場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

そうだ、ショートショートを書こう

2017年01月28日 | その他

私は普段、このブログでも人の書いたシナリオや小説にケチをつけたりしているけど、ひとつの作品を完成まで持っていけるのって本当にすごいことだと思ってる。
だって私にはできないから。小説を書き始めて何度途中で挫折したことか。大体いつもある一定の場面で詰まってしまって、その次の展開が思いつかない。それならばと、まず最後までのプロットを立てようとしても、そのプロットが完成せず書き始めることすらできなかったり。それで10年以上前のアイデアをいまだに消化できずにいる有様。

書きたいシチュエーションはあるし、登場人物についてもかなり固まっているのに書けない。プロットがまとまらない。そんな状況にずっとイライラしていた。
子供の頃は小説を完成できたんだっけ。ただし最後の展開がものすごく強引だったんだよな。あの頃みたいに強引な形で「完成」させるのもそれはそれで嫌だ。

そんなことを考えて悶々としていたときに、ネットで小説を発表している人たちを見て、ふと思った。とりあえずはショートショートを書いてみればいいんじゃないかって。これだったらプロットを組む力もいらない。
登場人物がたくさんいて、複雑な人間関係の絡み合う長編が書いてみたいけど、それは私の今のキャパでは無理だ。いわば、練習もせずにいきなりマラソンに挑むようなもの。だから息切れして完走できなかったんだ。今頃気付いた。

英文の多読でもそうだった。簡単で短いものから手を付けていって、徐々に長いものにトライしていくほうがいい。短いものでも、一冊読んだっていう達成感はちゃんと得られるし、それが次のモチベーションにつながっていた。
あまり力が付かないうちに長いものを読むのはあまり良くない。最後まで行けたとしても、達成感というよりはうんざりした気持ちのほうが勝ってしまい、次はもう読みたくない、みたいな感じになっていたから。

まずはショートショート、慣れてきたら短編や中編を書いてみよう。テーマはひとつ、登場人物は少なめにシンプルに。このために新しい人物や舞台を設定するんじゃなくて、今まで温めてきたアイデアを流用して。おいしい場面だけを切り取るか、日常のワンシーンを描いてみる。
こんな感じで、今年中に10本は書きたい。


戦争責任から目を逸らしたい人たち

2017年01月18日 | 政治・社会

少女像の件に関する報道を見ていると、嫌な気持ちになってくる。私の見た限りでは日本のメディアは大体日本政府寄りの論調で、日本政府はきちんとしていて韓国側が大人げない態度をとっているかのような言い草。自称左寄りの私の両親も、少女像については撤去した方がいいという考えみたい。なんだか悲しいなあ。 

変なプライドで凝り固まってて、元慰安婦の人たちの受けた心の傷について考えもしないか、ものすごく軽視しているんだよな。ひどい場合には、かれらを嘘つき呼ばわり。百田なんかこういう類だけど、日本政府はこれを牽制するどころか逆に権力を与えて承認している。この問題を蒸し返してきたのは日本側じゃないか。
国と国との戦いじゃなくて、人権問題として考えることがどうしてできないのかな。いや、韓国嫌いと人権嫌いの層は被っていそうだからダメか。

なんで日本は加害者のくせにあんなに偉そうな上から目線なのか。なんであんなに被害者意識が強いのか。例えば犯罪の加害者が被害者に「過去のことは水に流すべき」と言ったり、追求される自分こそが被害者、みたいな態度をとってたら最悪じゃないか?

この手の人達は大体国益、国益うるさいけど像があることで被る具体的な不利益ってなによ。むしろ不誠実な態度が日本の評判を落としていて、国益の点から言うならこっちのほうがかなりマイナス。「毅然とした態度」なんて他国の人は評価してくれないよ。

この国が過去になんの汚点もなかったと信じたくて必死な人は結構な割合で存在している。強制連行も南京大虐殺もなかった、みんな捏造で陰謀なんだと。歴史学者の言うことにも耳を傾けない。そうしないと自分が保てないのか? 何か信じたいものがあって、それにすがってしまう感覚はわからなくはない。でもその対象が国で、他者(特に被害者)への攻撃を伴っているところがダメなんだよな。
国を愛するということ自体に私は最近懐疑的だけど、それはそれとして日本を愛せる国にしたいなら、こんな不誠実なことはやめたらいいのにと思う。


人形佐七捕物帳 第八夜「開かずの間」感想

2017年01月15日 | BSジャパン時代劇

「山本周五郎人情時代劇」以来BSジャパンの時代劇のファンなので、火曜9時のこの枠はずっと見ている。
現在放送中の「人形佐七捕物帳」も結構面白い。主人公の左七にはさほど魅力を感じないんだけど子分二人がいい味を出していて。特に豆六。あの三枚目風味なところがいい。池田純矢は「牙狼」ではプレイボーイの役だったみたいなのにね。直前の江戸巡り番組で素の二人を見たときには正直どっちもパッとしない感じに見えた。でも芝居してると違うな。辰五郎も男前なので左七ばかりモテるのが不自然に見えてしまうのは、まあ仕方ないのかな。

キャスティングは特撮ファンが見たら喜びそうな感じ。調べてみたところ、主演の要潤は「仮面ライダーアギト」の仮面ライダーG3、辰五郎役の三浦涼介は「仮面ライダーオーズ」のアンク、豆六役の池田純矢は「海賊戦隊ゴーカイジャー」のゴーカイシルバーと「牙狼-GARO- 〜闇を照らす者〜」の猛竜、らしい。
来週のゲスト、津田寛治も特撮にも出てたよな。「9係」のほうがメジャーだとは思うが、特撮で言うと「仮面ライダー龍騎」の編集長。また悪役かな?

今回の「開かずの間」は左七と辰五郎の関係の変化が丁寧に描かれていて、二人の友情(?)ものとしてはとても面白かった。
ただミステリーとしてはイマイチだったかな。犯人は私の予想を覆してくれたんだ。辰五郎の馴染みの遊女かと思ってたから。でも動機がちょっとなあ。 女将が「男の人にはわからないかもしれませんねえ」って言ってたけど、女にだってさっぱりわからないよ。女は男より嫉妬深い生き物だ、とでも言いたいのか?

この話を書いたのも「男の人にはわからない」って台詞を女の登場人物に言わせてるのもおっさんなんだよな。かしくの義母が抱いていたドロドロとした感情は、おっさんの想像の産物。
「人形佐七捕物帳」の原作は全く読んでいないんだけど、聞いたところによると女性蔑視的な表現が多いみたい。左七が日常的に妻を殴っていたり、女は若くないと無価値、みたいなことが何度も言われていたり。
BSジャパン版は、お粂の嫉妬をギャグ風味に描いている点が若干気にはなるものの、そういう面はかなり薄めているという印象だった。でも今回は、横溝正史の持っている女性に対する偏見がちょっと見えてしまった感じがした。全体としては面白かったんだけどね。


映画「天正伊賀の乱」感想

2017年01月04日 | 映画・ドラマ

なんでもかんでも台詞で説明しようとしすぎていて、会話がものすごく不自然だった。こいつら忍者のくせに、ペラペラペラペラ喋りすぎ。多分無口という設定だと思われる軒猿も、説明パートになると途端に饒舌になるし。

あの状況が二転三転してなにが真実なのか最後の最後までわからない感じ、上手く料理できれば結構面白くなったと思うんだ。でもそのネタに脚本家の力量が追いついていない感じがした。会話だけで処理しようとしないで、ナレーションなり回想なりモノローグなりでカバーしたらもう少しマシになったんじゃないかなあ。

でもこれ、映画じゃなくて舞台なら違和感なかったかもしれない。森の中と下山の里のシーンしかないし、出演者も少ないし、そういう面でも舞台向き。妙に近代的な下山の里のセットも舞台ならアリな気がする。

なんでこんな古いマイナーな映画を観たのかというと、「仮面ライダー龍騎」を見て気になっていた一條俊が出ていたから。表情豊かでテンション高めな芝浦とは打って変わって、ニコリともしないクールなキャラなのが面白かった。
ついでに、北岡役だった涼平も出ていた。「仮面ライダー龍騎」のときより上手くなっていたと思う。ただ、えらくでかい忍者だね。