場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

世界体操2018 in ドーハ 男子団体決勝で平行棒の神降臨

2018年10月30日 | スポーツ

放送の仕方にはちょっと不満あり。見ていてかなり気になってしまったので最初に書いておく。

煽りタイムが長すぎ。
種目が変わるごとに煽りVTRが入るんだけど、心底いらないと思った。そんなヒマがあるなら少しでも多くの選手の演技を映して欲しかった。
日本選手の演技は全部見られたが、優勝した中国でさえ全演技放送されなかったし、一緒に回ってたアメリカの選手の演技は(私の記憶が定かなら)一切放送されず。フジテレビはもっと外国選手も映してくれてた気がしたんだけど。
それと、できればライブ放送が良かった。

次の試合はライストで見ようかな。つながるなら。Youtubeでもやっているようだし。Youtubeだったらテレビで見られる。Fire TV Stick持ってるから。

本題の試合内容について。
結果はまあいいんじゃないかと。とりあえず最低限の目標は果たせたし、最初から中国が勝つだろうなと思ってた。
正直なところ、中国の優勝は嬉しかった。強い中国が戻ってきてくれたって感じで。それでも一時期の圧倒的な強さには及ばないけど。
もう引退しちゃったけど鄒凱っていう中国の選手が大好きだったから、結構中国贔屓なんだよね。

ハイライトはなんといっても鄒敬園の平行棒。中国はこれで勝ったようなものじゃないかな。大過失もあったのにこのスコアで帳消しにしてしまった。
「平行棒の神」って呼ばれていたけど、この人の場合は大げさじゃなく本気で神なんだよな。恐怖すら覚える完璧さ。ロボットかCGなんじゃないかって思えるレベル。すごすぎて笑ってしまう内村も印象的だった。

内村はやっぱり流石の安定感。きっちり流れを作ってくれた。でも足痛そうで心配。

田中佑典の平行棒は残念だった。ヤマムロには、たしかリオの予選でも苦しめられたよね。G難度だから当然なんだけど、すごく難しい技なんだよな。みんな難度を抑え気味だったし田中佑典もヤマムロを封印していれば……なんてのは結果論か。
でもこれを引きずることなく鉄棒ではいい演技ができたのは良かったと思う。昔の田中佑典だったら多分引きずってた。

この失敗がなかったら……なんてどこの国でも言えることだ。中国だって床で盛大にやらかしたうえ鞍馬でも鉄棒でも落ちていた。それに全チームミスなしならやっぱり中国が優勝していたと思うので、今回の結果は実力通り。

あと、私は5-3-3方式より6-3-3方式のほうが断然好きだ。色々な持ち味の選手が出せてスペシャリストも出やすいから。今までオリンピックは5-3-3でも世界選手権は6-3-3でやってくれてたのに、今回は5人……。
次のオリンピックでは更に減って4-3-3になるんだっけ? 寂しいなあ。


自己責任論とネットの空気

2018年10月29日 | 政治・社会

ジャーナリストの安田純平さん解放に関して、ネット上では様々な意見が飛び交っている。
最初に書いておくと、私は所謂自己責任論には与しないし、安田さんを叩いている人たちはクソだと思っている。かれらとは他の案件でも大体において意見が合わない。例えば「慰安婦」の人たちのことを中傷していたり。

渡部陽一さんの「戦場取材の掟」なるデマも流れた。これは自己責任論者には非常に都合のいい内容で、かれらの主張の権威付けに利用されたため、すごい勢いで広がってしまった。本人がこれを否定してから大分経った今でもこれを拡散しているTwitterアカウントも複数ある。
かれらは人に迷惑をかける人間が嫌いらしいのだが、この件で渡部陽一さんには確実に迷惑をかけたよね。一人が不特定多数に迷惑をかけるのは許されないが多数の人が一人に迷惑をかけるのは許されるってことなのだろうか。

デマを広げたことに対して全く反省せず、いろいろな屁理屈をつけて正当化している人間が多いのもすごい。もしかしたら大半がそうかもしれない。謝ったり反省したら負けだと思っているのかな。
例の掟が本当か嘘かで安田さんに対する評価が変わるわけでもなければ自己責任を否定する根拠にもならないので、その点は安心して欲しい。自己責任を否定する根拠も安田さんを評価するポイントも、もっと別のところにあるので。

デマを広めた責任を問うツイートに「具体的にどう責任とればいいのか言ってみろよ」みたいな、甘ったれなうえに上から目線なリプライが付いていたのも見たな。
かれらは他人にものすごく厳しい割に自分とお上には甘いんだよな。「自己責任」も「人に迷惑をかけるな」もお上に従順な自分たちには適用されないらしい。

ただ、もちろんそんな人ばかりではなかった。自己責任論者や安田さんの個人攻撃をするような人がどうしても目立ってしまうけど、それに反対している人もたくさんいた。特にダルビッシュはすごかった。自己責任論に反対するだけでなく、クソリプにもしっかり反論していて。あのクソリプの数々、自分に向けられているわけでもない私でもウンザリするのにすごいメンタル強いな。アスリートは右寄りでお上に従順なイメージがあったけど、そんな人ばかりじゃないんだって少し安心した。
ダルビッシュはお父さんのこともあるから、その辺の一般的な日本人よりは中東問題のことに詳しいんじゃないかな。そんな人に対して「お前は物を知らなくて浅はかだからそんな考えになるんだ」みたいな趣旨のリプを飛ばしてる人を見てしまったが、すごい自信だなと思う。


ドラマ版「昭和元禄落語心中」第1回感想

2018年10月16日 | 映画・ドラマ

アニメ版は全話見たんだけど、この作品を好きかと聞かれると少し答えに詰まる。ラストのある部分でこれはない、倫理的に許せないと思ったところがあった(ネタバレなので具体的にどういうことなのかは書けないが見た人なら分かる)ので。
それでもこのドラマを見たのは、アニメを見ていたときから実写向きの題材だと思っていて、どんな感じで映像化されるのか非常に興味があったから。

ドラマ化されるという以外の事前情報は入れないまま、放送の直前にラテ欄のキャスト一覧だけ見て、この中だったら顔のイメージ的に竜星涼が青年期の八雲役だろうなと予想していた。それで老八雲は当然青年期とは別の役者が演じるんだと思っていたので、老けメイクで出てきた岡田将生を見ていろいろな意味で衝撃を受けた。

岡田将生は頑張っていたとは思う。でもやっぱり老人役は無理があった。青年期だけ演じて老八雲は別の役者を使った方が良かった。
じゃあ誰がいいのかと言うと……男らしい暑苦しい俳優では合わないし……とちょっと考えたら、すぐ近くにいたわ。松田さん役をやってる俳優さんだ。この人だったらピッタリ。Twitterで少し検索してみたら同意見多数だった。サスペンスで何度か見たことがあるので顔は認識していたものの名前は知らなかったけど、篠井英介っていうんだ。覚えておこう。

そういう年齢的な違和感を別にすれば、キャスティングは悪くなかったと思う。与太郎が意外にハマっていたし、岡田将生も青年期ならピッタリとはいかないまでも違和感はなさそう。
助六も良さげ。イメージにも合っていたし、落語が上手すぎて驚いた。第一話では出番が少ししかなかったけど、それでも強烈な印象を残してくれた。原作の助六は八雲より背が高くてガタイがいい感じなんでそこは違うんだけど、そんなことどうでも良くなるくらい。顔の濃さ加減は合ってるし。だから過去編になる第二回以降が楽しみ。

ただ小夏は全然合ってないね。漫画やアニメのイメージを消してもダメ。子供っぽすぎて、姐さんって呼ばれてるのにすごく違和感があった。口調も無理してる感が強かった。この役者はどちらかと言うと、お上品なお嬢様のほうがハマるんじゃないかな。知らんけど。

落語部分については、竜星涼と山崎育三郎は上手かったけど、岡田将生の落語は名人芸と言うには無理があった。弟子の方が上手く聞こえてしまうってのは問題かもしれない。
仕方ないんだけどね。落語は一朝一夕で身に付けられる芸ではないうえに、老人っぽさを出しつつ落語をやるという無理難題を出されているんで。ここはいっそのことプロの吹き替えで対応しても良かったんじゃないかな。


「彼」と「彼女」という三人称について

2018年10月08日 | ジェンダー・家族等

男性も女性も含んだ集団を表す言い方として、「彼ら彼女ら」という呼称が使われているのを最近よく見るようになった。「彼」は男性を指す言葉だから「彼ら」というのは女性を排除しているようで適切ではない、といったような理由かららしいんだが、どうもこの呼称には違和感があって、いつまでも慣れない。

自分だったら一応平仮名にして「かれら」と呼ぶかな。女性だけの集団でも。女性をナチュラルに排除した表現でも問題ないじゃないか、という意味ではなく、そもそも「彼女」という三人称に違和感があるから。

「彼」の後ろに「女」を付けて「彼女」。つまり「彼」が基本形で、その基本形は男性を表すものとされている。女性の俳優を「女優」と呼ぶのに近い違和感を私は「彼女」に持っている(そもそも「女優」になんの違和感もないって人が大半だとは思うけど、私はめんどくさい人間なので)。

100年以上前に文語体で書かれた「舞姫」を読むと、エリスという女性が「彼」と呼ばれているんだよね。これを見るに昔は「彼女」って三人称なんてなくて、性別問わず「彼」だったんじゃないかな。推測だけど。それを言ったらそもそも「彼」だって元々なくて、外国語の翻訳のために取り入れた三人称だったはずだけど、それは本題とは関係ないので置いておくとして。

そういうわけで「彼女」なんて三人称はいずれなくしてしまって、「彼」で統一したほうがいいと思う。女性でも「彼」で。人を指す三人称にいちいち性別をつけるのは、性別からなるべく自由でありたいと思っている人間にとっては窮屈な感じがするので。

三人称にいちいち性別を付けるという発想って英語由来なんじゃないかという気がする。英語は日本語みたいにはっきりとした女言葉みたいなものはないけど、性別にこだわる言語だと思う。ヨーロッパの多くの国の言葉もそうかな?
例えば日本語なら「あの人」とか「その人」とか「~さん」みたいな性別問わない表現でいけるところが、英語だと「he」「she」、「Mr」「Ms」みたいに、いちいち性別を付けないと気が済まない。ドイツ語なんか名詞にまで性別付けてるし。
ヨーロッパ系言語のこういうところはあまり好きじゃなくて、これも将来少しずつ変わっていってくれればいいなと思っている。