を認めるべきだ、と主張する「リベラル」は確かに多い。でも私はその考えには与しない。この点は極右の人たちと意見が一致してしまうのだが、そこに至る理由は違う。

私が女性天皇がいらないと言う理由は天皇制に反対だから。女性であろうと男性であろうと関係なく天皇などというものは認めるべきではないから。
それに、今よりも天皇や皇族の範囲を広げることは天皇制を延命させるための大きな力になる。その範囲の広げ方が一見男女平等のように見えたとしてもそれはまやかしだ。男女平等なら身分の不平等は看過していいはずがない。

最近公開された「アラジン」の実写リメイクではジャスミン王女がより現代的な女性に変わっており、女性が国王になれないのはおかしい、と主張しているらしい。その変化が好ましいと思う「リベラル」勢もたくさんいるだろうとは思うのだが、そこまで変わっても王政を否定する方向には行かないのか、と私は逆に残念な気持ちになった。
王になれるかなれないかが性別で決まるのは確かにおかしい。でも王家に生まれなかった人間は性別問わず王になれないわけだがそこは気にしないのか。
最近のディズニーはPCに配慮しリベラルになってきたと言われているがまだまだ保守的な点は多々あると感じる。いまだに「ディズニープリンセス」なんてものを看板にしてるのがもうね。庶民出身のディズニープリンセスだっている、という反論もあるかもしれないがそれも結婚相手が王子である場合が多いし、そもそもプリンセスというのは身分の高い女性を指す言葉で、そういうものを肯定的に用いるということは身分制を肯定していることに他ならないんだよな。

日本のことに話を戻すと、日本の天皇制には身分差別という以外にもう一つの邪悪な側面がある。戦争の最高責任者だった昭和天皇が戦犯として裁かれるどころか天皇としての地位を追われることすらなかったこと。そしてその地位をそのまま子や孫に引き継がせたこと。今の日本が大日本帝国の所業をきちんと批判できないのはこのことも大いに関係していると思う。

日本国憲法にはそこそこの分量で天皇に関する規定があり、天皇の存在にお墨付きを与えてしまっている。だから私は護憲派にはなれない。天皇関係の条項をごっそり削るべきだと思っている。
ただ、憲法を変えたいという気持ちは同じでも今の自民党のもとでは変えたくない。天皇制をなくすどころか天皇を国家元首にしたいらしいので。


「ヤスミン・アフマド特集」に行ってきた

2019年08月06日 | 映画・ドラマ

シアター・イメージフォーラムという映画館で「ヤスミン・アフマド特集」をやっていたので行ってきた。ヤスミン・アフマドは10年前に亡くなったマレーシアの映画監督で、上映されていたのはヤスミン・アフマドが撮った6本+ヤスミン・アフマドも参加したオムニバス作品の「15マレーシア」。そのうち私が観たのは「細い目」「タレンタイム」「15マレーシア」の3本。
「細い目」はマレーシア在住の日本人のサイトで紹介されていたのをかなり前に見たことがあって気になってはいたものの、観る機会は訪れないだろうなと思っていた。そうしたら思わぬところで。

私はマレーシアに関心があるんだけど、マレーシア映画って日本ではなかなか観られないからな。「タレンタイム」は2年くらい前に日本で上映されていたらしいが全然知らなくて観ていなかった。今回、映画館にマレーシア文化を紹介するフリーペーパーも置いてあったし、マレーシアの空気をたっぷり感じられて楽しかった。

3本の中で私が一番面白いと思ったのは「タレンタイム」。爽やかな青春映画かと思いきや、マヘシュの叔父さんが突然殺されたりハフィズのお母さんが病気でずっと入院していたりと案外重いところもあって、それでもラストシーンでは温かい気分になれる。
そして音楽がよかった。特にハフィズの歌う「I GO」。二胡の美しい音色がとても効果的に挿入されている。サントラがイメージフォーラムで販売されていることを後日知り、それを買うためだけに足を運んだりもした。

どの映画でも共通して感じられたのはマレーシアの多様性。宗教も見た目も言葉も違う複数の民族が一つの国で自然に共存しているところから醸し出される独特の雰囲気。日常会話で英語を使う機会が多いことにも驚いた。マレーシア人はほとんどがマルチリンガルだと聞いたけど、こういうことなのか。
日本は一つの民族が圧倒的多数を占めているし、比較的多い朝鮮系の人たちも見た目は変わらない。宗教はさほど重視されない。アメリカは人種の差ははっきりしているものの白人がメインでほかの人種は脇役みたいな空気がまだどこかにある。そして大概は英語話者で言葉の多様性はない。
マレーシアではマレー系が一番多数派だけど、どの民族も壁はあっても同じように主役な感じがしてそこが良かった。でもこれはヤスミン・アフマド監督だからなのか、他のマレー系監督だったら違ったのだろうか、などど考えたりした。

このシアター・イメージフォーラムでは「主戦場」がずっと上映されていて、今月末からは日本軍の戦争加害を扱った「日本鬼子」もかかる。反骨心も感じられる面白いセレクト。万人向けの娯楽策だけじゃなくこういうのも上映してくれるところがミニシアターの魅力なのかもしれない。


両親がテレビの影響で右翼になった話

2019年08月05日 | 政治・社会

母が今朝、日韓の貿易摩擦に関するニュースを見て「ホワイト国除外は当然、韓国は品性に欠けている」と言っていた。父も大体同じような意見で、「徴用工」に関してはもう補償する必要はなくて賠償請求されるのは不当であり、文大統領は任期取りのためだけに道理のない「反日」をやっていて馬鹿な国民がそれに踊らされていると。もうこれ、所謂「ネトウヨ」と1ミリも変わらないし後者なんか完全にブーメランになっている。

私は両親の前では韓国の話を大体避けているが、運悪くその話題になってしまうと必ず意見が対立する。そういうとき母は「日本が嫌なら出ていけばいい」とすぐに言う。「そんなに韓国が好きなら韓国に移住してみろ、そうすれば韓国人の感覚がどれだけ日本人と違うのかもわかるし日本に生まれたありがたさも身に沁みるだろう」と。これも所謂「ネトウヨ」の物言いとそっくり。

母は基本的にヨーロッパが大好きで、韓国に限らず日本以外のアジアの国全般を馬鹿にしているフシがある。お金がないわけじゃないのに旅行でアジアの国に行く奴の気が知れない、と思っているらしいことが普段の言葉の端々から伝わってくる。日本の若い子たちが韓国のメイクやファッションに憧れを持っている、と言う話を聞いたときも「なんでイタリアやフランスじゃなくて韓国なの」と驚いていた。

母は貧困問題に関しても恐ろしく冷淡だ。シングルマザー家庭の貧困率の高さを聞いても「日本は社会保障がしっかりしている国だからそんなはずはない、無知で制度をうまく利用していないからそうなるんだ」と言っていたし、「生まれた家庭が貧乏だったならその分他人より努力して這い上がればいい」とか「この国で健康なのに食うに困っている人間は仕事を真面目に探していないだけなので自業自得」といったことも言っていた。

だけど両親は左派を自認しているようだ。安倍のことは嫌いで公文書改竄には怒っていて、でも韓国に対しては植民地主義丸出しの典型的な反安倍右翼なのに。どうやら反安倍で反原発なら左側だと思っているらしい。父なんて「ドイツの戦後の態度は立派だった、それに比べて韓国は日本の悪口ばっかりだ」という、日本が侵略された側だと勘違いしているかのような驚きの発言をしていたような人なのに。
ついでに書くと、これも不思議なことに、両親は選挙では大体共産党に投票しているらしい。まあ共産党も最近右傾化してきているとは感じるが、それでもまだ「徴用工」問題で韓国側を責めるほどには落ちぶれちゃいないんだけどな。
自称右でも左でもない奴は大体右翼、っていうのはよく言われていることだけど、自称左でもこういうのがいるっていうのがキツい。両親の場合は自己イメージを更新できていないせいかもしれないが。

昔は両親、特に母はこんな人間ではなかったと思う。労働組合で活動していたし日本の戦争加害についてももう少し真面目に考えていた。それなのに、気付いたら「中国人はマナーが悪い」だの「韓国人は品性がない」だの平気で言うような人間になっていた。原因は多分、リタイアしてから毎日「ひるおび!」やら「グッド!モーニング」やらを見るようになったことだろう。つまりテレビの影響をかなり受けてしまっている。

さすがにまだ「強制連行はなかった」だの「従軍慰安婦は捏造」だのとは言っていないけど、それは多分テレビでそう言われていないから。テレビの主な論調がそうなり始めたら(今の日本ならありえないこともない)おそらく両親もそちらに流れるだろう。
「ネトウヨ」だけを問題にするのはただの切断処理で、普通の日本人は大体右翼、と言っていた人がいたが本当にその通りだと自分の両親を見ていて思う。

それと、母が変わってしまったと書いたけどアジアを馬鹿にしているのは多分昔からだろうな。韓国に対して嫌悪感を示すようになったのは、昔は完全に格下だと思って見下していた存在が力をつけてきたことに対する苛立ちもありそう。


あいちトリエンナーレの件で見えたもの

2019年08月04日 | 政治・社会

あいちトリエンナーレの件、少女像が展示中止に到るほどの執拗な脅迫があり、警察もろくに対処しなかった点ももちろんなんだが、これに対するオタクたちの反応にも怒りがふつふつと湧いてくる。

普段政治のことは触れていない趣味系アカウントもこの件について一言触れていて、それが典型的な「普通の日本人」の反応で、「ああ、この人もか」と思ったりした。一応表現の自由の侵害は許されないとしながらも(これもポーズだけの感じ)、あの作品に否定的な評価を付け加えるのは忘れない、ってのが一番よく見たパターン(撤去は当然だと言っているオタクも多数いると思うが、そういう輩は普段から積極的なヘイト発言を繰り返しているタイプで最初から何も期待していなかったためここでは触れない)。あれは芸術作品としてはクソだとかとにかく不快だとかいろいろと言われていたが、とにかく日本の過去の蛮行を意地でも直視したくないという気持ちだけは伝わってきた。
「アートに政治的なものを持ち込んでタブーを破ったようなツラをするな」みたいなのも見たが、アートに政治を持ち込むのがダメなら「ゲルニカ」はどうなるんだよとか、そもそも日本軍からの性被害のことを語るのがタブーみたいになってるのはおかしいだろ、とかいろいろ突っ込みたい。
そんなオタクたちに熱烈に支持されているらしい山田太郎もかれらの総意を汲んだような物言いで、さすがだなと思った。「表現者は責任を負うべき」だの「今回の表現は好みません」だの。

もちろんオタクみんながそんな人間ではないことはわかっている。でもそういうのが多数派なことは否定できない。趣味系アカウントがあるときポロッと漏らした政治や社会に対する意見にガッカリさせられることは多い。

まあ普通の日本人なんて大体みんなそんなものなのかもしれない。それでも私が特にオタクに怒りを感じる理由は「表現の自由」や「ポリティカル・コレクトネス」という言葉をマイノリティから奪ってマジョリティに都合のいい使い方をしているところかな。

表現の自由が大事だとされるのはそもそもなぜか、かれらはわかっていないんじゃないだろうか。元々は権力が自分に対する批判など都合の悪い意見を抑えつけたりすることが横行していて、そういうのを止めるために生まれてきた考えなのに、差別表現をしてマイノリティ等から抗議されたら「表現の自由が侵害された」みたいなお門違いな事を言う。あの人たちが守りたがってる表現って大体エロか差別だからな。

「ポリコレ」も最近では「ポリコレのせいで窮屈になった、つまらなくなった」みたいな否定的な文脈で見ることのほうが多くなってしまった。以前は「あの作品はPC的に優れている、いない」とか、とにかくポリティカル・コレクトネスに肯定的な人たちがよく使う言葉だったのに、嫌な形で言葉を横取りされてしまったような感じ。
窮屈な思いなんてマイノリティはずっとしてきたし、マジョリティに気遣いもさせられてきた。そこを多少なりとも改善してマイノリティを活躍させたり差別的な表現を減らそうとするだけで被害者面して文句をつけ始めるんだからいいご身分だよな。

マジョリティ系オタクにとってはマイノリティの活躍も不快だし、被害者が被害を語ることも不快なんだろう。国が絡んでいて、自国が加害者側にいるときは特に。あの少女像を不快に感じるような心性の人間がどれだけ多いかを見せつけられて、ある程度はわかっていたのにあらためて失望させられた。


加害者としての過去を認められない美しい国

2019年08月03日 | 政治・社会

日韓の貿易摩擦問題、ごく普通にシンプルに客観的に考えたら圧倒的に日本が悪くて、散々人を踏みつけてきた加害者が被害者面している醜悪極まりない図だ。でもそうは考えない人間がこの国では多数派のようなのが悲しい。

ニュースやら新聞やらがほとんど日本政府の味方だからな。まるで大本営発表みたい。リベラルと言われているメディアの多くも例外じゃなくて。どっちもどっち論でも相当マシな部類だったり。文書改竄問題で政府を責めることはできても韓国が絡むと途端にこれだもんな。だから最近はニュース番組を見るのがすごく苦痛だ。
戦前の日本がああなっていった理由がよく分かるな。今の状況ってあの頃とそう変わらないんじゃないだろうか。

韓国の「反日集会」と報じられていた集会が実は「反安倍集会」だった、ってネット記事を見かけたけど、だからなんだよ、って感じ。安倍が首相を続けていられるのは思想に共感する人間が多いからだ。「リベラル」と呼ばれている人間だって、植民地主義を克服できていないようなのがたくさんいる。切断処理なんかできないし、そもそも「反日」だったとして何が悪い。日本はそれだけのことをしてきただろ。

そんなことを書いていたら、あいちトリエンナーレで少女像の展示が圧力で中止になったというニュースが流れてきた。本当に反省のないクソな国だな。人権よりも国のチンケなプライドのほうが大事なんだから。
河村たかしによれば少女像は「日本人の心を踏みにじるもの」らしいのだが、あれで踏みにじられる心ってなんなんだろうな。「何も悪いことをしていない清廉潔白な日本」という虚像をなんでそんなに必死に守ろうとするんだ。