登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

現在大学二年生の話 会報ふれんず 233号より

2019-07-08 21:50:04 | 会報「ふれんず」から

会報から一部  


パネラー2組のお話 より

 

■○○さん 中学1年の途中から 不登校 高校は全日制から定時制へ編入 現在大学2年

 

„部活がすごくきつくて

私は小学生の時は風邪以外で休むこともなく、朝は校門が開くのを待って入るくらいで、友達とも良好で元気でした。

中学校に入って部活での練習がすごくきつくて、そこから体調をくずしました。でも、きつくても休むという選択肢が私にはなく、ずっと我慢して朝練にも参加していました。

ある朝、起きようとしても起きれず朝練を休んだのから始まって、どんどんきつくなって休みがちになり、中1の後半は1日置きに休むような感じでした。それでもまだ仲のいい子がいたので何とか頑張れたけど、2年でクラス替えがあって、1週間頑張って糸が切れたように「もういいかぁ」ってなりました。

母から「なんで行かないの」とせかされ、父からは「大名出勤かぁ」と嫌みを言われ、家には引きこもる部屋もなく、みんなは学校で勉強してるのに昼間っからテレビを観ている自分がイヤでした。

„保健室へ

やがて学校のすすめで給食だけ食べに行くことになり、休み時間にかぶらないように保健室に行って、食べたら帰るみたいな生活をしてました。保健室の先生とのおしゃべりは苦じゃなかったので、やがて10時位から行くようになり、中2の時は何人か不登校の子がいて、保健室にずっと行ってました。

今回お話するので思い出そうとしたけど、相当にきついことは忘れるみたいで、不登校なりたての頃の記憶があんまりありません。

„別室へ

学年が上がるにつれ不登校が増えて、保健室がいっぱいになったら教務の先生が来て「保健室は体の具合が悪い人が利用する所。元気だから明日からここには来れない」と言われ、物置みたいになっている教室に移ることになりました。「人数も増えてきたから」とか言いようもあるだろうにと思いつつ別室に移ったら、教室に入れない子だけのコミュティーが出来て、中3はルンルンで別室に行ってました。進路の事や先生の事なんか、行けない者同士だからこその話が出来ました。

そして普通に教室に行ってる子が駆け込んでくることもあり、そういう意味では「誰でも駆け込める別室」がどの学校にもあっていいと思いました。

„窮屈なところ

中3の時の先生はきつ過ぎてあまり覚えてないけど「ただ教室に入るだけじゃないですか!どうして出来ないんですか」と顔がつきそうなくらい近くでまくしたて、すごく強引でとても嫌だった。「何が嫌?」とか「どうしたらいい?」とか生徒の気持ちを汲み取ろうとしてくれれば、色々説明できたのに。

それから靴下の履き方や髪型まで細かく管理されて「何故こんな窮屈な所にいなきゃいけないの!?」と考えるようになっていました。

そして別室にいすぎて普通の友達とどう会話していいか分らないようになっていました。

„気楽で嬉しいところ

本を読むのは好きだったので、学校に行ってない日は図書館にずっといました。母も図書館なら機嫌よく送り出してくれるので。

そして大学生が家か学校で会ってくれるユアフレンドがよかったです。年上のお姉さんと他愛無い話で笑ったりして気が楽でした。

母がボランティアをしてたから、その手伝いや近所のスーパーのお手伝いとかをして「ありがとう」「助かった」と言われると自分が役に立ったと思えて嬉しかった。

学校と家以外で利害関係のない大人と関わ


れたことが刺激になりました。学校にいると分の存在が分からなくなるけど、家と学校以外の世界は自分を創っていく上で欠かせないものだったかなと思ってます。

„憧れて全日の学校へ

不登校して「皆と違っていい」と思いつつ、皆が出来てることが出来てないのが悔しくて、普通に朝早く登校して部活もある生活にあこがれて、高校は引っ越し先の全日の学校を選び頑張って一般で受験しました。

でも、校長先生が替わると学校の方針も変わって朝課外が必修になって、電車とバスを使って行く所だったので、朝起きられなかったらどうしようと思って心から体にもくるし、「頑張りなよ」と言われることも多く、朝課外で授業も進むから、課外を休むと授業も分からなくなるし、体育の先生から2回目の授業なのに「なんで出来ないの、単位やらんよ!」と怒られたり、自分で選んだ学校なのにきつかったです。

„単位制の定時制高校に編入

結局11単位取って高1の3月に、公立の単位制の定時制に編入しました。そこがすごく合っていて、初めて「学校が楽しい」と感じました。校則も制服もなくて、朝が苦手なので2時限からとか自分のペースで出来ました。

自分の意思を持っている生徒が多く、60才の方も生徒でいたり、同好会の部長になったり、先生も上からの感じがなく教えてくれて、大学は自己推薦で入れました。

„これからは

今は不登校の居場所づくりに関わっています。中学校の時の別室みたいな安心できる場所が欲しいなぁと思って、活動しています。

不登校の親の会や、自由な時間を過ごすおしゃべり会をして、たまにピクニックに行ったり、パーティーをしたりしています。

不登校を知らない人の壁を壊していきたいと思っています。

 

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